シック・ラバー | ナノ


▼ 待ってる

いくらメールをしても返事がないし、電話をしてもずっと留守電のまま。一体何がどうなっているんだと不安になって家に向かった俺が見たのは、ベッドの中で一人唸っているひふみの姿だった。

「瑞貴…?」
「お前なぁ…なんですぐ俺に言わんの?電話出らんし、すげー心配したんやぞ」
「いや、単に気力がなかっただけ…」

いつもは生白い肌が熱のせいか真っ赤になっている。むしろこっちの方が健康的な色してないか、と思ったが口に出すのは止めておいた。

「会社は?」
「今日は休み…明日はある」
「休め」
「んー…」
「なんなら俺が連絡しようか?」
「アホか…んなことせんでいい…つうかもう連絡したし」

本当かよ。

こんな状態のこいつをここに置いていくのは少々気が引けるが、しかしこのまま何もせずにいるわけにもいかない。冷蔵庫の中は案の定空っぽだった。普段何食って生きてんだ。

仕方ない。一旦出かけていろいろと栄養のあるものを買ってくるか、と立ち上がった俺の服の裾を、弱々しい指先がそっと掴む。

「…どこ行くん」
「どこって、そこのスーパー。飲み物とか冷えピタとかいろいろ買ってくる」

いや、不満そうな顔されても。

「心配しなくてもすぐ戻ってくる」
「そんなの後でいい」
「いいわけあるか、バカ」

ベッドの淵に腰掛けその額に手のひらをあててみると、触れた感じではかなり熱かった。38度くらいはありそうだ。

「ここにいて欲しい?」

ひふみが小さく頷く。…くそ、ちょっときゅんとしたじゃねぇか。

「じゃあお前が眠ってる間に行くから、とりあえず寝ろ」
「ん…」

弱っているせいかいつもより聞き分けがいい。いつもこうならいいのに、と思いながら俺はしばらくそのままひふみの髪を撫で続けていた。



買い物を終えて戻ってくると、まだひふみはベッドの中で寝息を立てていた。冷えピタを貼ってやりたいが、折角眠れたところを起こすのは気が引ける。目を覚ましたときでいいだろうと買ってきた箱をテーブルの上に置いた。

そういえば、明日ちゃんと会社休むって言ってたよな。いや無理矢理にでも休ませるけど。念のため今日は泊まることにしよう。

ベッドの脇の床に腰を下ろし、鞄の中に入れてきたノートパソコンを開く。卒論だ。

幸いなことに教員採用試験には何とか合格をしているので、就職という大きな山は越えた。だがこの卒論が終わらなければ俺は大学を卒業できないわけで、そうなってしまうと全てが水の泡だ。

頭ではわかっている。のに、毎日なかなか筆が進まない。

「…」

カタカタと膝の上でキーボードを叩きながら、小さな溜息が何度も零れ落ちていく。途方もないデータ量、終わりの見えない理論展開。これを全てまとめきるなんて、俺にはできないんじゃないか。そんな気さえしてくる。

――いやいや、なにあまっちょろいこと言ってんだ。卒論なんか、こいつに比べたらたいしたことねーだろ。

毎日毎日朝早く起きて、満員電車に揉まれて、何時間も働いて、帰って来て一人で飯を食う…そんな忙しい日々を当たり前のようにこなしているひふみと俺とじゃ全然違う。

朝はゆっくり眠れるし、卒論を書くだけで授業もほとんど行かなくていいし、働いてるっつってもバイトだし、俺の生活はまだまだ「大学生」だ。「社会人」のひふみとは、重みも責任も何もかもが別物だ。

生活のリズムもバラバラとくれば、当然以前のように毎日一緒にいるなんてこともできないわけで。

…こいつに最後に会ったのいつだったっけか。なんかすげー久しぶりに顔見た気がする。

ふとそんなことに気がついて、文章を打ち込んでいた指を止めた。パソコンを閉じて、くるりと後ろで眠る奴の方を振り返る。

――なんか物凄くすれ違ってる気がするんだけど、気のせいか。

「…」

赤い顔ですやすやと寝息をたてているひふみの顔を見つめながら、ちょっとだけセンチメンタルな気分になる俺。

前は平気だったのに、と大学に進学した頃のことを思い出す。一年だぞ一年。ずっと一緒にいたのに、一年間も会わなかった時期があるなんて未だに信じられない。ありえねーよな。

俺はまた会えると思ってたから耐えられたのかもしれないけど、ひふみは違う。

こいつは、俺のためにって自分を押し殺して、この先ずっと一人でいる覚悟をした奴なのだ。それで本当に一年間過ごせちゃったんだから、もうなんていうか自制心の塊みたいな奴だと思う。

今だってそうだ。ひふみは何でも一人でやろうとする。風邪ひいたならひいたって言えよ。弱ってんのになんで頼らないんだよ。お前が我慢する人だってことは知ってるけど、俺はそんな気遣いされても嬉しくないってわかってるだろ。

「…ばかやろー」

ひねくれた本人とは正反対の真っ直ぐな黒髪。それを指で撫でながら、ぼそぼそと小さな声で罵った。

お前は俺と一緒にいなくても平気なのかよ、なんて、馬鹿なのは俺の方だ。

卒業したら一緒に住もう、という以前二人で交わした約束を忘れたわけじゃない。こいつの描く未来に俺の姿があることはわかっているし、その気持ちを疑っているわけでもない。

だけど俺は、「今」さびしい。もうすぐしたらもっと一緒にいられるから、今どれだけ離れていてもすれちがっていても我慢しろなんて、聞き分けのいいやつにはなれない。

「ん、みずき…?」
「…わりぃ、起こした?」
「いや、きもちいいから、そのまま」

薄く目を開けたひふみが、髪を撫でる俺の手を柔らかく握る。いつも冷たいその指先はやっぱり熱くて、なんだか一層切ない気持ちになってしまった。

「ひふみ」
「ん?」
「仕事、忙しい?」
「別にふつうだろ」
「ふーん…」
「むしろうちは恵まれてる方だと思うけど。定時で上がれる日も結構あるし」
「…」
「なに、どした」

――やべー、なんか、泣きそう。

「瑞貴…?」

こみ上げてくるどうしようもない感情をこらえるためぐっと息を呑む俺を見て、ひふみが怪訝な顔をする。

「俺、俺、がんばるから」
「は?」
「お前が帰ってくるまでに晩御飯用意しとけっつったらやるし、風呂も沸かすし、朝早く起きて弁当だってつくるし」
「何言って…」
「卒業したらってお前が言ってくれたのすげーうれしいけど、俺今もうむりで、さびしいし、ほんとなんなんだよこれ…」

思いつくままに支離滅裂な単語を並べ、ずびずびと鼻水を啜った。

「…何言っとるかさっぱりわからんのやけど」
「俺もわからん…」

でも、とひふみが続ける。

「まぁ、なんとなくお前が考えてることは伝わった」
「ほ、ほんとかよ…」
「から」
「から?」
「来れば」

みっともなく半泣き状態の俺に向かって、ひふみは布団の端をぺろりと捲ってみせた。一緒に寝ていいよと言っているらしい。

「…いいの?」
「いいよ。その代わり風邪うつっても責任はとらねぇぞ」
「馬鹿はなんちゃらって言うから平気!!」
「自分で言うなよ…こっちが悲しくなる」

いそいそと空いたスペースに潜り込み、そのまま目の前の身体をぎゅうときつく抱きしめる。相変わらず細い身体に少し心配になったけれど、密着した部分からは規則的に鼓動の音が聞こえてきて、そのことに安心した。

「なに。瑞貴くん今日甘えモードなの」

あまりにも俺がぴったりとくっついているのがおかしかったのか、ひふみが小さく笑い声を漏らす。

「…そうだよ」

さびしいとか一緒にいたいとか、口にするのは恥ずかしい。でも伝えないでいるよりは、恥ずかしい思いをした方が何倍もマシだ。意地を張ってすれ違ってしまうくらいなら、恥だってなんだって捨ててやる。

「あーあ、俺病人なのに」
「お前も甘えればいいだろっ」

ぐりぐりと鎖骨に額を押し付けてやると、痛いと怒られる。

「んー…一応今、結構甘えてるつもりではある」
「こんなん甘えてるうちに入らねーっつの。おら、なんかしてほしいことなんでも言えよ」
「えー…」
「言え!!」

半ば脅すように顔を睨むと、暫く悩むような素振りを見せた後、ひふみは自分の手のひらを差し出した。

「じゃあ、手握って」
「手?」

言われた通り指を絡ませて片手を繋ぐ。

「こう?」
「うん」
「こんなんでいいの。他になんかもっとないのかよ」
「…ある、けど」
「なに」
「絶対風邪うつるぞ。それでもいいわけ?」
「いいよ別に。そしたらお前が看病してくれるだろ」

うん、とひふみが頷いた。そして繋いだ手を自らの口元に寄せて笑う。

「ちゅーして」

俺はというと、予想外の要求にぱちぱちと目を瞬くばかりである。

…ちゅーって。ちゅーって。社会人の男が使う言葉かよ。

「お前…それかわいいって言われても仕方ないからな」
「別にかわいくはないだろ…あ、あとべろちゅーがいいです」
「前言撤回!かわいくねぇ!」
「だろ?」
「ちゅーだけだからな。それ以上はやんない」

言いながらひふみの腰の上に跨った。上に乗るのはあんまり好きじゃないっていうかむしろ嫌いだけど、今日はサービスだ。

「ん」

繋いでいた手に加え、もう片方の手も握る。身をかがめて口付けると、いつも冷たいはずの唇が熱を持っていた。

「…お前、今日カサカサ」
「唇?」
「うん。やっぱ熱あると乾燥すんのかな」
「じゃあ、舐めて」
「ぶはっ、変態くせー!」
「今更」

笑いながらぺろりとカサついた唇を舐める。何度か軽いキスを交わした後、そのまま舌を口内に差し込んだ。

「ん…」

ひふみは完全にされるがままで、俺が好きなようにするのを楽しんでいるみたいだったが、時折差し入れた舌の動きに応えてくれたり、甘く噛んだりしてくれた。その度に俺はびくりと身体を震わせる。

「ん、んぅ、ん…っ、は」

――くっそ、気持ちいい。

久しぶりだからか、いつもよりも何倍も敏感になっているようだ。自分でする拙いキスでもたまらなく気持ちよくて、夢中になって何度もキスを繰り返す。

「んぁ…ふ、ん、んんっ、ぁ」
「は…ちょ、くるしい、っつの…」
「あ、ごめ…」

慌てて口を離すと、ひふみは息を吐いてまた笑った。

「へたくそ」
「う…しょ、しょーがねーだろ…こんなキス、お前としかしたことねぇし…」
「ありがと」
「え」

ありがとって、何が。お礼を言われるようなことをした覚えはない。むしろその逆だ。

突然の一言で首を傾げる俺に、ひふみは繋いだ手に少し力を込めて言葉を続けた。

「瑞貴はいつも、俺が言えないで迷ってることを先に口にしてくれる」
「言えないで迷ってること…?」
「俺もさびしい」
「!」
「お前がいないと、さびしいよ」

ぐっと喉の奥が詰まる。

さびしい。そんな気持ちをお互いに抱いていたことが、嬉しくもあるし、すごく馬鹿らしいと思った。

「…ひふみも俺と同じ?」

何が同じなのかとか、俺がどういう気持ちなのかとかは、わざわざ説明するまでもなく伝わったようだった。

「同じ。瑞貴と同じ。いやむしろそれ以上かも」

自信なさげな声で口にした質問に、ひふみははっきりと答えを返してくれる。

「俺が毎日ここ来てもうざくねぇ?」
「うざくねーよ。なんで今更うざいとか思うんだよ。ずっと一緒にいるだろ」
「…うん」

多分、俺の人生の中で一番長い時間を一緒に過ごしたのはこいつだ。ということは必然的にひふみと一番長い時間を過ごしたのも俺になるわけで。

「じゃあ来る」
「うん。来て」
「晩御飯つくって待ってる」
「うん。楽しみ」
「卒論も頑張る」
「おー。頑張って卒業して」

卒業したら一緒に住もう。そう約束してあるからいいじゃないか。今どれだけ離れていても、すれちがっていても、もうすぐの辛抱じゃないか。自分が我慢すればいいことだろう。そんな風に言い聞かせる必要なんて、どこにもなかった。

「今日も泊まる」
「うん。泊まって」

どれだけ我侭を言ったっていい。どれだけ我侭を言われたって構わない。相手に嫌われたくないからとか、気を遣うだとか、全部全部今更だ。そんなことで壊れてしまう関係なんかじゃない。

「一人じゃさびしいから、瑞貴が一緒にいて」

ひふみは、いつも俺の願いを叶えてくれる。

end.




紗月☆*。さんリクエスト「休日一日いちゃいちゃ」、あむさんリクエスト「どちらかが風邪を引いて 看病する。出来ればひふみ会社員 みずき大学生設定」でした。
休日一日いちゃいちゃが十分に盛り込めなかった感が…後半でちょろっといちゃいちゃさせたつもりではありますが…甘さが少し足りなかったらすみません…。
ひふみと瑞貴同棲前です。時系列的には本編10話「君がいるということ」番外編「二人の居場所」の間にはさまる話のつもりで書きました。
ひふみは自己完結しがちなので、瑞貴がその分自分の気持ちをしっかりと口にすることができたらいいなと思います。

素敵なリクエストをありがとうございました!楽しんでいただけますように!

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