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▼ 少女は甘い夢を見る

 寝ているときにその場から落ちるような感覚を感じたことがある人は少なくないと思う。少なくないはず。仮定しよう。別に崖などから落ちる夢を見たわけでもないのに、現実でその場から落ちたわけでもないのに、何故そのように感じるのか。誠に遺憾である。
「あ、起きた」
 つまり私はその落下感に襲われて目を覚ましたわけで、至近距離から聞こえた声についガクンと落としたばかりの頭を上げて後悔した。近い。すごく近い。
「お、はよう」
「おはよう」
 ニッと笑うその表情はまるでいたずらに成功した子どものようだ。まあ、そのものズバリ子どもなのだけど。そして私も子どもなのだけど。
 さて、こんがらがった記憶を整理しよう。ここはどこ? ボーダー内のラウンジ。なんでここに? ここを待ち合わせ場所に模擬戦の約束をしていたから。誰と? 目の前の空閑くんと。回想終了。
「……あーあ。いい夢だったのに」
「おれ、起こしてないよ」
「知ってる。だから余計悔しい。怒る対象が見つからない」
 我ながらなんて奴だ。そう思ったのは私だけだったらしく、椅子の上で軽く伸びる私の隣に空閑くんは笑顔のまま腰掛ける。
「崖から落ちる夢でも見たのか?」
「……それって全然いい夢じゃないよね? ほら、授業中居眠りしてるときとかによくあるでしょ、謎の落下感」
「んー……もうよく覚えてないかな」
 覚えていないとは? そう聞きたかったのに、その言葉は「それよりもさ」という声に遮られた。
「結局どんな夢だったんだ?」
「えっとね、これくらいのホールケーキを食べる夢。スポンジふわっふわで生クリームたっぷり。いちごも乗ってた」
 手で大きさを作ってみると案外小さい。でもたぶん普段見慣れているものが大きいせい。一般的な家庭に生まれた私がホールケーキを目にする機会なんて記念日くらいのもので、そんなときは決まって六人分くらいの大きなものになるのだから。
「もっと大きいのかと思った」
「大きけりゃいいってもんじゃないよ、食べきれないと悲しいし。二人で食べるには十分でしょ」
「二人?」
「うん、誰かと食べるところだったの」
 目の前にあったホールケーキ。どんなやつかは思い出せないけど刺さっていた飾りを抜いて、お行儀が悪いけどそこについた生クリームを舐めて、舐め方が下手くそなせいで口の周りに粉糖が付いてしまった。それを拭っていざケーキ……というところであの落下感である。許すまじ。
「それはキツイね」
「ね。食べたかったなぁ」
 目を閉じればクリームの甘さがまだ残っているようで、自然と唾液が出てくる。お昼食べたばっかりなのに。
「じゃあ行こうか」
「え? 模擬戦は?」
「おれも食べたくなったから。集中できなきゃ意味ないだろ?」
「……でも、お昼食べたばっかり」
「ケーキは別腹」
 またニッと笑う空閑くんだけど、今度は少し違う。企みが成功したんじゃなくて、進行形の顔だ。
「正夢ってやつ? おれ、見たことないんだよね」
「……そういえば、私も」
「ほう。奇遇だな」
「てか、夢見たのは私であって空閑くんじゃないよね」
「なんだ、行かないのか?」
「行く」
 不謹慎だけど、こういうときボーダーやっててよかったなと思う。同い年の子よりはるかに財布が潤ってるから。
 二人同時に立ち上がって、ケーキ屋さんへ向かって走り出す。いくつか候補を思い浮かべたけど、空閑くんの思い通りのようで少し悔しいので一番ファンシーなお店にしてやろうと思う。


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