02.
瀞霊廷通信の原稿を他隊から回収し終わり、九番隊の詰所へと戻る。
「ただ今戻りましたー」
扉をがらりと開け、声をかける。いつもはおかえり、と帰ってくるはずの返事がない。不思議に思いつつ執務室の中へ入る。
「ああ、こんなところで……」
最近仕事がたまっていてろくに休めない日が続いていたため、疲労が一気に押し寄せてしまったのだろう。机に伏して寝る檜佐木さんに上着をかけてやろうとそっと近づく。
「みょうじっ……」
苦しげに発せられたその言葉に思わず身が固まってしまう。悩ましげに顰められた眉。その顔にはっと息をのむ。
ああ、いつも私には普通に接してくれているけれど。誰だって親しかった人の記憶の中から自分だけ忘れられてしまって悲しくないわけなんてない。辛くないわけない。苦しくないわけが、ない。
檜佐木さんが何を思っていつも私に接してくれていたのかと思うと胸が苦しくなって息ができなくなる。
何で私はこの人のことを思い出せないんだろう。きっと、私の知らない私にとってもすごく、大切な人だったはずなのに。なんで、なんで檜佐木さんを、檜佐木さんだけ忘れてしまったんだろう。
ぽたり、と気が付いたら涙が頬を伝って床へと落ちた。泣きたいのは、私じゃなくて、忘れられてしまった檜佐木さんのはずなのに。
「みょうじ……?」
いきなり発せられた低い声にびっくりして下を向くと、突っ伏していたはずの檜佐木さんが起き上がって少し眠たげに眼をこすっていた。
「えっ、おま、なんで泣いて……!」
慌てて泣き顔を見られないように顔をそむけたものの、そんなことは意味などなさなくて。逃げるようにして離れようとした私の腕を、しかと檜佐木さんが引き寄せた。
「逃げんなよ」
「逃げてなんかっ……!」
真っ直ぐに射抜いてくる檜佐木さんの双眼が私を捉える。目じりにたまった涙を檜佐木さんが優しく拭う。ああ、どうしてそんなに優しくするの。
「っ、ひさぎ、さっ……」
嗚咽交じりの私をそっと抱きしめて、まるで子供をあやすかのように優しく背中を撫でてくれる。その優しさにどうしようもなくなる。折角拭ってもらった涙も、新しいものが次から次へとあふれ出てきて止まらない。
「ごめんなさっ」
「謝んなよ」
「でも、私っ」
檜佐木さんは優しいから。弱い私はそれに甘えてしまう。あなたのことを忘れてしまったような、最低な女なのに。甘える資格なんて、ないのに。
「私、全然思い出せなくて……
檜佐木さんはこんなに優しいのに、」
「いいって」
「でも、」
「いいから」
今度は強く、抱き寄せられる。
「無理して思い出さなくて、いいから」
そういった檜佐木さんの声はひどく優しくて。暖かい温もりに包まれながら、なぜだかすごく懐かしい気分になった。