そもそも八月二十八日に祝福されるのは以前の櫂トシキであって、生まれ変わった櫂トシキには必要のない、むしろ捨て去るべき日であった。だというのに、古き己を捨て去れと促した人物は、にこやかに出迎えて大きなホールケーキを準備していた。 「さあさあ、椅子に座って」 楽しげに手を引く立凪タクトに言われるまま腰を下ろすと、目の前には切り取らず丸い形を保っているケーキ。まさかまるまる一つ食べろと言うのだろうか。目で訴えると少年は首を横に振り、否定の意を示す。ならばどうしてだと言葉を待つと、彼は何かを手に取った。それは蝋燭と似ていて、しかし、祝いの場には有り得ないものだ。それに火をつけた彼はケーキに挿す。立ち上る煙は白檀の香りがした。 「おい、これは、」 「前の櫂トシキのお葬式ですよ」 想像していた通りの回答に、ああ、と納得をする。なるほど趣味が悪い。前の櫂トシキの葬式を挙げるのが、よりにもよって誕生日とは。同じ櫂トシキだから同情しよう。可哀想に。虚無たるヴォイドの代理人に、自身が殺される原因となった者に、こんな形で祝われるなんて。 ―――けれども。 フォークを手に取ってケーキに乗る生クリーム付きの苺にぐさりと挿した。そして口に運び味わい咀嚼する。苺の酸っぱさとクリームの甘さのバランスがちょうど良くて美味しかった。 「どうですか?」 「…ああ、最高の日だ」 ぺろりとクリームを舐めて口の中に広がる味は、どんな最高級のディナーを食べても味わえないだろう。勝利の美酒にも似た感覚だった。完全なる決別。今日がその日なのだ。以前の櫂トシキと同じ日だが、それはそれで良しとしよう。 「では乾杯しましょう」 「そうだな。奴の弔いに、俺の誕生に」 「「乾杯」」 ***** 「あ、過ぎちゃいました」 自室でデッキの調整をしながら時計に目を向けると、長針と短針は重なり合っていた。さっさとメールを送信するつもりだったのに、と雀ヶ森レンは使い慣れない携帯電話を手に取り、送る文章を打ち始める。送り先である彼に電話ではなくメールという連絡手段を取るのは、以前に誕生日だからと電話を掛けたところ、もう寝ているのに何度も電話を鳴らすなと怒られたせいだ。祝うためなのにとガッカリしたレンに、彼はならばメールにしろと提案したのである。始めはレンも渋ったものの、着信拒否にするぞと怒られたので、仕方なくメールという手段にしたのだ。 「んー、なんて送りましょう」 先日のフーファイタービルでの一件を思い出し、彼は大丈夫だろうかと考える。惑星クレイやPSYクオリアに関係のない彼なら、もし巻き込まれても彼は強いから、きっと問題ないだろうけど。妙な胸騒ぎがするのだ。 「ねえ、櫂。僕はまた置いて行かれるような気がするんです。何故でしょうね。君との関係に変わりはないのに。僕はもう不安なんて何一つないのに」 櫂トシキは強いファイターだ。だけど僕も強くなって、櫂の隣に並び立てるようになったはずだ。なのに、どうして遠くに行ってしまったと思うのだろう。 自然と携帯電話を持つ手は震えて、不安は焦りに変化していった。一刻も早く、安心したい。誕生日のお祝いという名目で、ただただ無事かどうかの確認のためにメールを送信した。 「…櫂…」 早まる鼓動を抑えるようにベッドにうつ伏せになった。もちろん携帯電話は握りしめたまま。 「大丈夫…大丈夫です…櫂は、強いんですから…」 その言葉が櫂を縛り付けていたことに気付いたのは、それからまもなくのことだ。 ***** にしてもあの馬鹿野郎は部活もサボって何やってるんだか。溜め息を吐くと森川も井崎もすぐに櫂のことだと気付いて、学校にも来なくなったみたいですよと話し始めた。ファイトする気にもなれなくて、何となく、ぼーっと窓際で空を眺める。そうして気付けば夕暮れになっていた。森川も井崎も早々に帰宅し、部室には俺一人。今日も来なかった親友の姿を思い浮かべながら、鞄から小包を取り出した。 「あーあ、結局、今年も過ぎちまったなあ」 せっかく選んだのに、と綺麗に包装された小包は、櫂へのプレゼントだ。櫂と再会してからの日々の思い出を形として留めるために、なんて、我ながら女みたいだけど。 連絡の来ない櫂の携帯電話にメールを送る。誕生日おめでとう、と、一言だけ。 ふと脳裏に浮かぶのはVF甲子園での櫂の横顔。 「櫂…」 ―――お前は一人じゃないんだから、もっと頼れよな。 言いそびれてしまった言葉を思い出し、だけどメールではなく、今度会った時に直接伝えようと思った。あの時伝えていれば、と後悔することになるのは、もう少し先の話。 ***** 僕があの日あの場所で君と出会わなかったら、僕の世界は閉じられたままだった。僕の世界は狭いままだった。だから僕に世界を開く鍵を渡してくれた君には、僕に世界が広いと教えてくれた君には、感謝しきれない。今もこれからもずっとずっと大切な人だ。 君が闇に堕ちたと知った時、僕は後悔した。どうして気付いてあげられなかったんだろう、って。僕が闇に飲み込まれた時、君はすぐに気付いてくれた。なのに、君が悪しき力だと分かっていても手に取ってしまう程、追い詰められていたことに、悩んで苦しんでいたことに、気付けなかった。 だけど一つだけ、良かったこともある。 「櫂くん、僕はね、君に感謝をしたいんだ」 「…感謝…?」 意味が分からないと怪訝な顔をする彼の目元には赤黒い紋様が浮かび上がっていた。それはリバースした者の証、ヴォイドに魂を捕らわれている者の証。 「今の君と前の君は違うのかもしれない。だけど僕にとって櫂くんは櫂くんなんだ。どんなに変わり果てても、生まれ変わったとしても、櫂くんに変わりはないんだ。だから以前の君を否定しても、別人だと決め付けても、君のおかげで僕はまた一つ、櫂くんを知ることができた。僕はまた一つ、櫂くんに近付けた。だからね、僕は、」 「言うな!」 制止の声を上げた彼の表情には明らかな戸惑いがあった。拒絶するように、威嚇するように、禍々しいオーラが彼から放出される。けれど僕は言葉を紡いだ。 「櫂くん」 「…っ」 それは心からの感謝と祝福だから、僕は満面の笑みを浮かべる。 「生まれてきてくれてありがとう」 大きく目を見開いた彼はふらりと後退りをした。まるで幼い子供のように耳を塞いで、カタカタと体を震わせていた。ファイト中にも関わらず、僕は駆け出して、櫂くんを力強く抱き締めた。抵抗はなかった。見上げれば彼の瞳からは透明な雫がぽろぽろと零れ落ちていて、そっと手で拭うと、目元に浮かぶ紋様は次第に泣き跡へと変わっていった。ああ、これは心が流した涙の痕だったのか、と今更ながらに思った。 - - - - - 誕生日祝いにならなかったgdgd話。 |