いろいろ | ナノ


▼ 置いてかれたガラスの靴

 夜、家を出た。窓から漏れる光が、ネオンが、そして月明かりが照らす夜道は夜とは思えないほど明るい。それが当たり前ではないと知ったのは地元から離れたときで、今ではそちらに慣れてしまった私の目には少々眩しい光景。
 ピロン、と実に味気ない初期設定の通知音にスマートフォンを取り出せばこれから会う予定の人物からだった。
『飲み物、こんな感じだけど大丈夫かな?』
 添付されている画像に写るのは缶ビールの山。あとはワイン、焼酎、それに日本酒が数本と、とても今日成人式を終えたばかりで飲む量には見えなかった。あるいは成人式を終えたばかりだからこその量なのか。とにもかくにも、あまりビールが得意ではない私が飲めるものは少なそうだ。
『チューハイ買ってくるけど、さっちゃんは何かいる?』
 打つのがいつもより少し遅いのは緊張のせいか。それを悟られないよう返ってきたメッセージにはスタンプで返した。
 桃井さつきことさっちゃんとは高校で知り合った。一年生の時に同じクラスで、隣の席で、消しゴムを貸したのが始まり。まるで少女漫画のようなこの出会いだけれど本来しっかり者の彼女が忘れ物を……ましてや筆記用具を忘れるなんてことはまずありえないことで、ことの真相は彼女の幼なじみにうっかり貸してしまったのが原因だった。それから三年間ずっと同じクラスとはいかなかったけれど、私の自惚れでなければ親友にあたる存在だろう。
 そんな彼女との飲み会に何を緊張する必要があるのかというと、これがあるのである。何故なら今夜開かれる飲み会は親友と二人きりではなく、あのキセキの世代も一緒なのだから。
「あ、サクランボ味」
 さっちゃんの顔が浮かんで、ついそれを二本かごに入れる。それからもう何本が選んでレジに向かうと若干店員の視線が刺さった。
「年齢確認のタッチをお願いします」
 身分証の提示を求められないということはどうやらなんとか成人に見えたらしい。それとも単に確認するのが面倒くさいだけか。二十歳の誕生日にお酒を買ったときのガッカリ感は今でもよく覚えている。そしてビールへのガッカリ感も。
 コンビニ袋片手に外へ出るとやや強い風が通り抜けていく。それに小さく身震いしてはあ、と息を吐くと存外白くて、けれど降ることのないだろう雪に安堵する。この辺りに住んでいたときは楽しみだったというのに、不思議なものだ。
「名前ちゃん!」
 不意に名前を呼ばれ、早く青にならないかと信号機を見つめていた視線は右下に下がる。横断歩道の向こう側から手を振る人物は数時間前まで振袖を着たとんでもない美人だったはずなのに、今はよく見知った少女だ。そしてその隣でブスくれているのは彼女の幼なじみ兼恋人。
 信号が変わるとどちらからともなく走り出して手を取り合う。
「迎えに来てくれたんだ?」
「ふふ、早く会いたくて」
「なるほど。それで青峰君は妬いてるんだね」
「バカ。いいからさっさと歩け、信号変わるぞ」
 私の持つコンビニ袋をひったくって歩き出すその背中を「素直じゃないね」と二人で笑う。
 どうやら私以外のメンバーは既に揃っているらしく、お酒が入る前から収拾がつかない状態らしい。
「今は赤司くんが抑えてくれてるから、たぶん大丈夫」
「ごめん、すごく不安なんだけど」
「あー、たぶん大丈夫だろ」
 大丈夫大丈夫と繰り返す二人にますます不安が募る。大丈夫か大丈夫じゃないかで話が進む辺り既に大丈夫な気がしないし、大丈夫がゲシュタルト崩壊してきた気がするけど本当に大丈夫なのこれ?
 そうして着いたのはさっちゃんと青峰君の住むアパート。なんとこの二人同棲しているのである。
「桃っち、青峰っち、おかえりなさい! その子が桃っちの親友さん?」
「は、はい! 苗字名前です」
 中に入った瞬間、奥からひょっこりと顔を覗かせた眩しい金髪につい吃る。そりゃあキセキの世代がいるんだから黄瀬君もいるだろうけど、私の中ではどちらかというと芸能人寄りな人物なのでこうも近いと驚く。
「俺は黄瀬涼太っていうんですけど……まあ知ってるっスよね! なんたってあの黄瀬涼太っスから!!」
「……ええっと、きーちゃん? もしかして酔ってる?」
「そんな、桃っちまでそんなこと……いくらモデルやってても俺だって人間なんスよ? お酒飲めば酔うし、トイレだって行くっス!」
 そう言ってさめざめと泣き始める黄瀬君の姿に私とさっちゃんは顔を見合わせ首を傾げる。たしかまだお酒は入っていないはずでは?
「やあ、うちの駄犬が迷惑をかけたね」
 そこへ新たに現れたのは青峰君や黄瀬君に比べ小柄な、けど目力がすごい赤髪の人。そういえば青峰君は青髪だし黄瀬君は金髪だから、この人も名前に赤が入ってるのかな?
「赤司っち! こんなイケメン捕まえて駄犬は酷いっス!!」
「駄犬は駄犬だろう? 大人しくハウスしていろ」
「……ダメだな、こりゃ。赤司の奴も酔ってやがる」
 あ、本当に赤が入っていた。じゃなくて、まだ飲んでいないはずでは? それも今目の前にいるこの赤司君が止めてくれていたはずでは?
 戸惑う私とさっちゃん、既に酔いの回っている黄瀬君と赤司君、面倒くさそうにため息をつく青峰君が未だ玄関で立ち往生していると奥からまた新たな人物が現れた。
「苗字さん、こんばんは。桃井さんと青峰君はおかえりなさい」
「こんばんは、テツ君。それで、ええっと……これはどういうことかな?」
 あまりに自然と挨拶をしてくるテツ君ーーさっちゃんからよく話を聞いていたのですっかりこの呼び方が移ってしまったーーにつられ挨拶して、説明を求める。そんな間にも黄瀬君はべそをかくように壁際に転がっていてその上に赤司君が跨っている。本当に、さっちゃんが私を迎えに行ってからの僅か十分弱で何があったというのか。
「黄瀬君が先に飲み始めようと言い出しまして……赤司君が止めてくれていたんですが、黄瀬君に一杯盛られた感じです」
「赤司は既に実家でいくらか飲まさていて既に味覚が麻痺していたようなのだよ。日本酒をほぼ一気でこの通りだ」
「ええっと、あなたは……?」
「緑間だ。とにかく、室内とはいえここは冷える。風邪でも引かれたらそれこそ面倒なのだよ」
 どこか神経質そうな緑髪の彼、緑間君は早く連れていけとばかりに青峰君に視線を投げる。どうやら手伝う気はないようで、でもそのことに青峰君は何も言わない。もしかしたら慣れているのかもしれない。
「へーへー。つか俺一人でこの二人運べってか?」
「青峰君、僕もいます」
「テツ一人じゃ赤司すら運べねーだろ。いいから紫原呼んでこいよ」
 どこかムッとした様子のテツ君だったけどそれ以上くってかかることはなく、奥へと消えた。
 紫原……ってことはまさか紫髪だったりするのかな。いやいやまさか。だってほら、テツ君は黒髪じゃないし。
「呼んだー?」
 現れたのは期待を裏切らず紫髪の紫原君だった。というか身長……! みんな大きいけどこの人は大き過ぎて怖い!
「峰ちん一人で運べないとかだらしなーい」
「うっせ。大人しく運ばれるんだったらいいけどよ、コイツら絶対暴れるだろ」
「確かにー」
 紫原君はその巨体をぐっと屈めると黄瀬君の首根っこを掴む。そしてそのまま引き摺るように歩き出した。もちろん、赤司君は腰掛けたままだ。
「あつ、あつっ! 紫原っち、待って……まさ、まさつるねつが!」
「摩擦熱ねー。黄瀬ちん相変わらず馬鹿」
「なんだか楽しくなってきた。紫原、もっと速く」
 のそのそと奥へ消える三人の影。呆気に取られていた私はそれが見えなくなってから正気に戻って振り向く。
「さっちゃん、青峰君。これ本当に大丈夫?」
 二人は顔を見合わせ、曖昧に笑った。

 その後なんとか改めて自己紹介をして、赤司君の音頭により飲み会は始まった。私とさっちゃんはチューハイで他はビール。グラスは人数分の用意がないので缶で直飲みだ。
「コンビニで紙コップも買ってくればよかったかな……」
「馬鹿を言うな。酒というものはグラスの材質や形で全く味わいが変わる繊細なものなのだよ。それを紙コップだなどと……」
「ご、ごめんなさい」
「いや、お前が謝る必要はない。元はと言えば自分の家を提案しておきながら準備していない青峰が悪いのだよ」
「ああ? こんなもん缶で飲もうがグラスで飲もうが変わらねーだろ」
 険悪なムードに慌てているのは私だけで、どうやらこれはいつものことらしい。勝手にやっていろ……というよりはまるで眼中にないようで、私とさっちゃんの出会いについて焦点が当てられた。
「桃っち、青峰っちに筆記用具貸すとかっ……どうせノートなんてとらないっスよ……っ?」
「だって、あの大ちゃんが授業中に教室にいるんだよ!? そんな奇跡が起きるなら、ノートぐらいとるかもしれないじゃない!」
「お前ら俺をなんだと思ってんだ」
 緑間君との決着がついたのか、青峰君は爆笑している黄瀬君の頭を叩くとさっちゃんの隣に腰掛ける。手にはまだ未開封のビールが握られていて、どうやらもう二本目に突入したらしい。
「さつき、それ何味だ?」
「これ? サクランボだけど……」
「お前ホント好きだよな」
「あー! 大ちゃんのバカバカ!!」
 味を聞くや否や青峰君はさっちゃんの手からチューハイを取り上げ、なんの躊躇もなく口をつける。どうやらお気に召したらしいさっちゃんはなんとか奪い返そうとしているけど相手が悪すぎる。そしてバカップルにしか見えない。
「ご馳走様です」
「だね」
「もう! テツ君も名前も見てないで助けて!!」
 夫婦喧嘩は犬も食わない。いい言葉だなぁ。
 そんなこんなで、緊張していたのが馬鹿らしくなるほどにキセキの世代は普通の男の子だった。男性ではなく男の子。そして私とさっちゃんも女の子。二十歳になろうがお酒を飲もうが、根本は何も変わっていない。

「ん……?」
 いつの間に寝てしまっていたのか、明かりがついていたはずの部屋は真っ暗だった。誰かがかけてくれたらしい毛布のおかげで寒くはないけど、床の上で寝ていたので体が痛い。
「……ぁ……、ちゃ」
 小さなその声は静かな部屋のおかげでなんとか聞こえた。どうやらさっちゃんはまだ起きているらしい。
 状況を把握しようと目を凝らす私の視界に飛び込んできたのは行為に及ぶ男女の姿だった。
「ひっ……!」
 思わず出た悲鳴は大きな手に遮られる。口だけではなく鼻と顎までぴったり覆ってしまう手の持ち主なんて、この場には一人しかいない。紫原君は私と目が合ったことを確認するともう片方の手を自分の口元に持っていき、人差し指を立てる。それにこくこくと頷けばあっさり解放された。
(たぶんさっちん見られたくないだろうし、静かにね)
(……うん)
 ということは、青峰君から誘ったということなのだろうか。
 好奇心……ではないけど、改めて二人へと視線を向ける。そこにいるのはさっきまで一緒にいた女の子と男の子じゃなくて、知らない女の人と男の人。
(耳、閉じてあげようか?)
(……大丈夫)
 せっかくの申し出だけど、今の私に彼の大きな手はかえって逆効果に思えた。
 紫原君はあっそ、と素っ気なく返すと寝返りを打つ。それから間もなく寝息が聞こえてきて、どうやら彼はこの状況にも関わらずあっさり寝てしまったらしいことを知る。たぶんそれが正解なんだろう。だけど私は音が止んでも、二人が寝ても、なかなか眠ることができなかった。
 翌朝、朝というよりは昼に近い時間にみんなは目を覚ました。さすがに私もあれから二、三時間だけはなんとか眠れて、そして体はバキバキだ。
「ねえ、名前ちゃん……昨日なんだけど……」
 みんなには聞こえないようにそっと話しかけてきたさっちゃんはいつものさっちゃんのようでいつものさっちゃんじゃない。ああ、違う。変わってしまったのは、きっと私だ。
「気付いたら寝ちゃってたねー。飲みすぎて頭痛いや」
 そう言って笑う私の顔は、きっと昨日までとは違う私だった。


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