いろいろ | ナノ


▼ 不出来ながらも最強目指します

 お腹すいた。
 そう思って財布を開くが小銭一枚すら入っていない。ここ江戸に来るのに全部使ってしまったんだと気付いて、ため息混じりに空を仰ぐ。実に狭い空だ。
「…………」
 さっきからすれ違う人の視線が煩わしいけど、なんだろう。手首から下がないのがそんなに珍しいんだろうか。
 残された左手で右手があったはずの場所を撫でる。あまりに綺麗なその断面とは裏腹に、思い出すのは血みどろな記憶だった。

 二ヶ月ほど前、私は死ぬはずだった。自ら心臓を握り潰すというかなりワイルドな自殺を試みたのだが、手刀で手首を切断されるというワイルド返しを受けてしまい生還。すぐさま治療を施されたものの、右手は繋いでもらえなかった。あれだけ綺麗に切れていたら繋ぐのも簡単だっただろうに、おいたが過ぎる右手は不要……とのこと。当然ながら義手ももらえなかった。解せぬ。回復後は基本的に監禁、神威がいるときだけ自由の身という非常に舐められた日々を送っていた。そんな私が何故一人で江戸にいるのかというと、神威が留守の間を狙いあの手この手で脱兎のごとく脱走したのである。夜兎だけに。夜兎だけに。それからは死に場所を求めて転々としたものの、なかなか私を埋葬してくれそうな場所に当たらない。全然集団墓地でいいからぁ! という謙虚な心で探してるというのに、そもそも墓の概念がない野蛮な星ばかりを引き当ててしまうのだ。野蛮な仕事のおかげで路銀に困ったことは無いが。
「……食べ物の前に、お墓を探そう」
 見たところそれなりに文明人の星っぽい。警察っぽいのもうろついている。墓さえあれば食事の必要も無くなるというものだ。
 そうして闇雲に歩き続け、私は墓の存在を確認した。ついでにおにぎりの存在も。
「…………」
 墓の前で手を合わせるお婆さん。どうやら墓参りらしい。お供え物のおにぎりがあまりに空腹を刺激するものだから、うっかり天女に見えそうだ。どっからどう見てもババアなのに。
「……なんだい、また野良かい」
「……?」
「アンタのことだよ。腹、減ってんだろ」
「え、何このババアすごいエスパーかな」
「そんだけ腹鳴ってたら誰だって気付くに決まってんだろォォ!」
 ババアもとい天女からの施しにより腹の虫は気持ち収まった。正直全然足りないけど、ないよりマシというやつである。
「天女様、聞きたいことあるんですけど」
「気持ち悪い呼び方するんじゃないよ。お登勢さんって呼びな」
「はあ、お登勢さん。ここの墓って誰でも入れますか?」
 指を舐める。この僅かな残り塩が体に染みるわ。
 そのままぺろぺろと指を舐め続け返答を待ったけれど、お登勢さんは何も言わない。
「……入りたくて入るとこじゃないんだよ、ここは」
 ようやくあった返答は低い声だった。どうやら怒らせたらしい。
「最悪私は入れなくてもいいんで、なんとか一人だけお願いできませんかね?」
「一人だろうと二人だろうと入れる気はないよ」
「そこをなんとか。小指だけでいいんで」
「……小指?」
 懐から色褪せた巾着を取り出し、見せる。
「母親です」
 春雨の船に乗るとき、連れていけたのはこれだけだった。一部だけでもちゃんと埋葬してあげたくて、今までずっと持ち歩いてきた。これがなければ、神威の手を逃れた私はさっさと死を選んでいただろう。言うなれば、今日まで私を生かしてきた存在である。
「……墓ってのは金がかかるんだ。建てて終わりじゃない、毎年管理費も払わなきゃならない」
「……いくら出せばいいんですか」
「テメェの飯も買えないやつに金なんか期待しちゃいないよ。……アンタ、うちで働きな」
 これがお登勢さんとの出会い。そして、あのクルクルパーに出会うきっかけだった。

「あーもーマジでやってらんないわ。酒」
「ありません」
「ああ!? ここスナックだろ、ない訳ねーだろ!」
「家賃滞納してるクルクルパーに出す酒はありません」
「天パは関係ねーだろテメェ、客になんつー態度だ。おいババア、この新人何とかしろ」
「家賃かツケ何とかしたら聞いてやるよ」
 クルクルパーもとい銀さんとお登勢さんの言い合いが始まる。これじゃあ怖がって客なんか来やしないじゃないか。
 お登勢さんに出された条件は一つ。一万回金になる接客をすること。正直今まで接客なんぞしたことの無いうえに愛想のない私には無理ゲーである……が、それができたら母さんの墓を建ててくれるし管理も、そして私も入れてくれると言われればそう悪い条件でもない。たぶん。
「あーもー。ほら銀さん、これでも飲んで静かにして」
「どうせまた水だろ」
「いやいや、マジにアルコール。メタノールだから」
「おま、それガチで静かになっちゃうやつじゃねーか!」
「ほんのブラックジョークですって」
 おかしいな、第七師団ではウケたのに。どうやら地球人は繊細らしい。
 その後は結局ろくに客が入らなくて、お登勢さんは私に銀さんを押し付けて早々に引っ込んでしまった。練習相手にしろとのことだが、一体何を練習すればいいのか。
「えっと、何か食べます?」
「何か食いたいのはお前だろ、腹鳴ってんぞ」
「奢りですかぁ? 名前嬉しい!」
「店変わってんぞ、真面目にやれ!」
 そう言われましても、スナックとキャバクラの違いなんて知らないし。スナック菓子とプリクラならわかる。
 とりあえず飲み物でも……とお登勢さんが残してくれたメモを見る。なになに、家賃三ヶ月以上滞納の場合はお冷に酒一滴……? これもうお冷出しても一緒なのでは。ていうかこれじゃあ練習にならない。
「……片手、不便そうだな」
「慣れればそんなもんじゃないですかね。慣れてないけど」
 グラスを取り出して氷を入れる。そう、この程度は全然できる。水を注ぐのだって、片手で余裕だ。でも失ったのが利き手となると主に食事で困るし、文字だってろくに書けやしない。そろそろ義手を買うべきか。
「はい、お酒」
「ふざけんな。それほぼ水だろ」
「そう言われましても。これ以上は家賃払うかツケ払うかしてもらわないと私がころ……怒られる」
 仕方ないとばかりにグラスを受け取った銀さんはそれを一口飲むと、やはり顔を顰めた。さすがに出す方としても良心が痛むから、次からはお冷と酒を別々で出してあげようかな。
「お前あの話信じてんの」
「あの話?」
「接客したら墓に入れてやるって話」
 改めて端折って話されると酷い話だ。いや、私が望んだことなんだけども。
「悪いがババアはお前を入れてやる気なんかねぇぞ」
「払う払う詐欺の銀さんよりは信用できるのでは」
「いーやできないね。まず条件が嘘くせー。金になる接客ってようはババアの裁量じゃねぇか。お前のこと延々働かせる気だぞ」
「それは……困ったなぁ」
 まだ会って間もないが、お登勢さんは文句なしにお人好しだろう。となると私程度の労働者を延々働かせる理由なんて明らかだ。でも私にだってタイムリミットはある。神威に見つかればきっとまたあの悠々自適な監禁生活に逆戻りで今度こそ逃げられない。そのときは手脚全部もがれるかも。
「あ、やばい。今すごくゾクッときた。冗談で済まなかった。男で言うところのタマヒュンだわ」
「この一瞬でどうした」
「私もね、大変なの」
 本当に、とんでもなく厄介なのに喧嘩を売ってしまったもんだ。しかし私は悪くない。
「酒の肴に聞きたい? 私の最高についてない身の上話」
「……この最高に不味い酒にはぴったりかもな」
 お褒め頂いたクソまずい酒をまた作って、私は全部話した。春雨などの固有名詞は避けたけど今まで誰にも言わなかった、言う必要のなかったことを全部。私が話し終わるまで銀さんは黙って聞いていた。
「お前のかーちゃんさぁ、それ絶対ヤってたよね」
 黙っててくれてよかったと思った。こんなのいちいち挟まれたら話進まないわ。
「開口一番それっスか」
「男と女が夜同じ部屋でやる事なんざ一つだろ。男は下半身で生きてるから」
 新しい水割りを作る。そろそろ不味い酒も飽きてきたので、酒を一割にしてみよう。
「男の人は能天気でいいですねー。娘としては、目標にしてた母親が実は弱かったなんてなかなかショックな案件だってのに」
「あ? 誰が弱いって?」
「だって、傭兵としての腕がなかったから体売ってたってことでしょ?」
 銀さんがまたグラスに口をつける。ちびっと飲んだかと思うと、首をかしげてもう一口。どうやら一割くらいじゃそんなに変わらないらしい。
「お前あれだろ、処女だろ」
「うっさい童貞」
「誰が童貞だ、ご無沙汰なだけ……じゃなくて。女ってのはホイホイ股開くけど、母親はそう簡単じゃねぇぞ」
 母親も女も同じだろうに、男が何を言い出すのか。
「いーや違うね。惚れた男がいて子供もいる母親ってのは恐ろしいぞ。それをお前みたいなへなちょこが弱いなんて言うな」
「……へなちょこ呼ばわりされるほど弱くないし」
「ヨチヨチ歩きの分際で吠えるなよ、名前ちゃん」
 ムカつく。ムカつくムカつくムカつく。そりゃあ夜兎ってこと伏せてるし、女だから舐められても仕方ないかもだけど。
「……どうしたって限界はあるんだから、仕方ないじゃん」
「んなこと言ってるうちはいつまでたっても母ちゃん超えられねぇよ」
「っでも死んだ! 殺された! それって弱かったからじゃないの!?」
「お前は生きてるだろ」
 一瞬息が止まる。銀さんの目はいつもと違っていて、刀の刃みたいに鈍く静かに光っていた。
「失うもんだけ数えてるようじゃ強くなんかなれねぇよ。お前の母ちゃんはお前を守って死んだ。そんなふうになってからも、今日までお前を生かしてきた。どっからどう見ても、強い母ちゃんだろ」
「…………」
 空になったグラスを差し出される。水の入ったペットボトルを手に持ったけど、結局それは片付けて普通に日本酒を用意した。
「ババアはいいのか」
「一番下に授業料って書いてあった。問題ない」
 さて……これから、どうしようか。
 したいこと、欲しいもの。とりあえず、久々に満腹になりたい。いい加減不便だから義手も欲しい。もっと可愛い柄の番傘も。ああ、なんだ。意外と次々出てくるじゃないか。
「……悔しいけどさ、認めるよ。私はいろいろ間違ってた」
「えらく素直じゃねーか」
「認めるしかないじゃん。勝手に突っ走って、こうして全部失ったんだから」
 残ったのはこの命と、この命を繋いだ母の存在。
「ねえ銀さん。私は、今からでもやり直せる?」
「さあな。やる気があれば、何とかなるんじゃねーの」

 それから数日、私は地球を去ることにした。あの色褪せた巾着はまだ懐にある。もう少し、親離れは先延ばしにしたかったからだ。
「よお」
 どうやら見送りに来てくれたらしい銀さんだが一体誰から聞いたのか……なんて、知ってるのはお登勢さんだけなんだけど。何から何まで、本当にお節介な人だ。
「墓、諦めたんだってな」
「諦めてはいない。いつか理由にしなくてもいいくらい強くなったら、またここに来るよ。お別れに、ね」
 空は狭いけど、人は優しいし。ここならきっと母さんも気に入るはずだ。私も帰ってくるならここがいい。
「で、例の男のとこにでも帰るのか?」
「まさか。私にミノムシ願望はない」
「でも惚れてるんだろ、そいつに」
 一番近いだろう表現であることは認めるけど、たぶん私と神威にその言葉は不似合いだ。世間一般の恋人とか家族とか、諦めなんかじゃなくそんなものとは縁遠い自覚くらいある。
「強いて言うなら“殺し愛”ってところかな」
「……これは、たしかにミノムシになりそうだな」
「次は私が切り落とす番だし」
 次会うときは言うんだ。殺しに来たよ、って。あのバカのことだから、きっとどっちの意味でも喜ぶ。
「それより、銀さんは自分の心配した方がいい」
「……?」
「ふふ、ご馳走様。お登勢さんによろしくね」
 さて、銀さんのツケということでお店の食料がすっかり空になってることにお登勢さんが気付くまであと何分か。そして銀さんが半殺しにあうまであと何分か。この目で見られないのは残念だけど、また来たときの楽しみにしよう。
 江戸から飛び去る宇宙船の中、聞こえるはずのない悲鳴を聞いた気がした。


[ back ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -