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▼ 甘いココアは苦かった

 夜、ふと目を覚ましたヒュースは時計を確認した。玉狛第二に限定加入したヒュースだがそれは表向きの話でその身は捕虜のまま、部屋は相変わらず地下室なので他に時間を確認する術がないのだ。
「……まだ夜か」
 時刻は午前二時。このまま起きているにはあまりに早い時間で、かといって覚めてしまった目が次に閉じてくれるのはいつ頃だろうかと思うとなんとも言えない時間だ。
 とりあえず水でも飲もうとリビングに向かったヒュースだったが、扉からは明かりが漏れていた。まさか迅が待ち伏せでもしているのか……? とヒュースが中の様子を探ると、そこに居たのは名前という女性隊員だった。玉狛支部に連れてこられた際一度紹介されたきり会うことのなかった彼女の名前がすんなり出てきたことに、ヒュースの唇が得意そうに小さく弧を描く。
「陽太郎?」
 気を抜いた瞬間気配を悟られ、再びヒュースの唇が動く。今度は大変不服そうに、しかしそれを表に出さないようにと横一文字である。
 ヒュースが姿を見せると、優しげな表情を浮かべていた名前は驚いたように目を見開き視線をそらした。
「ごめんなさい。……ヒュースくん、だっけ」
「……ああ」
「眠れないの?」
 正確には先程まで寝ていて起きてしまったところなのだが、現在眠れないことには違いないだろうとヒュースは頷く。
「私もなの。ココアでも飲もうかと思ってたんだけど、飲む?」
「……もらう」
 捕虜にしては自由に動いているヒュースだが、他に人がいない状態での火と刃物の使用は禁止されていた。なので名前の申し出はありがたく、この時間にココアは糖分が過ぎるのでは? と思ったもののそこはぐっと堪えた。
 程なくして差し出されたマグカップは先日、出先で購入した陽太郎とお揃いの物だった。何故彼女がそれを知っているのかと思ったのは一瞬で、おそらく陽太郎が自慢して回ったのだろうと容易に想像できたヒュースはマグカップを傾ける。
 ココアはやはり甘かったが、僅かにアルコールの香りと苦みがした。
「よく眠れるかと思って、支部長のブランデーを少々拝借してみました」
「……玄界では二十歳未満の飲酒は禁じられていると聞いたが」
「玄界では、ね。アフトクラトルではいいんだ?」
 途端に険しくなるヒュースの表情。名前は目を細めると、冗談だと笑った。
「上手く出し抜いたつもりか」
「違うってば。玄界でもヒュースくんの歳で飲酒できる国はあるし、近界もたぶん同じ感じでしょう? あんまり噛み付くと、本当に出し抜くよ」
 たしかに、これでは本国について漏らしてしまったと認めているようなものだ。
 名前に諭されたというのは遺憾であるがこれ以上醜態を晒すよりはマシだ、とヒュースは口を閉じることにした。迅ではないことで油断してしまったのか、それとも名前が迅と似た系統の人間なのか。どちらにしろ、自分は彼女と相性が悪そうだというのがヒュースの結論だ。
「おかわりは?」
「もういい」
「そう」
 それきり名前は口を開かず、リビングは沈黙に包まれる。何故か少しの音も許されない気がしてしまい、ヒュースも黙ってココアを見つめる。この色を作るにはどの色を混ぜたものかと、どうでもいいことをああでもないこうでもないと考えていると名前の方から声をかけられる。
「飲まないの?」
「……飲む」
「そう。冷めるよ」
 それはお前も同じことだろうとヒュースが睨むと、名前は「猫舌なの」と苦笑した。
「貧弱な舌だな」
「ヒュースくんに合わせて熱いココアを作った私になんという暴言」
「頼んだ覚えはない」
「かーわーいーくーなーいー」
 まともに話すのは今日が初めてだというのに、随分と気安い会話である。玉狛支部がそういう主義者の集まりであることはいい加減ヒュースも理解していたが、だからといって彼らを味方と認識したわけではないのでこの距離感には違和感しか感じられなかった。
「毎度の事ながら、お前たちの考えは理解に苦しむ」
「……ヒュースくん、ずいぶん馴染んじゃったんだねぇ」
 先程までとは違う名前の声色にヒュースが顔を上げると、彼女は口元に薄らと笑みを浮かべながらも目は全くと言っていいほど笑っていなかった。
「玉狛の人間全てがそうだなんてどうして言いきれるの? ご存知の通りボーダーも一枚岩じゃない。もしかしたら私は城戸さん派で、玉狛の近界民を監視するためのスパイかも。あるいは個人的に近界民を強く恨んでいて、暗殺を企てているかもしれないよ?」
「……そうだとして、それを正直に話す奴はいないだろう」
「んー……既に目的を達成済みだとしたら?」
 ヒュースは手元のココアを見る。既に半分ほど飲んでしまったそれは特におかしな点はなかったように思えたが、彼は先日サスペンスドラマにて玄界には無味無臭の毒が存在することを把握していた。あるいはブランデーで味を誤魔化した可能性もあり、たしかにこれが安全な飲み物だという保証はどこにもない。
 今から吐き出せば間に合うだろうか? と席を立とうとしたヒュースを名前が制止する。
「今回は大丈夫。ただ、君の正体を知ってる人全員が君に危害を加えないわけじゃないってことは覚えておいてね。迅も全部カバーできるわけじゃないし」
「……ジンは信用できるという保証がどこにある」
「さあ? それを決めるのはヒュースくんだよ。もう自分でわかってると思うけど、今回は私というよく知らない人に対して警戒心薄すぎ」
 悔しいことに近頃気が抜けていたのを否めず、ヒュースは乱暴に席を立つ。それが酷く子供じみた行動であることは理解していたが、今はとにかく名前から離れたかったのだ。
「ココア、もういいの?」
「……飲むと思うか?」
「だね。ついでに洗っておくから。おやすみ」
 返事をせずにまっすぐ地下室へ向かうヒュース。その後はどれだけ眠ろうとしてもなかなか眠気はやって来ず、寝坊をして陽太郎に起こされてしまうのだった。


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