!六年主
!霊感






私が慕うその人は私のことを姫と呼ぶ。


「おはよう、姫」


体育委員会の朝錬後、長屋前の井戸で汗を流していると後ろから声をかけられた。
聞き間違えようのない恋慕う人のそれに私は慌てて振り返る。
するとそこには柔らかな微笑を浮かべてこちらに歩み寄る苗字先輩の姿があった。


「お、おはようございます!苗字先輩!」


私としたことがああっ!
苗字先輩の前でこんな格好…!

今の私ときたら七松先輩の裏山いけどんマラソンのせいで自慢の髪はくしゃくしゃ、服は土埃まみれ、顔も小さな切り傷だらけなのだ。
サッと髪を背後に隠しながら手にした手拭いでさりげなく顔を隠す。
苗字先輩は私の行動に気づいた風もなく私の姿を見ると呆れたように息をついた。


「姫、裏山に行ったでしょう。小さいのがたくさんついている」


苗字先輩が私の何もついていない肩の辺りを手で何度もはたく。
私はそれを黙って甘受した。
今となってはこれも、日常茶飯事だ。


苗字先輩は所謂"見える人"だ。
私には全く分からないが先輩には幼い頃から人成らざるものが見えるらしい。
それはこの学園では結構有名な話で、斯く言う私もそれがきっかけで委員会も全く違う苗字先輩と親しくなったのである。

その時のことは、今でも忘れることができない。


当時(というか今もだが)苗字先輩は人当たりがよく優しくはあるものの、何処か一歩引いていて一定の距離感を持っている方だった。
それは誰に対しても同じで他人と違うところがあるという引け目もあったのだろう。
しかし私との初対面、苗字先輩は私を見て大きく目を見開いた。
そしてたった一言こう言ったのだ。


「(綺麗だ)」


「姫?」


記憶の中と同じ声音にハッとして顔をあげる。

苗字先輩は心配そうにこちらを見つめていた。
優しい指先がそっと額に触れる。


「大丈夫?当てられたかな…。そんな強い感じではなかったけど。私は見ることしかできないから」


それとも本当に体調悪い?と首を傾ける苗字先輩に私は慌てて首を振る。

すると苗字先輩は顔を綻ばせて笑った。


「よかった。まあ、姫には彼女がついてるからよっぽど大丈夫だと思うけど」


彼女。


その言葉にズキリと胸が痛む。

苗字先輩曰く、私には大層美しい姫君の霊がついているらしい。
それが守護霊なのか前世なのかは先輩にも分からないらしいがどうやら悪いものではないようだ。
苗字先輩はこの姫君をとても気に入っており、初対面での台詞もこの彼女に宛てたものである。

それ以来苗字先輩は私を姫と呼んでいる。
見えもしない彼女になぞらえて。


「彼女は姫を守ってるから」


そう言って先輩は温かい熱の籠った瞳で私の頭二つ分上を見上げた。
私はそれを見て手のひらを強く握りしめる。


苗字先輩。
私は例え守る者がいなくなったとしても、彼女なんていない方がよかったです。
先輩に滝夜叉丸って呼んで、私を見てもらえるなら彼女なんていらない。
私には見えない彼女はそんなに美しいですか?
苗字先輩の心を奪ってしまうくらい…麗しいですか?

先輩。
苗字先輩。

私、髪の手入れも肌の手入れも一生懸命しています。
鍛練も、早く先輩に追い付けるように頑張ります。
戦輪の扱いだったら誰にも負けません。

苗字先輩。

それでも私は彼女に足りませんか?
見えない彼女はそんなに素晴らしい人ですか?


こっちを、見てください。
お慕いしているのです。
苗字先輩。

私の名前は姫ではありません。
私の後ろには誰もいません。


滝夜叉丸って…呼んでください。

どうか。


「姫?」


あなたは見えないものは見えるのに、あなたに焦がれる私のことは決して見てくれない。





死んだ女はそれでも微笑む

(これは、確かに悪霊だ)


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