いろいろ | ナノ


▼ 魚と神威

 フォークがあればいい。それが私の口癖だ。正確には地球に来てからの、だけど。
 宇宙のあちこちで暴れ回っていた私は地球にはおいしい物がたくさんあると聞き、遠路はるばるやってきた。そして絶望した。全ては細長い二本の棒によって。そう、箸だ。箸という物はどうしてああも複雑なのか。簡単なのは形ばかりで、とても扱えたものではない。そもそも私はナイフだってろくに使えないのだ。箸が使えるはずがない。
「……お腹すいた」
 食事に行こう。そう誘ってきたのはあの男のはずだ。なのにいつまで経っても姿を現さない。奢りだというから来たのに。お代わり自由だというから来たのに。そうでなければ何が悲しくて一緒に食事など。奴の顔を見ながらどころか、これじゃあ飢え死に確定だ。悲しいどころの騒ぎではない。
 もういっそ一人で食べに行こうかという考えが浮かばないでもなかったけれど、あいにく私は財布を持っていない。強いて言うならあの男が財布だ。財布にして上司のあの男、神威。同じ夜兎族で出会いは戦場、地球のことを教えてくれた人。その神威を私はかれこれ二時間ほど待っているわけだ。
「……お腹すいた」
 二度目のセリフ。でもそこに込められた意味は少し違う。確かに私はお腹がすいている。ペコペコすぎてお腹と背中がくっつきそうだ。でもそれとは別に少しだけ、本当に少しだけ寂しいと思っている。最近そのことに気付いた私は心底驚いた。寂しいなんて思ったのは、もうずいぶん前のことだったから。
 幼い頃は何てことない普通の女の子だった。それが成長するにつれ、夜兎の本能が開花したとでも言えばいいのか。強い奴がいると聞けばそこに向かい、いつしか家に帰らなくなっていた。気がついたときには家からはずっと遠い星にいて、帰り道なんて皆目見当もつかない有様。そのときにはもう寂しいなんて気持ちはこれっぽっちも私の中になくて、ああきっとどこかの星で落としてきたんだろうなんて。馬鹿みたいだけど、まじめにそう思っていた。そしてまた星を巡った。いくつも、いくつも。そうしてもう何人目になるのかわからないターゲットを前にしたとき、神威に会った。
「ごめーん。仕事一つ残ってたの忘れてたー」
「…………」
「あり? ご機嫌斜め?」
 あのときもそうだった。
『ごめーん。これ俺の獲物だからー』
 そういって笑顔で相手の血を撒き散らす神威は、ちっとも申し訳なさそうじゃなかった。あのときからなんだかんだで一緒にいて、春雨なんて組織に入ってしまって。寂しいなんて思うようになってしまって。
「……お腹すいた」
「うん、俺も」
 全部全部、神威のせいだ。
 ちっともわかってない神威にむかついたので、とりあえずアホ毛を引っ張ってやった。しかし神威の笑顔は崩れない。
「何食べる?」
「なんでも」
 いっそ神威の肉でもいいよ、と言おうとしたけどさすがにやめた。これからもっとおいしい物をご馳走してもらえるというのに、神威で妥協する必要はない。
 そんなわけでお店に入り、メニューを端から端まで注文する。そこからさらに待つことになったのだけど、次々運ばれてくる料理はどれもおいしそうだったのでひとまず許してやることにした。
 最初の標的は肉。たしかなんちゃらのステーキだった気がする。よく覚えていない。私の前にはナイフとフォークが置かれていたけど、迷うことなくフォークを真ん中に突き刺した。そのまま持ち上げればそれなりにぶ厚い肉は重力に従って逆U字になり、ぽたぽたとソースが垂れる。手や服を汚さないように食べるのは少し難しかったがなかなかおいしい肉だ。
 そうして私がステーキと格闘する姿を向かいの神威は愉快そうに見ている。人が真剣なのになんだその顔は、と言いたくなるがこんなのはまだマシな反応で。初めて阿伏兎と食事をしたときは「これでよく手を使おうと思わなかったよな」と宇宙人でも見るような目で見られた。いや事実宇宙人なのだが。
 ちなみに手で食べたことは幼少期を除いて一度もない。これでも私は綺麗好きなのだから、当然だ。
「魚あるけど?」
「……ほぐして」
 いくらフォーク慣れしている私でも魚だけは無理だ。フォークで骨は取れない。一度骨ごと食べるという馬鹿げた挑戦をしたのだけど、結果は惨敗。骨が喉に刺さって、一日中違和感に悩まされた。以来魚をほぐすのは神威の担当。代わりに神威の所望するおかずを分けてやらなければいけないけど……でも仕方ない、魚おいしい。
「じゃあこれ。今日は食べさせて」
「意味わかんない。スプーンでいい?」
「箸で」
「鼻に刺してあげる」
 こんな会話をしながらスプーンを口元に運んでやれば、大口を開けて食いつく。まるで親鳥から餌をもらう雛のようだ。とてもじゃないけどあの戦場で戦う神威と同一人物とは思えない。
「そろそろデザート?」
「ダメ」
 皿の上があらかた片付いたところでそう聞けば、たった二文字で切り捨てられた。お代わりはよくてデザートがダメな理由とは。
 写真つきのメニューを手にこれとかおいしそうだよ? と訴えてみるけど、神威の答えは変わらずノーだった。こういうとき、財布を持っておけばよかったと思う。そしたら自腹で頼めるのに。
「デザートはね、決めてるんだ」
「何?」
「待ってて」
 もう二時間待った。これ以上何を待てというのか。
 神威が呼び鈴を鳴らす。でももう待てない。私は十分待った。
「……名前、痛いんだけど」
 神威の腕にフォークが刺さってる。いや、刺さってると言うより刺した。流れてきた血が真っ白なテーブルクロスを汚す。じんわりと広がる赤がきれいで、さらに力を込めてみた。
「待てない。お腹すいた」
「これだけ食べといて?」
「お腹すいた」
 そう、私はお腹がすいている。ペコペコすぎてお腹と背中がくっつきそうだ。寂しくて死にそうだ。
 お腹すいた、寂しい、お腹すいた、寂しい、寂しい、寂しい。
「神威を食べたら満たされるかな?私は寂しくなくなるのかな?」
「……知らないよ。でも、食べるならまずはあっちにして」
 神威の指差す先には呆然と立ち尽くす店員がいた。その手には丸い、パイのようなもの。神威に呼ばれてはっとした様子の店員は震えながらそれをテーブルに置く。
「ああ、分けなくていいから。もう下がって」
「……神威?」
「全部名前の。残さず食べて。あと、気をつけて」
一体何を気をつければいいのか。パイに骨が入ってるわけでもあるまい。
でも出されたそれはデザートには違いないわけで、私はいつものように大胆にフォークを突き立て……ようとしたもののさすがにこれを噛み千切るのは無理があった。少しずつフォークで切り分け黙々と食べ続ける私を、神威は黙って見ている。半分ほど食べたところで「ああ、そういえばこれ神威を刺したフォークだったな」と思い出す。だからどうというわけではないけど。
「……?」
 硬い。さっきまで難なく切り分けていたパイがまるで別物のように硬い。上の方はたしかに切れているのに、下まで届かないとは何事か。まさか本当に骨が入ってるんだろうか。
 仕方なくそこを迂回して、行儀悪いけどフォークの先を使って掘り返す。そこから出てきたのは指輪だった。
「全部食べる前に出てきちゃったか」
「……神威」
「まだ俺のこと食べる気?」
「……食べない。だって、神威骨あるもん」
「ほぐす?」
「まだいい」
 指輪についたパイ生地とクリームをきれいに舐めながら、私は心底思った。
 神威に出会ってよかった。神威に骨があってよかった。


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