俗人の白日夢
それをペンギンから聞いたのは、つい昨日のことだ。


「名前が泣いていた」


そう俺に教えてくれたペンギンは心配そうな面持ちをしていた。俺は驚くと同時に、ペンギンのことも心配になる。この船でキャプテンを除いて(?)名前と一番親しかったのはペンギンだからだ。親友がいきなり自分のことをすっかり忘れてしまっていたら、俺だったらかなりショックだ。

俺の心配そうな視線に気付いたのかペンギンは軽く笑って俺のキャスケットのツバを握るとギュッと深く被せてきた。ンガッと声を漏らす俺に笑い交じりのペンギンの声が降ってくる。


「どんな風になったとしても、名前が仲間だってことは変わりないし、あいつはあいつのままだ」


何かあったみたいだったし、元気付けてやれたらいいな。

そう言ったペンギンの言葉に静かに頷く。記憶喪失になったとはいえ、名前は変わらずに俺たちの仲間だ。仲間が落ち込んでいたら元気付けるのは当たり前。そして、その一番手っ取り早い方法が、酒である。


持ち回りが終わって食堂へやってきた俺たちは早速その場に居合わせた周りの連中も巻き込んで盛大な酒盛りを開催する。最初は食事をしながらチビチビと飲んでいた名前にも、ガンガン酒を注いでキャプテンのことを語った。最初はセーブしつつも話を聞いていた名前だったが、そのうち注がれるままに飲むようになる。俺たちは代わる代わるキャプテンの話をした。旅の始まりやハートの海賊団の成り立ち、キャプテンが名を上げたロッキーポート事件、意外と好き嫌いが激しいこと、キャプテンの格好いいエピソード。

みんな潜水中で溜まっていたのだろう、一度飲み始めるとあっという間に船は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになった。もともとあまり酒に強くない名前だ。半分も話した頃には既に出来上がっていた。今はゆらゆらと体を前後に揺らしながらベポに寄りかかってこちらに耳だけ傾けている。ベロベロに酔った名前に気を良くした俺は陽気に笑って奴に体当たりをした。「おわっ」と声を上げてこちらを振り返った名前は目も顔も真っ赤になっている。


「おー、キャプテンの話はこんなもんだ!次は名前の話をしてくれよォ!」

「アー?おれの話?」


首を傾けた名前は怪訝そうな顔をして俺を見つめる。普段より表情が豊かになっているようだ。渋るようなそぶりを見せた名前だがベポが「名前の話?」と興味を持つとハー、と息を漏らして俺を見つめた。


「最初に言った。お前ら俺の話聞かなかっただろ!」

「そんなことねーよ!な、ベポ!」

「アイアイ!名前の話、聞きたい!」


名前は逡巡するかのように口を閉口させると一気に酒を煽る。そして「俺は…」とゆっくりと口を開いた。


「俺は凡庸で特徴もない、至って普通のサラリーマンだよ。それが気が付いたらワンピースの世界にいて、主人公のライバル的なアレの船に乗ってて、訳の分からんままこうして酒を煽ってる!」


名前がそう叫びながらキッとベポを見上げる。そして「見覚えあるんだよ!」と喚いた。


「でもそれだけだ!俺はお前らのキャプテン大好きな名前でも、この船のクルーでもない!ちゃんした一般企業に勤めてたんだ!こんな…こんな夢と希望のワンダーランドの住人じゃない!」


そう言って勢いのままに立ち上がった名前は、ふらつきながら食堂を扉の方に向かって歩き出す。呆気に取られた俺たちは呆然とその姿を見守るしかなかった。
八割なに言ってんのか分かんねぇけど…名前ってこんな酔い方だったっけ?

途中つっかえて壁に頭をぶつけた名前が「イテェッ!」と叫びながら額を押さえる。そして頭を抱えたまま、ようよう口を開いた。


「帰りたい…。頼むから誰か助けてくれ。帰りたいんだ。家に。もとに。俺は」


ふらりと名前がこちらを向いた瞬間、食堂の扉が勢いよく開いた。あ、キャプテ


「俺の居場所は、ここじゃない!」


瞬間、痛いくらいの静寂が室内を支配した。恐らくキャプテンはどんちゃん騒ぎをし出した俺たちを窘めに来たのだろう。しかし名前の言葉に、一気に顔色が変わった。

なんかやべぇぞ。キャプテン冗談通じねぇし、勝手に酒盛りして騒いでたってだけで結構まずいのに…名前。


「…何をしている」


低く響いたキャプテンの声にゆっくりと名前が振り返る。そして短くああ、と息を吐いて「ちょうど良かった」とキャプテンに向き直った。


「確かもうすぐ次の島に着くんだよな?俺、そこで降りる。帰らなくちゃならない…今までいろいろとありが」


その言葉は最後まで続かなかった。


「ROOM」


無表情を張り付けたキャプテンが静かに呟く。途端室内に展開されたサークルに俺たちは皆一様に身を固くさせた。名前は酔っているのかサークルの存在に気付いていない。


「シャンブルス」


低くて重いキャプテンの一言と共に、名前の身体がバラバラと宙を舞った。綺麗に切断された首がそのままキャプテンの持っていたランタンと入れ替わり、手のひらの上に落ちる。息をつく間もない衝撃に名前は気を失ったようだった。重い沈黙が数分前まで賑やかだった食堂を支配する。


「…こいつは俺の部屋にぶち込んでおく。許可無く絶対に室外に出すな。あとシャチは散らかったこいつの身体集めたら、俺の部屋に持って来い」


ギロリとこちらを見つめた瞳は猛禽の様に鋭い。漸く「アイアイ…」と返事を返した俺たちを一瞥してキャプテンは名前の生首を乱暴に掴むと荒々しく食堂を後にした。俺たちは呆然としてその場に取り残される。
散乱した名前の身体はまるで死んだかの様にピクリとも動くことはなかった。



酩酊の部屋


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