俗人の白日夢
その日の夜。そろそろ寝ようと思ってトラファルガー・ローの部屋へやってきた俺は、ソファで寛ぐ彼の姿を見て短く息を吐いた。グラスに入った酒を上品に味わう様を見て、家主が寝るまで待つか、と手近にある椅子に腰を下ろす。
こちらを気にした風もなく、また何かを肴にしている様子もないトラファルガー・ローを見て、ふと考え事を思い立った。酒を飲み下したトラファルガー・ローが息をつくタイミングで「なあ」と彼に話しかける。

「前の俺のことって、好きだったか?」

俺の問い掛けにトラファルガー・ローがピタリとグラスを持つ手を止めた。真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に、俺は探るような視線を送る。暫く見つめあった後に視線を落としたトラファルガー・ローは手近の新聞を手に取ると「今ほどじゃねェ」と呟いた。
ある程度予想していた答えに俺は「そうか」と小さく零して彼から視線を外す。

トラファルガー・ロー自身、ベポの勘違いや俺の自惚れでなく、今の俺の方を気に入っていることが分かった。それが何故なのかは未だ不明だが。
何がトラファルガー・ローの琴線に触れたのかは分かりもしない。ただ、本当の名前のことだけは惜しいと思った。恐らく俺なんかよりも彼の方がよっぽどよい人間だ。なまじ外面が良い分だけ俺の方が真人間に見えるかもしれないが、根本は打算と惰性でできている。それを逐一説明する気はないが、それに気付かぬ内はトラファルガー・ローに心底から気を許すことはできなかった。こんな人間だったとは、と途中で放られることはないだろうが…それでも。

「次は俺から質問しよう」

思考の奥深くで考え事をしていた俺にトラファルガー・ローが突然声をかけてきた。意識を浮上させて彼を見つめた俺に真っ直ぐな視線が突き刺さる。無言で続きを待っていると、こちらを見つめたままトラファルガー・ローが静かに口を開いた。

「名前。テメェの一番大切なもんはなんだ」

恐らく、慎重に吐き出されたであろう質問だった。予想していなかった問いに俺は息を詰まらせる。
一番…大切なもの。

取り留めもなく浮かんできたものはきっと、本当を誤魔化すためのものだ。先程考えていたことを肝に命じながら、考え考え口を開いた。吐き出したのは、一番最初に浮かんで取り繕おうとした答えだった。

「俺は…きっと、俺だ」

何だかトラファルガー・ローと話す時はいつも禅問答のような緊張感を持って話している気がする。正直に答えた俺に、トラファルガー・ローは「そうか」と小さく呟くと、ほんの少しだけ口元に笑みを乗せて笑った。

「お前は、それでいい」

安心したような、大切な何かを口にするように囁いたトラファルガー・ローに俺は肩透かしを食らう。ワンピースの中では自分が一番!みたいな奴は嫌われるだろうと思っていた。俺は少なくともどこかの悪役のように積極的に悪事を働いたりはしないが、それでも心象として良いものではないだろう。
間髪いれず「あんたは?」と問い掛けた俺に、トラファルガー・ローはもう興味を失ったように「俺の一番は俺じゃねェ」とぞんざいに答えると、少しだけ間を置いて何気なくこちらを見つめた。

その後何事もなかったかのように「もう寝ろ」と寄越してベッドの方へ移動を始めた姿を見て、俺もソファへ腰を下ろす。

「(きっと俺でもないだろうな)」

ベポの言葉を思い出しながら自惚れじみた、けれど確信的な思いでソファに寝転がると揺れる天井を見上げながらバンダナたちクルー連中のことを思った。

彼らが可哀想だ。きっとクルーたちの一番はトラファルガー・ローであろうに、彼の目指すものはきっと遥か先だろう。そこまで考えて俺はギクリとひとりでにわななく。もう、他人を哀れむ余裕が出来たというのか。ついこの間まで、自分こそがこの世の不幸の全てを背負っているような顔をしていたのに。自分自身に図星を突かれたような、後ろ暗い思いで瞳を閉じる。全く、良いご身分な自分が矮小で仕方なかった。



見せつけられるのは痛い

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