!四年保険委員主
!ネガティブ



「善法寺先輩聞いてください。さっき俺の前を黒猫が横切りました。俺はもう駄目なようです」


「その噂が本当だったら僕はもう数えきれないくらい駄目になってるよ…名前」


ふたりきりの医務室。
部屋の隅で薬の分量を量りながら暗い顔で呟いた名前は僕の言葉にいいえ、と頭を振った。

「それは善法寺先輩の運が良かったからです。俺だったら確実に何か起こります。そんな気がします。きっと、とてつもなく良くないことが…」

そう一息で言って深くため息をつく名前に僕は苦笑を浮かべた。

全くこの後輩は悲観的に過ぎる。
こんなことを言ってばかりいるが実は彼はこの不運な者しか集まらない不運委員会とも呼ばれている保険委員会の中で唯一不運ではない人間なのである。
穴があれば落ちる、石があれば躓く保険委員会でそのどちらとも回避出来る人間は大変貴重だ。
事実、常日頃から不運でない彼にはずいぶん助けられてきた。
先日行われた予算会議でも唯ひとり作法の罠に掛からず最低限の予算をもぎ取ってきた出来事は記憶に新しい。

兎も角、そんな保険委員の中では異質ともいえる彼が不運であるなんて、考えられもしない話だった。


「僕に運が良いと言うなんて名前くらいなものだよ。今日だって君が通り掛からなかったら僕はずっと綾部の掘った穴の中で出られずにいただろうに」


「あれは喜八郎の掘った蛸壺が秀逸なだけです。というか、もしかしたら俺が昨日そうやって喜八郎を褒めたから喜八郎が調子にのって医務室の近くに蛸壺乱発したのかも…。あああ善法寺先輩すいません!きっと俺のせいだ…」


使っていた秤をガタンと傾けさせて名前が僕に頭を下げる。

ここで秤をひっくり返しちゃわないのが僕みたいのとは違うんだけどなぁ。

尚も深刻そうに表情を暗くさせる彼に呆れ混じりに眉を下げる。

しかし彼はどうしてこんなにも悲観的なのだろうか。
名前はもともと僕みたいに運が悪くないし忍としても座学、実技共に優秀だ。
おまけにアイドル学年に属しているだけあって顔も男前で整っている。
委員会でも教えることはおろかフォローされてばかりだし。
僕は不運でドジばっかりしてるし…。

言っててだんだん悲しくなってきた。
もし名前に嫌われてたらどうしよう…。


「俺、また何かしたでしょうか」


顔を青ざめさせていた僕を名前が不安げに覗きこむ。

しまった。
また要らぬ悲観をさせてしまったようだ。

僕は訂正しなくてはと慌てて首を横に振る。


「違うんだ。名前はどうしてそんなに悲観的なのかなって…。聞いたところによると入学してすぐの頃は普通だったそうじゃないか。一体何がきっかけだったんだい?」


僕が問いかけると彼ははあ、と一言だけ気のない返事を返して薬を量る作業を再開した。

流れるような手付きで行われるそれに室内はさらさらという粉末の音で満ちる。
僕は広げてある数十種類の粉末の間をまるで蛇のように迷いなく滑る彼の指をじっと見つめた。
少しだけ間をおいて名前が口を開く。

なんでもないような口調の彼の声だけが医務室に響いた。


「善法寺先輩と、会えたことです。俺の人生におけるすべての幸運は善法寺先輩と出会うことに使ってしまいました」


だからきっと俺はこれからそのツケを払わなくてはいけないでしょう。
だって今も先輩の傍に居られて、これだけ幸福なのですから。


僕は彼の言葉に驚いて、おどろいて。

ああ、吃驚した拍子に煎じていた薬も名前の使っていた秤も全てひっくり返してしまった。
しかも偶然混ぜ合わせては不味い粉末同士が混ざってしまい、慌てて回収しようとして躓いた僕がそこに倒れこんだせいで締め切っていた室内に広げていた粉末たちが舞い上がる。


「えふ…ッ!げほげほげほッ!!ご、ごめん名前!」


「ゴホッ!俺は大丈夫です…ッごほん…!善法寺先輩すいません。俺が変なこと言ったせいで…」


申し訳なさそうに顔を歪めた名前が直ぐさま換気しようと僕の後ろにある障子へと駆け寄る。

僕に近付いてくるその姿を見て思った。

その手をとったらどうなるだろう?
ぎゅっと抱きついてみたら?


僕が名前のことを好きだと彼に言ったら、名前は今度こそ明日死ぬとか言い始めるかもしれない。









これこそ運命

(僕の不運がこのためのものだとしたら)(なんと幸福な不運なのだろう)


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