ひかる→八名川
八名川→聡太郎
聡太郎→鳴瀬
鳴瀬→ひかる
「とにかく、状況を整理しよう」
鳴瀬(inひかる)が重々しく口を開いた。
「こんな事態に至ってしまったのには、何か理由があるはずだ。心当たりのある奴は?」
――似合わなさ過ぎる。
笑いだしそうになるのを必死でこらえた。笑ってはいけない。本人は真面目なんだから。
「ちょっと村上、鳴瀬の顔で軽々しく笑ったりしないでよ。価値が下がる」
俺の顔をした八名川が不機嫌そうにそう言って、その数秒後に口元を押さえて笑い出す。
「おい、言い出しっぺが笑うな……っふ、ふふ」
「だって、だって、守山が真面目なんだもん……っ」
「なんでよ!!」
ひかる(in八名川)が手のひらで強く机を叩いた。
「俺が真面目で何がそんなにおかしいの!?」
「ちょっとぉ、俺の身体乱暴に扱わないでよねー」
「やめてやめて!そーちゃんはそんな間延びした喋り方しない!」
ひかるがぶんぶんと頭を振ったせいで、八名川の綺麗な髪がぐしゃぐしゃに乱れる。
いつも綺麗に整えられている八名川の髪がそんな状態になってしまったことが気になるのだろう。鳴瀬がそっと手を伸ばした。
「八名……じゃなくて、守山。髪」
「あ、ごめん。ありがと」
それを見た八名川がぼそりと呟く。
「いいなぁ……ほんとだったらあれは俺の身体なのに……俺も鳴瀬に髪触られたい。撫でられたい」
……そうか?
傍から見ると、ひかるが八名川の髪を梳いているというなんとも奇妙な光景である。あれを見て羨ましいとは到底思えないのだが、八名川にとっては違うらしい。
暫く恨めしそうに二人を見ていた八名川だったが、ふと気がついたように俺の眼鏡に手をかけた。
「やっぱり村上のこの眼鏡、度入ってないじゃん。邪魔だから外してていい?重くてくらくらする」
「あー……」
あまり素顔を晒したくはないが、気分が悪くなるくらいなら外してもらっていた方がいい。それに、八名川は別に俺の顔を見たってどうということもないだろうし。鳴瀬以外には興味が無い。そんな奴だ。
「いいよ」
頷くと、ひかるが声を慌ててあげた。
「だっ、だめ!!だめ!!絶対だめ!!何言ってんの聡太郎!!」
「守山には聞いてないんだけど」
「聡太郎は俺のなんだから、俺が決めるのは当たり前だろ!」
「いーじゃん眼鏡くらい。邪魔なんだもん」
「だめったらだめ!!!」
眼鏡をめぐって揉み合う二人。
「その辺にしとけ」
「へっ」
「ほら八名川、こっちにこい。今お前は自分の身体じゃないんだから、大人しくしてろ」
見かねた鳴瀬が間に入り、八名川(in俺)を引き寄せた。外見だけだとひかると俺が抱き合っているようにしか見えないので、なんだか妙に恥ずかしい気持ちになる。
……俺とひかる、くっついてるとあんな感じなのか。
「……」
「鳴瀬?どうしたの?」
すると、何故か行動を起こした当の本人である鳴瀬が目に見えて焦り出した。八名川も不思議そうにしている。
「守山……」
「なに?」
ひかるが首を傾げる。
「お前、よくこんな」
「こんな?」
「よくこんな小さな身体、今まで……」
……小さな身体?
ぴし、と音を立てんばかりに固まったのは、ひかるではなく勿論俺だ。
「……」
確かに、八名川は細身だがスタイルがよく、背も高い。それに比べると俺は小柄だ。八名川を抱きしめたときの感触と、今腕の中にある感触が違うのは当たり前のことである。
だからって、そんなにはっきり「小さい」だなんて言われると。
「そ、そーちゃん……」
ひかるが恐る恐る俺の顔をのぞき込む。そして小さく「ひっ」と悲鳴のような声をあげた。失礼な。今俺は悲鳴をあげたくなるような顔をしているというのか。
「鳴瀬!!謝って!!」
「あ、あぁ……」
鳴瀬がはっと気がつく。
「悪い、村上。決して貶しているわけじゃなくて」
「……わかってる」
「むしろ褒めているというか、その」
「はぁ!?」
今度は八名川が鳴瀬の腕の中で大きな声をあげた。
「なにそれ、鳴瀬は小柄な方が好きってこと?」
「いや、別にそうは言って……」
「言ってる」
むう、と目に見えて頬を膨らませる八名川。おい、俺の顔でそんな表情をするな。
「どうせ俺は身長高いし、村上みたいに鳴瀬の腕の中にすっぽり収まんないし、可愛くないですよ」
「あの、八名川」
「俺だって、鳴瀬に好かれるなら、村上みたいに生まれたかった」
「……」
鳴瀬が困っている。
「鳴瀬も下手だね。俺は八名川だから好きなんだーってさっさと言えばいいのに」
「万人が万人お前みたいにストレートな物言いをできるわけないだろ」
「そうかな?」
「そうなんだよ」
ふうん、とひかるの声(今は八名川の声だが)は興味のなさそうなものだった。
「っていうか俺たちって傍から見るとあんな感じなんだね。そーちゃんちっさくて俺の腕の中にぴったりで可愛い」
「ちっさくない!」
「あたっ」
軽く頭をはたいてやると、ひかるが恨めしそうに俺を見た。
「そーちゃんのアホ……」
「は?」
「実はこの状況結構楽しんでるでしょ!?俺にはわかるんだからね!?」
「……バレた?」
だってこんな、ひかるを見下ろすなんて貴重な体験、楽しんでおかなければ損じゃないか。
「俺はいつもの聡太郎がいい……戻って」
「戻ってって言われても」
「戻ってよぉぉぉ」
顔を両手で覆って泣き出さんばかりのひかるに、俺は溜息をつかずにはいられなかった。
「落ち着け」
よしよしと慰めるように頭を撫でてやる。手のひらがでかい。すごい。楽しい。
「そーちゃん……」
どさくさに紛れてひかるが抱きついてきた。
「……」
腕の中にすっぽりと収まってしまうひかる(八名川)の身体に、俺はなんだか感動してしまった。できることならばずっとこのままの身体でいたい、なんて考えが頭の隅に湧いてくる。
「なんか……」
鼻をくすぐる仄かな香り。王子だ。これが王子の香りだ。八名川効果すごい。
「ひかる、いい匂いがする」
髪に鼻を埋めてそう呟くと、ひかるが俺の背中に腕を回す。
「やばい……ドキドキする……」
「え」
「こんな風に聡太郎に抱きしめられるのって、初めてだから」
うっとりと心地よさそうに俺の胸に擦り寄るひかる。俺でさえ見惚れてしまいそうなほどに綺麗な顔がそこにあった。
こんな美形が、自分を好きでたまらない、といった表情をしていたら、それこそこっちの方がたまらなくなってしまう。鳴瀬はこの顔を目の前にして平気なんだろうか。
「ちょっとそこ!!!俺たちの身体で勝手にいちゃいちゃしないでよ!!!」
八名川の抗議の声にはっと我に返った。俺は何を。
「俺を差し置いて鳴瀬の身体に抱きしめてもらえるとかムカつくんですけど。守山」
「は?そういう八名川こそ、俺でさえまだ入ったことのない聡太郎の身体を好き勝手して、鳴瀬に触らせたりしてムカつくんですけど」
「俺に邪な気持ちがあるような言い方はよせ守山」
「あるに決まってるでしょ!聡太郎のこの可愛さに欲情しない男なんかいるわけない!」
「残念でしたー。鳴瀬は俺にしか欲情しないんですー」
お前ら恥ずかしくないのかその会話。
心持ち冷ややかな目で三人を見ていると、八名川がふと俺に視線を合わせにやりと笑う。
「村上はさっき俺の顔にうっとりしてたよねぇ?」
「な……っ」
そんな言いがかり……とは突っぱねられない自分が悲しい。紛れもない事実だからだ。
「そーちゃん!!嘘でしょ!?」
ひかるが俺を見上げ、その綺麗な顔をぐっと近づけてきた。
「し、仕方ないだろ……八名川の顔が規格外なのは事実だし、俺じゃなくても見惚れるはず……」
規格外ってそれ褒めてんの?と八名川が不機嫌そうに言う。一応褒めてる。
ひかるは信じられないものを見たかのような表情になり、俺の肩を揺さぶった。
「聡太郎は自分の顔鏡で見たことないの?八名川に負けず劣らずこの世のものとは思えないくらい可愛いし色っぽいよ」
色っぽいってなんだ。自分の顔にそんなこと思うわけないだろ。
「わ、わかった、ごめん、謝るから、今はとにかくこの状態を解決することを考え……」
そのとき、肩を揺すっていた手がいきなり制服の襟を掴んで引き寄せてきた。
「!?」
「「あ」」
当然のことながら俺は鳴瀬の身体のまま、ひかるが入った八名川の身体とキスをしてしまう。
身体的には鳴瀬と八名川がキスをしたことになるし、中身的にはひかると俺がキスをしたことになるし、問題はないと言えるのかもしれない。
だけどこう、なんとなく倫理的によくないというか、ルール違反というか、そういう気持ちに駆られるのは俺だけなのだろうか。
「お前なぁ……っ、何考えて」
「ごめん、ついカッとなっちゃって……って、ん?あれ?」
慌てて身を離したものの、発した声に違和感を覚えた。
「もしかしてさ、守山と村上、また入れ替わっちゃったんじゃないの?」
一部始終を見ていた八名川が問いかけてくる。
まさに、その通りだった。
「つまり今は俺の身体に守山が、八名川の身体に村上が入っているわけだな」
「なーんだ、じゃあ解決策見つかったじゃん」
――解決策、それは。
「キスで入れ替わるわけだから、えーと今だと……俺と村上、鳴瀬と守山がそれぞれちゅーすれば元に戻るね」
そうだ。それしかない。
「む、無理無理無理無理!なんで俺が鳴瀬とちゅーしなきゃいけないの!」
「……俺も流石にそれは嫌だ」
「いーじゃん身体は自分のなんだし」
「八名川はそれでいいわけ!?鳴瀬の身体が俺の身体とちゅーするんだよ!?」
「この際そんなんでヤキモチやいてたって仕方ないでしょ。戻るためなんだし」
「なんでこういうときだけ妙に冷静なの!?」
「中身が村上のままだったら許さなかったかもだけど、鳴瀬も守山もタチだし恋に発展することはないかなって」
「「ない。絶対にありえない」」
「また綺麗にハモったね」
「っていうか俺と鳴瀬がちゅーするってことは、聡太郎と八名川がちゅーするってことじゃん!?だめだめ!!そんなの許しません!!」
「……俺は別にいいけど。っていうかどう足掻いても結局は自分の相手以外の奴と最低一回はしないと戻れないし、それならこの組み合わせが一番まともな気がする」
「聡太郎!?」
「おお、珍しく話がわかるね村上」
珍しく、は余計だ。
「ってことで早速」
「んっ」
「あーーーー!!」
むに、と柔らかいものが唇に押し付けられる。柔らかいのは自分の唇なのか、それとも八名川の唇なのか。考えるよりも前に、次の瞬間には元の身体に戻っていた。
「……戻った」
「やっぱ自分の身体が一番いいね。ほら早く二人もキスすれば?」
あまりにあっさりと元に戻った俺と八名川を見て、ひかると鳴瀬は絶望とも呼べる表情を浮かべた。
*
「お、男とちゅーさせられた……」
ひかるがめそめそしている。流石に今回ばかりは気の毒なので、よしよしと頭を撫でて慰めてやった。
「俺だって男だけど」
「聡太郎は違うもん!男である以前に、俺の好きな人だもん!」
どうやらかなりショックだったようだ。ここまでへこまれるとは思っていなかった。
「なんで聡太郎は平気なの」
「そんなに深く考えてないから。戻るために必要なことだったし」
「考えてよ!八名川とちゅーするの嫌じゃなかったの!」
「別に……八名川はただの友達だから」
「友達とはキスしない!!」
「……お前とするキスとは全然違う。あれはキスじゃない。ただ口と口を合わせただけ」
「でもやだ」
「うん。ごめん」
反省した?とひかるが顔を上げる。瞳が薄らと潤んでいて、なんとも情けない表情だ。
「反省した」
「もうしない?」
「しない」
「じゃあ聡太郎からちゅーしてくれる?」
「いいよ」
だけど俺は、それがどうしようもなくかわいくて愛おしい。
「もう泣くな」
髪を撫でながら優しく口付けてやると、ひかるはほんの少し機嫌をよくしたのか、でもやっぱりまだ拗ねているのか、複雑な顔で「もっとしてくれないと泣き止まない」と言った。
*
「はぁ……っ、ん、ん、んぅ」
「……っ、八名、ちょっと、待て……!」
「だぁめ、もうちょっと付き合ってよ」
ぺろりと自分の唇を舐めながら笑う俺に、鳴瀬が息を詰めたのがわかる。
「消毒、してるんだから」
いくら身体が入れ替わっていたとはいえ、鳴瀬が守山とキスをしてしまったのは事実なのだ。あの場ではそれが何でもないことのように振舞っていたが、もちろん嫌か嫌じゃないかで言ったら嫌に決まっている。
「お前がしろって言ったんだろ」
「俺に言われたら、鳴瀬は誰とでもキスするの?」
「論点をすり替えるな」
「……なんか怒ってる?」
声に滲んだ怒り。恐る恐る尋ねてみると、鳴瀬は「当たり前だ」とますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「あんな簡単に他の男にキスをするな」
「えっ」
「いくら村上相手とはいえ、俺がどういう気持ちになるか考えなかったのか」
「えっ、えっ、そっち?」
鳴瀬が、鳴瀬が、俺と村上に妬いてる。
「笑うな」
「だって」
「もうするなよ」
「うん。しない」
ぎゅっと抱きついた俺の身体を、鳴瀬の腕が抱き締め返してくれた。うん。やっぱりこの身体が一番いい。
「全くお前はいつもふらふらふらふら……」
「そんなにふらふらしてる?俺、鳴瀬以外ほんとどうでもいいくらいなんだけど」
「してる。俺がどれだけ……」
「どれだけ?」
「……何でもない」
「えー、そこは最後まで言ってよ」
こんなに嬉しいことがあるなら、もう一回くらい入れ替わってもいいかもしれない。
とか言ったら、また怒られるな。
*
軽い気持ちで書いたつもりがなんかすごい長くなってしまった。