ン(クチナシ:幸福者)*ンがないので
*未来捏造
「ただいまなのだよ」
「おかえりー」
挨拶を返しながら私はお鍋をかき混ぜる。今日は日勤だから一緒に夕飯を食べよう、そう素っ気ないメールが届いて久々に気合を入れすぎた食卓は料理で溢れている。我ながら作りすぎたなと苦笑していると見慣れた緑が近づいてくる。
「今日は何かの記念だったか?」
「ううん。ただちょっと作りすぎただけ」
そう笑って言えば、まぁ残れば明日食べればいいのだよ、と私の頭を一撫でし、上着をかけに奥の部屋に消えた。
「変らないねぇ、真太郎は」
冗談も冷静に返されてしまうことには慣れたし、わかりにくい彼の愛情も理解できている。この日常に何も不満はないはずだったのに…グツグツとお鍋をかきまぜながら考えるのは正反対のこと。それは、きっと、そう…あの花の所為。
(はい。次はナマエの番だね)
そう笑いながらブーケをくれた友人。ありがとうと受け取りつつ私はちゃんと笑えていただろうか。
真太郎と付き合って十年。高校時代に出会って喧嘩して仲直りして告白して…たくさんの思い出が詰まった十年。そして、真太郎より二つ年上の私はもうすぐ適齢期と言われてしまう…。
「…結婚、かぁ」
憧れがないわけではない。でも、真太郎は果たしてその気があるのだろうか。
お互いが大学生の頃から私が誘って同棲をはじめたけれど、その時もうなずくだけだった真太郎。双方が働き出して仕事に振り回されるようになって、一緒にいれる時間がぐっと減った。こうして食事をするのも二週間ぶりだって、ねぇ気づいてる?
「…人は人。私たちは私たちだから、ね」
隣の芝は青く見える。気を取り直して少し煮込みすぎてしまったシチューをお皿に盛る。ふわりと鼻をくすぐる香りは我ながら上出来!とスキップしかねない勢いでお皿をテーブルに置こうとすれば、がしりと手首を強く握られた。
「っと、真太郎危ないじゃない!シチュー溢すとこだった」
「あ、その…すまない」
「…どうかしたの、真太郎…?」
謝りつつも手を離す気配が見られなくて。無駄に高い真太郎を見上げれば珍しく焦った顔。本当に熱でもあるのかと額に触れようとすれば右手も掴まれてしまう。
「真太郎…?」
「ナマエ、よく聞くのだよ」
「うん、何?」
「こっこれは、その…ナマエが行き遅れない為だからっなのだよ!」
「へ、何が―」
ぎゅっと握りなおされた手の中に押し込まれたそれ。肌触りのいい濃紺の箱。何、なんて聞かなくたってわかる。だけど、ちゃんと真太郎の口から聞きたくて。
「―これ、何?」
「わっわかるだろ、う」
「わかんないっ!ちゃんと…ちゃんと、真太郎の口から言って!」
その箱を握り締めたまま半ば叫ぶように口にすれば、先ほどより顔を真っ赤にした真太郎の瞳とぶつかる。今でも細くしなやかで綺麗なその指が私の頬を包み込む。こつんと触れた額から少し低い体温が伝わってくる。
「これから先、俺の人生でナマエが隣に居ない日々などありえない」
「……っ」
「ナマエ、俺と一生一緒に歩んで行って欲しい」
「………ばか」
なっと声をつまらせた真太郎に精一杯背伸びして頬に口付けを送る。
「当たり前なのだよ!ずっと、ずっと真太郎と生きていくよ」
【君は知らなくていい、私が世界一の幸せものだって】
「…ありがとう、なのだよ」
はにかんだ笑顔の真太郎に惚れ直したのは私だけの秘密