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▼ 恋と呼ぶには青すぎた

 聞き慣れた電子音が店内に響く。たとえ真夏でもあまり長居したくないコンビニのウォークインから店内を覗けば、来店は一人。レジには高校生のバイトがいるという普通なら作業を続ける状況だけど、ドリンクの隙間から見えた見覚えのありすぎる後ろ姿にこれ幸いとウォークインを抜け出す。
「迅」
 振り向いた人物はやはり同じ高校に通っていた、当時からボーダー隊員だった迅悠一だった。
 迅は人の顔を見るなり、何かを放ってくる。咄嗟に受け取ってその熱さに一瞬驚くけど、謎の物体がカイロだと認識すると大事に抱え込んでしまった。思いの外冷えていたらしい。
「また上着も着ないでウォークインにこもってたでしょ」
「だって、いちいち脱ぐの面倒だから」
「そのうち風邪ひくよ」
「やめて。迅が言うと本当になる」
 これは割と本気の話で、迅が口にしたことは大体本当になる。本当にならないのは彼の言葉を信じて用心したときなので、たぶん今回は本当にならない。私の記憶力が確かなら。
「で、今日はぼんち揚げ?」
「正解。あとは肉まんもお願いしようかな」
「あー、肉まんそろそろ廃棄だからやめといたら? ピザまんなら食べ頃のはず」
 さすがの私も知人に廃棄ギリギリの商品を勧めるような人間性は持ち合わせていない。それに、廃棄予定の肉まんは私と高校生のおやつになる予定なのだ。たとえ迅でも譲れない。
「苗字の口には入らないよ」
「え?」
「……ごめん、なんでもない」
 結局、迅はぼんち揚げとピザまんを買っていった。本当ならここで買わなくてもぼんち揚げの在庫を、それこそうちの店以上にいっぱい抱えてるのに。手持ちを食べ切ってしまったとかでちょくちょく買いに来る迅は少し抜けていると私は思う。
 そんなことを考えながらウォークインでの作業を終え、レジに戻る。高校生はなんだか浮かない顔だ。煙草でおじさんに怒られでもしたのだろうか。
「苗字さん、肉まん一つ売れちゃいました……」
「……私はいいから、食べておいで」
 こんなことなら迅にあげればよかったと、私は少し後悔した。

「お疲れ様です」
 夕方、次のシフトの人と交代して帰路につく。その足取りが重いのはいつものことで、きっと今日も近くの公園でたっぷり時間を潰して帰ることになるんだろう。
「……なんでこうなったかなぁ、なんて言う資格ないか」
 高校卒業後、一度はまともに就職した私は理想と現実のギャップにあっさりドロップアウトした。それからは実家暮らしということもあって、バイトに甘んじる日々。そのことは誰にも教えていなかったというのに、迅がほぼ確信めいた顔をして店に来たときは驚いた。だって私は迅にだけは、私のドロップアウトを予測していた迅にだけは知られたくなくてみんなに秘密にしていたのだから。
 思えば迅はいつだって先回りが得意だったように思う。私の居場所はもちろん、私がやろうとしている事だってお見通しと言わんばかりに準備万端で待ち構えている感じというか、そんな感じで。そして私はそれが少しばかり気に入らなかった。保護対象というか、対等に見られていないようで不満だった。
「だからって就職は無謀だったよねぇ」
 夕方の公園は閑散としていた。冬の寒さの前では、風の子も音を上げるらしい。ブランコに腰かけて、帰り際にコンビニで買った缶コーヒーを啜るとほっとするような、泣きたいような気持ちになる。
 今思えば本当に呆れ返ってしまうのだけど、私の就職理由はそれ以外特になかった。卒業後は純粋にボーダー隊員として生活するという迅に負けたくなくて、自分も彼と対等な大人になりたいという、見栄とも憧れとも少し違う何か。はっきりしていることは、自分がどうしようもないガキだったということだろう。大人っていうのはお酒が飲めるとか免許が取れるとか、そんな上っ面だけのものじゃない。それにあと一年早く気付けていたなら、どんなによかったか。でもこうならなければわからなかったのだろうとも思うので、きっと私はこうなるべくしてなったのだ。
 別に迅を責めるつもりはない、というか全くないのだけど。いっそのこと彼が「ほら、おれの言った通りになった」と笑ってくれたなら私は今の生活を変えられる自信がある。そのことをわからない迅じゃないだろうに、何故か彼は何も言わず、余計なことばかりを話して、それじゃあまたなんて言って帰っていくのだ。
「……っくしゅ」
 とっくに熱を失った缶コーヒーとやや心許ない防寒着は私を寒さから守ってくれないらしい。迅の忠告を思い出し、もう帰ろうとほぼ残っていない缶コーヒーの残りを飲み干せばどちらかと言うとアイスコーヒーの温度になっていて大袈裟に震える。
「苗字、本気で風邪引くよ」
 そう後ろから声をかけられ、今度は心臓が震えた。
「……迅も寒そうな格好だったと思ったけど」
「たしかに。この時間は冷えるな」
 さっきまで泣きそうな顔をしていたはずなので大変振り返りにくい。後ろから来てくれて助かったけど、このまま顔を合わせないのも変な話だ。
 どうしたものか……と思っていると迅の方から「そのままでいい」と言ってくれた。
「言いたいことはたくさんあるんだけど、ちょっとタイミングが難しくて」
「迅でもそんなことあるんだ」
「あるよ。おれのこと何だと思ってるの」
 何、と言われても。迅は迅だとしか言い様がないんだけどな。それを説明しろと言われるとかなり困る。
「まず……ごめん。就職するって聞いたとき、もっと他に言い方があった」
「……それは、私の責任だし」
「あと、今度の夜勤早い時間にずらしてもらって」
「え、なんで知ってるの? ていうか夜勤くらいたまにあるし、全然平気だけど」
「その日おれも夜勤だから守れないんだよね」
「私の勘違いじゃないなら初耳過ぎて処理が追いつかないんですが」
 なんか、おかしい。何がって全部が。ちょっと本気で処理が追いつかない。
「……これ以上言うと、一番言いたいことが伝わらなそうだなぁ」
「待って、まだあるの」
「結婚前提に付き合って」
 ごめん、ショートしそう。ていうかした。え、迅って私のこと好きだったの? いつから? 自分で言うのもなんだけど、今なかなかクズみたいな生活してる女だよ?
「……無理、かな」
「知ってる。だから言いたくなかった」
 もうツッコミも追いつかないよ。フラれるのわかってて告白したけど言いたくなかったってなんなの。なら言わなければよかったのでは。なんなの迅悠一。
 とりあえず何か言ってやりたくなって振り向くと、そこには今まで見たことのないような表情の迅がいた。途端に胸はきゅーってなるし、声は出なくなるし、寒かったはずなのになんだか暑くなってくる。せっかくそのままでいいって言ってくれていたのに、私はいつになったら迅の忠告に従うようになるのやら。でも同時に、思う。きっとこれも、なるべくしてなってしまうのだろうと。
「い、今は……無理」
「もう聞いたって」
「だから、さ……」
 私ならできると言って欲しい。
 そうお願いすれば、迅はいつもみたいに笑って言った。
「念の為言っておくけど、おれが何も言わなくても苗字は大丈夫だったよ。ただおれが待てなかっただけ。……苗字なら絶対できる」
「……よかった」
 私が思っていたより、迅はわかっているようでわかっていなかったらしい。その一言があれば、私は大丈夫どころか無敵にだってなれるんだってことを。
 私の真意をはかりかねた様子の迅はやっぱりわかっているようでわかっていなくて、この分なら思ったよりも早く追いつけそうだと私は走り出した。


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