俗人の白日夢

救護担当のところへ行くと「名前……?!珍しいな」と目を丸くされた後でテキパキと治療をされた。傷口を水で洗い流してから薬を塗られ、包帯を巻かれる。「神経には影響がなかったからよかったけど、治るまであんま動かすなよ」と言われてゾッとした。適切な処置を受け先ほどよりマシになったものの、痛みはまだ引かない。
ずくずくとした疼痛に耐えながら、どこか諦めのような心地がした。うるさいくらいに主張する体の痛み。初めて殺意を持って人を害した感触に、震える手。かいた汗がじとりと首すじにまとわりつく不快感。何もかもが、呆れるくらい現実だ。

「……ハハ」

乾いた笑いが漏れた。ひとつは無事にこの戦闘から生き残れたことに。もうひとつは今、ここに至るまでに生きてこられたことに。
おれの場違いな笑いを耳に留め、治療を終えたウニが眉をしかめて長いため息をこぼした。

「……古株だからって、無理してここにいることもないだろうよ。こんな風に、ろくに戦うことも出来なくなっちまったんならなおさらな」

こんな怪我お前ならありえねェだろ、とすがめられた瞳がこちらを見つめる。航海士という職務のあるベポと違って、"名前"は戦闘員だ。他に特殊な技能があるわけでもないのに戦えなくなってしまっては、ただのお荷物でしかないだろう。
ひとりで勝手に居心地の悪さを感じて遠くを見つめる。言葉を返しようがなかった。自分が弱いのは事実で、それをうとましく思われてもしょうがない。弁解のしようもなく、自分の身ひとつ守れない足手まといなのだから。
反応を返せずに無言でいると、ウニはもう一度深く息を吐いてバリバリと頭をかいた。

「……ここで噛み付いてこねェんだから気色悪いよな、本当」
「……ごめん」
「謝んなよ。いっそもうキッパリ別人と考えることにするさ。おれにとってはその方が都合がいいしな。アイツのことあんま気に食わなかったし」

その言葉に顔を上げてウニを見つめる。彼はフン、と鼻を鳴らすと忌々しげに口の端を下げた。

「キャプテンの犬って感じだったからよ。自分で考えてねェっつーか。昔に比べりゃ、今は全然マシだ」

ウニの言葉を聞いて、そういう評価も出来そうだ、と日記で読んだ"名前"の人物像に想いを馳せていると、突然甲板から上がったと思わしき歓声が部屋に届いた。瞬時に緊張したおれに気づかずウニは「はー終わったか」と小さく呟くと肩の力を抜いて椅子にもたれかかる。

「怪我したやつらでごった返すから、治療が終わったやつはさっさと戻れ。宴の準備があるからそっち手伝ってこいよ」

ひらひらと追い払うように手を振られる。気の抜けた態度に、終わったのかとホッと緊張を解いたおれの様子を一瞥してから、ウニが椅子から立ち上がった。
これからやってくるクルーたちの治療の準備のためだろう。器具や消耗品の準備をし始めた彼の邪魔になってはいけないと、小さくお礼を述べて退散しようとすると「おい」と不意にウニに呼び止められた。

「……宴でキャプテンとやりあってたろ?お前降りたがってたけど、実際おれはその方がいいと思うぜ。覚悟のねェやつ乗せといても邪魔になるだけだ。……死なれても寝覚めが悪いしな」

キャプテンも無理に留めることもないだろうに、と続けて呟かれた言葉に気持ちが沈んだ。反論の余地もないほどに全くの正論だ。おれがクルーだったとしても同じことを思うかもしれない。
足を止め、しばしの沈黙を経てから、ようよう考えて口を開く。思い案じるのはいつだって、自分の命のこと。

「申し訳ないけど……少なくとも今は、降りるつもりはないよ」

手のひらをゆっくりと握りながらそう答えた。人を刺した時の感触が鈍く蘇る。
不愉快だった。痛かった。硬かった。重かった。気持ちが悪かった。
なかったことにしたかった。でも、できない。そう、あの時おれは他人の命を奪ってでも自分のことを守りたかった。今もその気持ちは……変わらない。

手のひらをきつく握りこむ。命の危機が去ったと思ったら、なんだか腹が立ってきた。敵愾心が湧きあがる。それはおれがこの世界自体に対して、初めて抱いた怒りだった。おれの命を奪おうとするな。おれから何も奪うな。おれは、何もしていないのに。

「……やり方を覚える。足を引っ張らないようにする」

生きるんだ。負けない。トラファルガー・ローと賭けの決着をつける、その時までは絶対に。

「……お前って」

ウニが何かを言いかけた瞬間、部屋の扉が開いた。クルーたちが戻ってきたのかと思い振り返って、そこにいたトラファルガー・ローの姿に目を見開く。

「キャプテン!……怪我したんすか?」
「違う。名前」

呼ばれると同時にポイ、と何かを投げて寄越される。慌てて両手で受け取って、ぎょっと目をむいた。

「え……銃?本物?」

思わず日本基準な感想をもらしてズシリと重いそれとトラファルガー・ローの顔を交互に見比べる。
トラファルガー・ローは平然とした様子で「使え」と呟いた。

「お前にやる」
「え?あ、待っ!」

それだけ言って立ち去ろうとするトラファルガー・ローを思わず引き止める。こちらを向いた見慣れた顔に、微かに安堵のようなものを感じた。手の中の凶器を握りしめて、先ほどの命の危機を思い出す。

「……助けてくれて、ありがとう」

多分、あそこで彼が助けてくれなかったら、死んでいた。
真っ直ぐに顔を見てから頭を下げると、トラファルガー・ローは少し間をおいてから「ああ……」とだけ返して立ち去っていった。

感謝の念を残しながら、もらった拳銃に視線を落とす。あの島に着くまでは絶対に死にたくない。
戦うことまでは出来なくても、せめて身を守れるようになりたい。常に不安を抱えたままなんて嫌だ。怪我を負った方の腕をそっとさすって、宴の準備のためにおれも部屋を後にした。


偶然生きている
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