俗人の白日夢

「おい、そろそろ起きろ」


微睡みの上から降ってきた声に俺はバチリと目を開いた。トラファルガー・ローの声?
ぎょっとして跳ね起きると既に身支度を整えたトラファルガー・ローが俺を見下ろして佇んでいた。俺はサッと顔色を青くする。まずい、寝過ごした?


「…お前は、今日はソナーの監視だ」


そう呟いたトラファルガー・ローに慌てて礼を言うとすぐさま起き上がって部屋を飛び出した。


管理室に着くと既に同じ当番のシャチとバンダナが計器をいじりながら何か作業を行っていた。「遅れてすまん!」と慌てて駆け込むと「遅いぞバカ!」と叫んだバンダナにモニターの前に座らされた。どうやらこのソナーに異物が映らないかどうかを見張る仕事らしい。席について一息つくとニヤニヤとした笑みを浮かべたシャチが、どかりと隣に腰を下ろした。


「フフン、遅刻野郎」

「…シャチだってちょいちょいしてるだろ」

「だからだよ!お前も連発してバンダナに目をつけられるといい」


「あいつはマジで厳しいぞ〜」とシャチが楽しそうにこちらを見て笑う。成る程、だからシャチは当番をバンダナと組まされることが多いのか。納得の人選である。


「バンダナはキャプテンの次に怖いからな!名前も気をつけろよ!」


そう息巻くシャチを見て俺は「ん?」と疑問符を浮かべる。バンダナが厳しいのは何と無く分かるが…トラファルガー・ローもなのか…?今朝のことを思い出して首を捻る。


「…朝寝過ごしたときトラファルガー・ローに起こされたんだが」


それはやっぱりまずいよな?と聞こうとした言葉は振り向いたシャチの間抜け面を見て音を失った。ぽかんとして俺を見つめたシャチは一拍おいて「はァーー?!」と叫んだ。後ろからバンダナが「うるせぇ!」と怒声をあげる。


「おまっ…何で五体満足でいるんだ?!」

「は…?なんだそれ。寝坊すると殺されるのか?…マ…ジで?」

「いや殺されはしねぇけど!そういう話じゃなくてなんでお前無事なんだよ!」

「寝坊したくらいでそんな恐ろしい目にあってたまるか…。何なんだ?サンドバッグにでもされるのか?そんなにまずいことしたのか俺は?」


でもトラファルガー・ローなら…やるのか?なんていったって海賊船の船長なのだ。いや…でも。俺はトラファルガー・ローのことを寝床の一件から思ったより優しい人間だと思っていたんだが…。俺の認識が甘かったのか?


「普通だったら目ェ開けた瞬間バラバラだっての!怒られたりしなかったのか?何したんだ?」

「特別なことは何もしてない!…と思う。普通に声掛けて起こされて…焦ってたから、今日の当番教えてもらって慌てて出て来たんだ」

「今日の当番ン〜?」


シャチが信じられない!という顔をして目を見開く。もしかしたら、急いでこっちに来たから絞める時間がなかっただけかもしれない。そうだとしたら、これからそのバラバラとやらにされるのではないだろうか。怖すぎる。

俺が顔を青くさせていると、深刻そうに頭を抱えたシャチが深く息を吐いて俺を見つめた。


「いいか、名前。キャプテンは俺たちに指示することはあれど一人一人の細かい当番なんて覚えてないんだよ。んなこと把握してなくても指示受けた奴の穴埋めは誰かがするし、サボってれば分かるし、船は廻るもんだ。それなのにキャプテンがお前の当番を知ってたってことは、キャプテンがお前の当番をチェックしてたってことなんだよ」

「…何でトラファルガー・ローはそんなことを」

「そんなのこっちが知りてぇよ!あの無駄なことはしないキャプテンが!」


名前…お前本当にキャプテンに何したんだ?

そう問いかけるシャチはまるで奇妙なものでも見るような目で俺を見つめる。


「…何もしてない。だいたいおれはトラファルガー・ローがどういう人間なのかだって…」


そこでハッと気が付いた。そうだ。そういえば俺は、トラファルガー・ローがどういう人間なのかさえよく知らないのだ。ある意味俺の生死を握っている人物だ。いや、生死だけじゃなく最早俺が帰れるかどうかの運命さえーー。


「…トラファルガー・ローってどんな人間なんだ?」


俺が問いかけるとシャチは複雑な表情をして「お前の方が知ってるだろ」と呟いた。
知るわけがないのだ。俺が彼のことなど。トラファルガー・ローは俺にとって漫画のいちキャラクター以上でも以下でもなかった。それが、今では命を持って俺の目の前で呼吸をしているのである。主人公の敵でも、ナントカカントカのルーキーでもなく、俺の乗っている船の船長として。俺にソファーを貸してくれて、俺を朝起こしてくれた一個人として。それが一体どういうことなのか、俺はもっと考えてみるべきなのだろう。


「もっと、彼のことが知りたいんだ」


懇願する俺にシャチがサングラスの奥で目を丸くする。そして少し考え込んだあとで「分かった」と神妙に頷いた。ありがとう、と口を開こうとすると、ニカッっと笑ったシャチが大きく口を開いてあたりを見渡す。


「だったら今日は飲まなきゃな!もうすぐ次の島にも着くはずだし、みんなで一杯やろうぜ!」


イエーイ!と声を上げたシャチに応えて周りのクルーも歓声を上げる。いや、別に飲まなくても良いんだが。まあいいか。呆れた顔ではしゃぐクルー達を一瞥してモニターへ視線を移す。

何をしたんだ、とシャチは俺に問いかけた。それを問いかけたいのは、俺も同じなのだ。ずっとそれを誰に問いかけたら良いのか模索している。答えてくれる声も人物も、未だに見つかってはいないけれど。



迷子のヨルベ


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