俗人の白日夢
暇っていうのは本当に碌なものじゃないとつくづく痛感した。延々と答えの出ない思考の坩堝に恐ろしくなってきた俺は一旦全て忘れて不貞寝を決め込むことにした。健やかな就寝環境があるというのは素晴らしいものである。早速昨日覚えたトラファルガー・ローの部屋へ向かうと部屋の中では既に主がソファーの上で本を読んで寛いでいた。


「(…寝れん)」


まあ、何にせよ部屋の主が優先だ。非常に残念に思いつつ、すごすご引き下がろうとするとトラファルガー・ローが俺をチラリと見て「どうかしたか?」と声を掛けてきた。まあ…どうかしたかったから来たんだが。出来なかったわけなんだが。

気を遣って「別に何でもない」と答えると何故か「座れ」と隣りを勧められた。何故だ。しかし断る理由もなかったので、そろそろとトラファルガー・ローの隣に腰を下ろす。トラファルガー・ローは俺を隣りに座らせると読書を再開させた。

何なんだ…用があったから座らせたんじゃないのか…分からん。

俺はチラリと隣の端整な顔を見つめる。漫画と変わらない、非常に整った顔だった。今まで接触することは度々あったが、その中でもかなり近づいた部類に入ると思う。彼の醸し出す威圧感が俺は少し苦手だった。所謂オーラとでもいうのだろうか。流石に若くして海賊団を纏めあげるだけのことはある。人はこのような雰囲気の人物に着いていきたいと強く思うのだろうか。俺には、その気持ちはよく分からない。


ぼんやりとそんなことを考えていると不意にトラファルガー・ローと目が合って彼がパタンと持っていた本を閉じた。読んでいてくれて構わないのに、と思いながら閉じられた本を見ていると正面に強い視線を感じて顔を上げる。トラファルガー・ローが俺のことをジッと見つめていた。え…何?


「名前、お前のことを話せ」


突然のことに思わず「はい?」と溢してしまいそうになる。俺のことって…何?
トラファルガー・ローが何を言っているのか分からなかった。俺にとって、彼という人物は時々難解だ。


「あんたの方が…よく知ってるんじゃないか…?」


だって、俺はこちらについて何も知らないのだ。この体の持ち主についてなら端々で耳にしていたため少しなら知っているが、それでも船長たる人物に比べると何も知らないに等しい。俺が彼について知っているのは、彼がいたくトラファルガー・ローに執心していたことと故郷がノースブルーだったことくらいなものだ。それ以外については何も知らない。

しかし、俺の言葉にトラファルガー・ローは眉を寄せて「違う」と呟いた。違うのだったら、一体何を俺から聞きたいと。


「"お前"について聞きたいんだ、俺は」


何、を。

俺は言葉を失う。トラファルガー・ローは気付いたというのだろうか。"俺"が"彼"ではないことに。本当は記憶喪失なんかじゃないということに。

突然核心を突かれたような気がして俺は取り乱した。うまく言葉が出てこない。当然だ。こんなことを聞かれるなんて思わなかった。だって、散々否定されたのに。話なんて通じなかったじゃないか。どうして。


「お前…」

「……あ?」


気が付いたら、涙が溢れていた。予期していなかったそれに俺は焦る。

どうして、俺は。泣いて。何だよこれ。止まらない。

狼狽してトラファルガー・ローを見つめる。彼はこちらを見たまま驚いた表情で固まっていた。無理もない。俺自身も困惑している。


「…っすまん」


焦って席を立った。そのまま駆け出すように部屋をあとにする。顔を洗いたい。猛烈に。背後から感じる視線は部屋を出るまで続いていた。



あなたは何を知ったの


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