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▼ それはきっと、最初で最後の後悔

 まるで世界に二人きりみたいだ。
 迅から模擬戦に誘われ、もう何度刃を交えたか。少し休憩と市街地エリアのコンクリートに転がった太刀川は、らしくもなくそんなことを思っていた。その隣で同じように転がっている迅は何を思っているのか、顔すら見えない太刀川には想像もつかない。
「太刀川さんは、生まれて初めて後悔したときのこと覚えてる?」
 顔を盗み見ようとした矢先にそう聞かれ、太刀川は察する。これは模擬戦ではなくこちらが本命だろう、と。
 なんだか裏切られたような気持ちは一旦置いておくとして、太刀川は雲ひとつ無い仮想の空を眺めながら迅の質問を反芻する。
 後悔したことはそれなりにある。しかしどれが最初だったかなどと突然聞かれても、太刀川にははっきりこれだと言える自信がなかった。ひとつ確かなのは、忘れてしまう程度の後悔だっただろうということくらいだ。これがもし最後に後悔したことは何かという質問だったなら「こんなに長時間模擬戦に付き合ってくれるなら、昼に食べた餅を二つ減らせばよかった」と答えられただろう。おそらく、最初のそれもその程度のものだ。
「おれはね、よく覚えてるよ」
 そう言って迅は昔話を始めた。太刀川と会うよりも、近界民が現れるよりも前の昔話を。

 そもそも未来視のSEを持つ迅が後悔することは難しい。幼い迅が「自分は未来が見えているかもしれない」と思うのにそう時間はかからず、その力にのめり込むにはさらに時間を必要としなかった。そうして都合のいい未来ばかりを選択する迅が、唯一避けていた少女が一人いた。
「避けてた理由はまあ、いろいろあるんだけど。その日はどうしても避けきれないって前日にはわかってたんだ」
 必然的に二人きりになったその瞬間、少女はこの時を待っていたとばかりに自信満々に言った。
『迅くん、後悔したことないでしょ?』
 未来視のことを他人に話したことがなかった迅だったがこの時は正直に話す方が後々楽だとわかっていたのと、彼女がもたらしてくれるかもしれない変化を期待して正直に話した。この頃の迅は少し、楽な人生に飽き始めていたのである。このあと、実に様々な方法で迅に後悔させようとしてくる少女とのやり取りが楽しそうに視えてならなかったのだ。
「でも全部視えてたんだろう?」
「まあ、新鮮味はなかったかな。でも失敗したときの顔がすごく面白くて、不思議と飽きなかったんだよ」
 真剣な、それも年頃の少女に対して面白いとは如何なものか。流石の太刀川も、いや“流石に学習した”太刀川にも名も知らぬ少女が不憫に思えた。
「それで、お前の初めての後悔とやらはその子か?」
「そう。二週間後くらいだったかな。自殺したんだ」
「…………」
 最初その知らせを聞いた迅はとにかく驚いた。その未来が視えていなかったわけではない。むしろ“視えていた”からこそそれは数ある可能性の一つでしかないと、そう簡単に起こらないと思い込んでいたのだ。思い通りになることに慣れすぎて、確定するまで未来は不安定なのだということを失念していた。
 そんな迅が後悔したのは、彼女の遺書を渡されたときだった。
「一言だけ。たった一言『後悔した?』とだけ書かれていたよ」
「…………」
 たとえ僅かだったとしてもその可能性に注意していたなら。そもそもあんな勝負をしなければ。
 それで未来が変わったとは限らない。何をしても変わらない確定された未来があるように、何をしても取り除けない可能性だったかもしれない。それでも、迅が最善を尽くさなかったということに変わりはない。
「おれが、あの子を死なせた」
「……なあ」
 その子、お前のこと好きだったじゃないか。
 咄嗟に口を噤んで、その言葉を飲み込む。もしそうだとしたらそんなことは迅が一番視えているはずで、知っていたはずだからだ。
「何? 太刀川さん」
「……この話の本題ってどこだ?」
 せっかちだなぁと笑うと、迅が起き上がる。つられて太刀川も起き上がり、しばし見つめ合う。

「太刀川さん。全部捨てて、二人で逃げちゃおうか」

 迅の言葉を、今度は声に出して反芻する太刀川。
「全部?」
「そう、全部」
「……いいけど、嫌だな」
「どっちなの」
「だってお前、後悔するだろ」
 太刀川にとってはどちらも同じことだった。迅の隣に自分がいるならどっちでもいい。ただ、その隣人が浮かない顔をしているのはよろしくない。
「……太刀川さんなら、そう言うと思ってた」
「満足したならさっさと何を視たのか教えろ」
「ああ。まずは役者を揃えよう」
 そう言って、迅は実にすっきりとした顔つきで緊急脱出した。置いてけぼりをくらった太刀川は小さくため息をつくと、それに紛れ込ませるように呟く。
「後悔なんて、させてやるかよ」
 雲ひとつ無い偽物の青空の下、その言葉は誰に送られたものだったのか。


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