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▼ 不完全燃焼なイタズラ

 朝の教室とは基本どこか影がある。それは早くも帰りたいという気持ちだったり、部活の朝練で疲れていたり、単純に眠かったりと様々だ。
 そんないつもの教室を想像していた名前は、意外にも賑わっているらしい教室に戸惑いを覚える。文化祭も体育祭もとっくに終わった今、皆がこれほどまでに楽しむイベントがあっただろうか、と。かといってこのまま一人考えていても埒が明かないので思い切って教室に踏み込むと、クラスメイトたちの視線が一斉に集まる。そしてそれははっきりとした安堵の色と共にそらされ、名前はようやく今日が何の日かを理解した。
 今日は10月31日、ハロウィーンである。まだあまり日本で定着していない海外のイベントだが、近年それは部分的に広まっている。たとえば名前たち中学生の中ではお菓子の交換。お菓子という単語以外本来の催事の原型を留めていないが、そこは日本流と思うしかない。日本人にとってはバレンタインもハロウィーンもクリスマスも、同じようなものである。
 何も後ろめたいことはないというのに、ほのかに甘い香り漂う教室に緊張している名前は間違いなく小心者だ。何も見てない、聞こえないと心の中で呟きながらやっとの思いで着席すると、視界によく目立つ色が飛び込んできた。
「名前ちゃん、おはよう」
「おは、よう。空閑くん」
 すっかり慣れたはずのやりとりだというのに、いつもと違う教室の空気のせいか名前の返事は口元で小さく丸まってしまった。その事に不思議そうな表情を浮かべるものの、空閑は決して追求しない。元々来るもの拒まずな所があるからだろうか? 理由はわからないが、名前にとってはありがたいことだった。いつもと違う雰囲気に飲まれているなど、我ながら情けなさすぎて少し泣きそうだった。
 名前がそうホッとしたのも束の間、空閑はにゅっと右の手のひらを突き出すとたどたどしい発音で言った。
「とりっくおあとりーと」
「……空閑くん、ハロウィーン知ってたんだ」
 言ってから名前は気付く。視野の広い空閑が教室のこの浮き足立った様子に気付かないはずがなく、とっくにレクチャーを受けたあとだろうと。しかしその予想は外れていたようで、彼は昨日ボーダーの仲間からお菓子がもらえる日だと聞いたらしい。どうりで、空っぽの右手だけが突き出されているわけである。
「ごめんね空閑くん、お菓子持ってないんだ」
「ふむ。じゃあ、イタズラをすればいいのか?」
「そ、それはちょっと狡いんじゃないかな。学校は関係ないもの持ってきちゃダメだから、ないのが普通だし」
 空閑の言うイタズラが何か、全く想像のつかない名前はどうにか回避しようと珍しく必死だった。その必至さが伝わったのか、それとも嘘のない主張のおかげか、空閑は納得してくれたらしく頷く。
「じゃあ、放課後名前ちゃんの家に行っていい?」
「な、なんで?」
「家なら、とりっくおあとりーとしてもいいだろ?」
 どうやら何としても初めてのハロウィーンを成功させたいらしい空閑。それが名前相手でなければならない理由は一つもないはずなのだが、狙った獲物をみすみす逃すつもりは無いということなのかもしれない。あ、う、としばし呻いていた名前だったが、最後には期待に満ちたその瞳に負けてしまった。
「……いいよ」
「じゃあ放課後、楽しみにしてる」
 チャイムの音で席に戻る空閑を見送り、名前は自宅の戸棚を思い出す。この時期特有のパッケージに装いを変えた袋菓子が複数あったはずだと、彼女の記憶は告げている。なんとかイタズラは回避できそうだと、名前は安心して1時間目の準備をした。

 放課後を迎えると、空閑は真っ直ぐに名前の元へやって来た。どうやら忘れてはくれなかったらしいと、名前はいい加減腹を括る。
 まずは学校から比較的近い空閑の家に寄り、それから名前の家へ向かうことになった。
「名前ちゃんは真面目だな」
「だって、寄り道してるのがバレたら怒られちゃうよ」
 バレなきゃ大丈夫、と親指を立てる空閑はついでに私服に着替えていた。制服姿しか見たことのない名前はその新鮮さからついじっと見つめては視線をそらしている。
「? どうした?」
「あ、ごめんね……私服、初めて見たから」
「そういえば。似合ってる?」
「うん。似合ってる」
 制服のときより幼く見える、という言葉を飲み込んだのは正解だろう。空閑なら気にしない可能性もあるが、相手はお年頃の中学生である。何より自分だって幼いと言われては喜べないのだから、思ってしまうのは仕方ないとしても口に出すべきではないと名前は思っていた。
「ここが名前ちゃんの家か」
「うん。ちょっと待ってて」
 家族に見られるのはどこか恥ずかしかった名前は空閑を外に残し、中に入る。玄関の靴で母が在宅だとわかると「ただいま」と声をかけ、戸棚へ急いだ。
「……あれ?」
 しかし昨日たしかにあったはずの袋菓子は一つもなく、百均のものと思われる開封済みの簡素なラッピングセットや買い置きのパスタとトマト缶、お弁当用のカラフルな仕切り等が雑多に詰め込まれているだけだった。飴玉の1つ、チョコレートの一欠片さえも落ちていない。
「お、お母さん! 戸棚にお菓子なかったっけ?」
「お菓子? ハロウィーン用にラッピングして全部配っちゃったわよ。名前いらないって言ってたから」
 そういえば、と名前は思い出す。元々あのお菓子は今日ちょっとした集まりがある母が用意したもので、最近自分の体型が少し気になっていたため全て断ってしまっていたことを。
 まさかの事態に頭が追いつかない名前だが、日が落ちるのが早くなったこの時期空閑を放置する訳にはいかない。おそるおそる外に出れば、空閑の期待に満ちた眼差しはその輝きを増していた。
「お菓子あった?」
「……なかった」
 どうやら名前の返事は意外だったらしく、空閑はぱちぱちと瞬きをする。
「じゃあ、イタズラか」
「……いいよ」
 名前の返事はまたも意外だったらしく、空閑は再び瞬きをすると「本当にいいのか?」と聞いた。
「……空閑くんは、私が本当に嫌がることはしないと思うから」
「……それ、すごくやりにくいね」
 考えるような素振りを見せる空閑だったが、彼も腹を括ったらしい。「いくぞ」と声をかけられ、名前は強く目をつぶる。次の瞬間、腰から下がひんやりとした空気に晒され名前は閉じたばかりの目を零れんばかりに見開いた。
「え?」
「あれ?」
 重なる声。音は違えど、意味するものは同じだった。
 両手を上げた状態で呆然とする空閑を、同じく呆然と見つめる名前。そのとき何を思っていたかといえば「空閑くん、スカートめくりなんてするんだ」とあまりに冷静な感想。おそらく、下に体育着の短パンを履いていたからこその余裕だろう。
「……女子は、スカートとズボン両方履くのか?」
「は、履かないよ。万が一下着が見えないようにって、履くことはあるけど……」
「なるほど。完璧な対策だな」
 うんうんと頷く空閑に、名前はどう返せばいいのかいよいよわからなくなってしまった。情報量に頭がついていけていない。
「……空閑くん、スカートめくりなんてするんだね」
 結局、口にできたのは先程の感想だった。空閑は悪びれる様子もなく「女子へのイタズラ初級と教わったもので」と返す。これを教えたのはほぼ間違いなくどこぞの実力派エリートなのだろうが、あいにくと名前は彼を知らない。ただ、ボーダーへのイメージが少なからず下方修正されたのだけはたしかであった。
「それで、これはイタズラ成功なのか?」
「う、うーん……」
 間違いなく不完全燃焼なことに、空閑もうっすらと気付いているらしい。ここで丸め込むことも一つの手ではあるが、今後のためにももう少し付き合った方がいいのでは? というのが名前の思いだ。何故なら、ハロウィーンは毎年あるのだから。
「……お菓子、一緒に買いに行こう?」
 近くのコンビニへ向かいながら、名前は心に誓った。来年はお菓子を用意しておこうと。


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