俗人の白日夢
「なあ、前の…俺って何でトラファルガー・ローのことが好きだったんだ?」

操舵室を後にして一日の作業を終えた俺は、夕食に賑わう食堂で、チャーハンをかきこむシャチに唐突にそう問い掛けた。シャチは口に目一杯詰め込んだ米を飲み下すと「何だって?」ともう一度聞き返してくる。
それに同じ問いを返すと少し考え込んだあとで「知らねェ!」と快活に答えた。知らないのか…。

「何かもう気がついた時にはああなってたしなぁ。大体人の惚れた腫れたにそんな突っ込んだりしねぇよ」

「そうか…じゃあシャチはその…男を好きになったことってあるか?」

「はあ?!」

俺の言葉にシャチは「ねーよ!」と大きく身を震わせて叫んだ。「だよなぁ…」と呟く俺を怪訝な表情で見つめて覗き込む。

「今度は一体全体なに考えてんの?」

「いや…何考えてるっていうか…。前の俺の考えてたことを知りたくて」

男に恋愛感情を抱く気持ちが知りたいとは流石に言えず、ぼんやりと誤魔化しながら答える。「お前って定期的に思い出したように昔のこと聞くよな」と呆れ顔で呟いたシャチはチャーハンをひとくち食べると、少し考えた後で何か閃いたように話した。

「ああ、そういえば名前の奴日記とかつけてたっぽいぜ。名前の癖に。多分ロッカーん中にでも入ってるんじゃねぇか?」

「日記?」

それはいい。きちんと書いてあれば良い資料になる。

「ありがとう、シャチ」

シャチに礼を言って立ち上がるとヒラヒラと手を振られたのでそれに片手を上げて応えてロッカーへ向かう。

クルーの簡単な荷物は大部屋の側のロッカーに保管されている。個人的な荷物の無い俺は今まで滅多にロッカーを開けることがなかったうえ勝手に他人の物を漁るのも気が引けたため、そこに日記があるというのは盲点だった。パイプの入り組んだ通路を渡って目的のロッカーの前に佇む。名前の名前を探して戸を開けると以前開けた時と変わらない様子の中身が姿を現した。ギチギチに物が詰まっているロッカーもあるが、彼のものは整然と片付いている。どちらかといえば物が少ない方だ。金貨の入った袋や手紙の束、煙草のケースを除けて一番奥にある数冊の本に手を伸ばす。埃っぽい医療本と冒険譚らしき冊子の中から、表紙に何も書かれていない地味な一冊を抜き取った。本を開いて中に綴られた手書きの文字に確信する。これだ。彼の日記だ。
指で背を撫でてから静かにページをめくる。一番古い日付からパラパラと読み進めていって俺は短く息を吐いた。

それはただの、愛の言葉の羅列だった。ここまでいくと彼の…というよりはトラファルガー・ローの観察日記である。ほとんどのページがトラファルガー・ローの起床から就寝まで、どんなことをして何を言ったかばかりで埋められている。名前自身のことが書かれているのは何度バラされたかとその日何を食べたかくらいだ。あとペンギンの話もたまにだが書かれている。ベポへの嫉妬に白熊への変身願望…この辺はもういいか。

頻繁に目にした言葉は"好きだ"、"愛してる"、"キャプテンの為なら死ねる"。
ありきたりだけれど熱烈な…愛の言葉だった。ストーカーっぽいというか、行き過ぎな嫌いはあるが、けれど彼自身が真剣だったことはよく分かる。どれほどトラファルガー・ローのことが好きだったか。どんな風に彼に愛を告げていたか。やり方事態は全くもって理解し難いが、これだけはハッキリと分かった。
前の名前とやらは、至極真っ当にトラファルガー・ローのことを好いていた。それは男女の恋愛となんら変わりなかった。この冊子では書かれていなかったが、何かのきっかけで誰かに惚れ、そして必死に相手に自分の気持ちを伝えようとした。彼には相手から好きになってもらう努力が足りなかった…というか完全に順番を間違えているが、それでもこれは恋なのだろう。真っ直ぐで…それ故に気持ち悪い奴なのだ。俺とはまるで正反対な。


俺は静かに日記を閉じる。そして丁寧に元の場所へ戻した。

日記を読む限り、彼とトラファルガー・ローの間に俺が考えたような特別な関係はなかった。全く周囲の見たままの関係性だったのだろう。どこか当てが外れたような気持ちになりながらロッカーを後にする。ベポの話が正しかったとして、どうして俺を?あの日記の状態からいきなりまともになったクルーに、違和感でも覚えただけじゃないだろうか。いなくなってから相手の大切さに気づいたとか。だとしたら、トラファルガー・ローが好きなのはやっぱり俺じゃない。

だくだくと考え事をしながら通路をひとり歩いていく。何にせよ、俺ひとりで思い悩んだところで答えなど出るはずもないのだけれど。



誰も読まない恋文


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