落ちて空に星がこの手で
「ごめんなさい。今他のお客様のところに向かう途中でして。……他のタクシーを手配しますね」

そう返答を返してロトムのアプリをオフにした。ダンデからの配車を断ったナマエはハア、と浅いため息をつく。相棒のアーマーガアが首を傾げながらナマエを見下ろし、主人の真似をするようにガアとひとこえ鳴いた。
タクシーが飛び立つ気配はない。それもそのはずだ。本当は他のお客様なんてものはいないのだから。どんよりとした、スッキリしない面持ちでゴンドラの客用座席に腰を下ろす。


嘘をついた。他愛もない嘘だ。どうにも先日のスタジアムでの一件以来ダンデさんと顔が合わせづらく、何かと理由をつけて避けてしまっていた。どんな顔をすればいいのか、自分が一体どんな顔をするかが分からないのだ。

ぼんやりとホテルを出入りする人々を見つめる。普段はスタジアムの乗り場にいることが多いが、あそこはダンデさんと鉢合わせる可能性が高いため、あえてホテルを選んだのだ。お客も捕まえやすいから、電話での依頼を真っ当に断るのにも都合がいい。

「いいかしら?」

ホテルに泊まっていたと思わしきご夫婦に手を振られ、愛想よく笑みを浮かべた。嘘をついてウダウダしているよりは働いていた方がいくぶんか気がまぎれる。

「そらとぶタクシーのご利用ありがとうございます。どちらまでですか?」
「ええ、あのローズ……今はバトルだったかしら?タワーまで行きたいの。お願いね」

うへえ、と思いながらふたり分の荷物をトランクに詰める。噂によればダンデさんはチャンピオンの座を降りてから速攻でローズタワーをバトルの専門施設、バトルタワーに作り変えてそこのオーナーをしているらしい。ついこの間見たニュースを思い出しながら、用意が済んだゴンドラの扉を閉める。相棒の背に飛び乗って慣れた手つきでハーネスについたナビゲーターを起動した。

「それでは出発します。離陸の際は揺れますので、車内の手すりにしっかりお掴まりください」

快晴の青空に飛び立つ。気候はこんなに晴れやかなのに、心はどんよりと曇っている。
でもまあバトルタワーはオープンしたばかりだし、きっとダンデさんは忙しいはずだ。鉢合わせる確率はそんなに高くないはず。空から眺めてもなお高い、その目的地を見つめて祈るような思いで進む。

「やっぱり高いな。アイツは何階にいるんだ?」
「さあ、会ったら聞いてみましょう。……でも、あの子がタワーで働くなんてねえ。なんだか不思議だわ」
「タワーで働くってことは元チャンピオンと同じ職場ってことだろう?ちょっとリーグカードを貰うくらいなら出来るんじゃないか」
「ほんとにふたりして全くもう……」

風の音に混じって下からお客の会話が聞こえてくる。何となく事情が伝わってくる中で、元チャンピオンの話題に微かに胸がざわめいた。以前、彼自身から手渡されたカードに写った輝く姿を思い出す。
偉大な絶対王者。震える肩。もうチャンピオンではない人。
あの時の衝撃を思い出してしまい、もやつく思考を振り払いたくて頭を振る。なるべく何も考えないように無心で空を駆けた。


数十分も飛んでいると目的地に到着した。タワー前に広く取られたタクシーエリアにゆっくりと着地する。先にゴンドラの扉を開けてから、後ろのトランクに詰めた荷物を取り出す。

「お疲れさまでした。この度はそらとぶタクシーのご利用ありがとうございました」

いってらっしゃい良い一日を、と笑顔を浮かべて荷物を差し出す。「やあ、ありがとう」なんて声がかけられたと思ったら、あたりに響く大声で名前を呼ばれた。

「ナマエ!!」

驚いて声の方に顔を向けると、そこには会いたくなかった人物がたたずんでいた。

「え!チャンピオンダンデ?!」

お客様たちが、先ほど話題にしていた人物の突然の登場に驚いて目を見開く。そのまま鞄も受け取らずにダンデさんに寄っていくものだから、荷物を抱えたままのオレはどうすることもできない。

「娘がタワーでスタッフとして働きはじめまして。どうぞよろしくお願いします!……よければリーグカードなんて頂けたりしないでしょうか?」
「いやだ、アナタ!ダンデさんに失礼よ。何かご用があるみたいなのに」
「あ、いや、構わないですよ。応援ありがとうございます」

ナマエ!そこを動かないで、待っていてくれ!

そう釘を刺されてダンデさんがファンサービスするところをぼんやりと見つめる。動くなと言われようが言われまいがお客様の荷物を持っている限りオレに逃げ場はないのだ。荷物を渡して仕事を終えたていになっていれば、この隙に他の依頼が入ったフリくらいは出来ただろうに。ああ、困った。運が悪い。ハア……。

ダンデさんは慣れた所作でカードにサインしてお客様にそれを手渡した。受け取った彼らは嬉しそうに笑うと、荷物を回収して軽い足取りでタワーの方へ去っていく。オレも一緒に立ち去りたいナ……。
そんなことを考えながらチラリとダンデさんの方を見ると、彼はすでにまっすぐにオレに向き直っていた。なんだか妙に勢い付いていて、たじろぎたいような気持ちになる。

「ナマエ!……今は、他の仕事は来てないな?」

確信的にそう言われて引きつった笑いを返すしかない。

「そう……ですね。どちらまでいかれますか?」
「え?あ……町の入り口まで、頼めるか?」

目的地に了承してゴンドラのドアを開けると、ダンデさんはいやにソワソワした様子で中に乗り込んだ。あまり彼を視界に入れないようにしながら相棒の背にまたがる。普段とは違うオレの雰囲気を察したのか、アーマーガアもどこか落ち着かない様子だ。
そうさせてしまう自分自身に嫌気がさしつつ、安心させるようにポンポンと軽くアーマーガアの首元を叩いてやる。
チラリと客用座席に視線を向けるが、この位置からではゴンドラの屋根を見下ろすことしかできない。

……あまり変わらない様子だったな。
そんなことを考えながらいつもの台詞を吐く。

「出発します。車内の手すりにしっかりお掴まりください」

翼が空気を打つ音と共に空へ飛翔した。びゅうびゅうという風の音が耳を撫でる。なんだか妙にイライラした。
なんでオレなんかに構うんだろう。さっきだってわざわざこちらに声かけたりして。タクシーなんて他に呼べばいくらでもいるのに。電話で断ってからしばらく経ってるけど、なんであそこにいたんだ。ああもう。思考が煩わしい。

慣れた手つきのサインも、ファンたちの態度も何も変わらない。確かにチャンピオンではなくなったはずなのに、そこにいるのは変わらぬヒーローだった。
ダンデさんが負けたあの一瞬、オレが見たはずの人間っぽさは成りを潜めている。

チャンピオンは特別だったのか?だからダンデさんの、あの姿を引き出せた?無邪気に笑う子供の姿を思い出す。

ああくそ。あの瞬間までダンデさんがヒーロー然としていることになんの疑問も抱かなかったのに。剥き出しの感情が彼にはあって、オレではそれを引き出せないし、その資格なんてないっていうのが突きつけられて、ムカつく。そんなの当たり前のはずなのに、なんでオレはこうなっちまったんだ。クソ。

自分の中にある執着のような何かは、まだいかんせんこの手にはあまりある。明るい空が虚しくて天を睨みながら目的地を目指してひたすら進んだ。

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