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▼ 彼はそれを実現する

 渡された企画の書類は最初のページで読む気が失せ、私はそれを編集長に突っ返した。
「書けません」
 “元ボーダー隊員の激白”、“ボーダーの裏事情”、“ボーダーと国はグル?”等々。実に勝手な文字が踊るその紙には小さな字で“責任者苗字名前”と書かれていた。認めたくはないが、私の名前だ。
「はいそうですか、てなると思うか? もう決まったことなんだよ。いいじゃないか。取材しなくてもいいし、それだけで楽な仕事だ」
「ボーダーをやめた時点で一般人と同じ記憶消去を受けています」
「全部じゃないだろ? なら覚えてること継ぎ接ぎして、あることないことでっち上げて書け。情報を公開していない以上、向こうだってあまり強くは反論できないはずだからな」
 嵐山の恋愛スキャンダルなんてどうだ? なんてさも面白そうに笑う上司の顔は醜悪の一言に尽きる。そんなものの一体何が面白いというのか。
 私はなんでこの仕事に就いたんだったっけ。少なくとも、こんなクソみたいな上司の元でこんなクソみたいな記事を書くためじゃなかった気がする。
「あんなにやりたがってたボーダーの記事を回してやったんだから、これ以上わがまま言うな。ほら」
 再び企画書を持たされ、しっしっと手を振られる。仕方なく自分のデスクに戻り息をつくと、いつの間にか握りしめていたようで企画書はしわくちゃだ。本当に、握り潰せたらどんなにいいか。
 私がボーダーを辞めたのはもう五年以上も前の話だ。多くの隊員が脱退、そして入隊するきっかけとなった大規模侵攻の時期。私は脱退側。理由は両親に泣きつかれたこと。元より親の承認あってのボーダー隊員であった未成年の私に拒否権はなく、だからといって一般市民の安全よりも我が子の身を案じてくれた両親を恨もうなんて気は微塵もない。ただ一つ、私は両親に条件を出した。それは三門市を出ないこと。当時ボーダーを辞めた隊員のほとんどが引っ越しており、同じくそのつもりだった両親はとても驚いていたが「またイレギュラーな門が三門市以外で開いたとき誰に助けを求めるのか?」という私の説得でどうにか納得させ、私は今も三門市に住んでいる。
 たしかに私はもうボーダー隊員ではない。でもそれは肩書きの話だ。例えもう近界民と戦うことはなくても、組織のために献身しようという心は変わらない。
(……上等、期待してるのと真逆の記事にしてやる)
 とりあえずあの編集長を見ていたらムカムカして仕方ないので場所を変えようとすると、肩に手を置かれた。
「……モリベさん」
「おーす。外行くなら一緒しない? 奢るよ」
 新人ーー今も割と新人だがーーの頃からお世話になっているモリベさんは主にグルメ記事担当、まずついて行って損は無い上に奢りとなれば断る理由はない。
「是非お願いします」
「おし行こー」
 そんな過度の期待を胸に辿り着いたのは意外にもよく知る店だった。よく知るといっても、最後に来たのは五年以上前だけど。
「ここ、あたしの年齢で入るにはちょっと可愛すぎるけどおいしいんだよね」
 そう言っていそいそと店に入っていくモリベさんは全く気後れした様子がない。
 いつも思うがこの人は本当に言動と行動が一致しない。長身でミステリアスな気取らないほどほど美人ということで人気があるのに、彼氏と続かないのはこういう所が原因なのだろうか。恋愛事情と年齢に関して取材した者は神隠しに遭うと言われているので、私も先達に倣って深追いは避けるが。
 おそるおそる店内に踏み込めば、店内の様子はそれなりに変わっていた。雰囲気というかコンセプトはそのままだが、それを現代に合わせた感じというか、そんな感じ。
 先に席についていたモリベさんはメニューを睨んでいる。
「苗字、今日バイキングやってるんだって」
「はあ」
「二人以上だと人数×百円安くなるって。もっと連れてくればよかった」
 それ何人連れてきても一人百円引きでは? と思ったが口にしてはならない。奢ってもらえなくなる可能性がある。
「というか、時間帯的にもランチかと思ってました」
「だって苗字イライラしてたし。お前はそういうとき甘いものっしょ?」
「……よく見てますね」
「記者ですから」
 あーでもこの新商品もおいしそう……なんて頭を抱えるモリベさん。本当にこの人は抜け目ない。
「なるほど。では記者のモリベさん、ボイスレコーダー切ってもらえます?」
「……はいはい」
「あ、スペアもですよ」
 二つ目は流石に渋ったものの、観念したらしくテーブルの上にはボイスレコーダーが二つ並べられた。
「なんでバレたかなー」
「そりゃあ最初の頃は後ろにぴったりくっついて歩いてましたから」
「デスヨネー。完全に人選ミスだって言ったのにさ、あのヅラ」
 やはり編集長の差し金らしい。私がまともに書くつもりがないことは筒抜けだったらしいがそれはまあ隠す気もなかったので仕方ない。
「アンタもさ、そんなに真っ当なボーダー記事書きたいなら辞めるんじゃなくて広報に移動すればよかったんじゃないの?」
「一般で書いた方が信憑性あるじゃないですか。それになんと言うか……居づらくて」
「あー、戦闘以外は基本年寄りだっていうしね。それはたしかに心枯れそう」
 痩せたらイケメンのエンジニアもいますよ、とは言わないでおこう。これ以上引っ張る話題ではない。
「まあとにかく、提出ギリギリまで粘ればまともな記事を載せるしかなくなるでしょう。穴開けるわけにはいかないし」
「それ私が迷惑なやつ」
「人選ミスした編集長の責任です」
 メニューに目を通す。最初に目に止まったのは苺のショートケーキだった。空閑くん、元気かな。
「あ、いた」
 記憶に残る彼とほとんど変わらない声につい頭を上げて後悔した。近い。すごく近い。
「久しぶり」
「ひ、さし、ぶり……」
 ニッと笑うその表情はまるでいたずらに成功した子どものようだ。声変わりした様子もないが、あれから体が成長した様子もない。唯一にして最も変わったところといえば、髪が黒くなったことか。
 まさか会うことはないだろうと思っていたのに。なんでよりによって今日、このタイミングなのだろうか。私は合わす顔なんてないのに。
「迅さんの言う通りだったな」
 ジン……迅悠一? 空閑くんから一度聞いたことがある。たしか未来が見えるとかっていうSE持ちの人だったっけ。つまり空閑くんはその人にわざわざ聞いてきたのか。
「……誰?」
「あ、あとで話します……それで、何か用事?」
「おれ、最近夢を見られるようになってさ。昨日、見たんだよね」
「……夢?」
 いつだったかもこんなやり取りをした。そのとき夢を見たのは私で、それを正夢にしようと二人でここに来た。ああ、だから。なんとなくここに来なくなったのはそういうことだったんだなぁ。
「ナマエがボーダーに復帰して、また一緒に模擬戦とかする夢」
「……それ、記憶と勘違いしてない?」
「してない。正夢ってやつ? おれ、見たことないんだよね。だから今度は、ナマエが正夢にしてよ」
 戻ってもいいんだろうか。親に言われたからとはいえ、尻尾を巻いて逃げ出した私がまたボーダーになるなんて。
「……ナマエは戻りたくないのか?」
 そんな私の葛藤を見透かしたように、空閑くんが聞く。
 狡いよ空閑くん。君にそんなふうに聞かれたら、嘘なんてつけないじゃないか。
「……戻りたい!」
「よし、決まり」
 そのまま私の腕を掴んで走り出そうとする空閑くんだったが、私のもう片方の腕がモリベさんに引っ張られる。正直痛い。裂けそう。
「話はわからん。説明求む。とりあえず長時間席についておきながら注文せずに帰るのは社会人的にどうかと思う」
「……一理あるな」
「全部話してくれたらお姉さんがここ奢るからさぁ、とりあえず座ろうよ? ね?」
「ほほう」
 いかん、空閑くんが買収されている。
 テーブルの上に放置されたままだったボイスレコーダーを素早く取り上げ、モリベさんの前に再び腰をおろす。
「わかりました。お話は私からさせてもらいますがよろしいですね?」
 飛び散る火花。まさかこの人を敵に回す日が来るとは思わなかった。
 場が収まったのを察したらしい店員が寄ってくる。私と空閑くんは打ち合わせた訳でもないのに同じ言葉を発していた。
「「とりあえずショートケーキ、ホールで」」


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