第一話


 朝から晩まで仕事に追われ、気がついたら辺りはすっかり暗くなっており、残っている人もまばらになってきていた。凝り固まった肩や首を軽くほぐし、席を立つ。


「お先に失礼しまーす」


 パソコンがちゃんとシャットダウンしたことを確認し、一応まだ残っているメンツに声をかける。期待してもいなかったが、ちゃんとした返事は返ってこず、ため息混じりにエレベーターへ向かう。チン、という軽快な音を鳴らしトビラが開く。一人には少し大きいエレベーター。取り付けてある鏡越しに目が合った自分は、何時の間にか疲れ切った顔をしていた。





『俺たち、別れないか』


 大学の頃からの付き合いの彼氏にそう切り出されたのはもう数ヶ月も前のこと。お互い仕事が忙しくなればすれ違うことも多くなるわけで。別れ話が出るのは薄々分かっていたし、もうそんなことで駄々をこねるような歳でもない。


『そっ、か』


 結局それしか言うことができないまま、私と彼との歴史は幕を閉じた。そりゃいなくなったらいなくなったで寂しいが、生憎この数ヶ月は感傷に浸る暇もなく仕事が忙しかったから、そこまで彼がいなくなったことを実感することはなかった。しかし、ここ最近の大きな仕事がひと段落つきそうになった今、言いようのない孤独感がゆっくりと私を取り巻く。


「ただいま」


 玄関の戸を引くと、一日中閉め切っていたせいで蒸し蒸しとした部屋の空気が外へと流れ出す。もちろん「おかえり」だなんて返ってこない。ふう、とため息を一つついてから部屋に電気をつける。
 買ってきた弁当をレンジに放り込み、温める。冷蔵庫から出した冷えた缶チューハイ片手に、カーテンを閉めようと窓によれば、月がよく見えた。思わず、窓を開けベランダから乗り出すようにして月を見る。時折吹く夜風が頬に当たり、気持ちがいい。


「そんなに乗り出してっと、危ねえぞ」

「んー、大丈夫だよ」


 ……って、あれ?

 びっくりして声のした方へ顔を向けると、そこには、宙に浮かぶ男が一人。月明かりに照らされたその男は袖の無い黒い着物を着ており、逆光のせいでよく顔は見えないが、確かにこちらを見ている。


「あ、あの、」


 目の前の事実を理解するには到底及ばず、視線はそのままで一歩、二歩、と後へ下がる。手のひらの中の缶チューハイがやけに冷たく感じる。


「おい、お前……」


 その男もまた、一歩、二歩、と間を詰める。何も無いはずの宙をしかと踏みながら。


「う、わっ」


 深く考えずに後ずさりをしていたらベランダの段差に気づかないままになってしまっていて、情けないことに尻餅をついてしまった。


「大丈夫か?!」


 何時の間にか先の男は目の前に立っており、へたり込んでいる私に向かって手を差し伸べてきた。おずおずとその手を取る。


「言わんこっちゃねえ」

「す、すみません……」


 ぐい、といとも簡単に引き上げられる。


「あの、あなたは一体……?」

「あー、俺か?」


 少し顔をしかめながら頭を掻く。なんだか言いにくそうに開かれた彼の口からは、予想だにしない言葉が転がり出た。





「俺は死神だ」







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