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▼ 忘れた感情


 名前は変だ。
 ここマクロス・フロンティアの住人からすれば俺のように体の大部分をインプラント化した存在の方が奇妙に映るのだろうが、逆に俺の方はというとそうでもない。たしかにギャラクシーでは程度の差こそあれインプラント化は当たり前だったが、生身の人間が皆無だった訳では無い。何より俺自身、望んでインプラント手術を受けた訳では無いので便利なことは認めるがどちらかと言えば反対派だ。よって、ここで俺の言う変とは生身であることを指している訳では無い。では一体何に対して言っているのか、そもそも何故急にそんなわかりきったことを改めて確信しているのか。その答えは、現在俺の目の前にいる名前の存在が全てだろう。
「傘」
「必要ない」
 このやり取りを何度繰り返したか。正確な数は把握しているが、2回以上繰り返した時点で俺の中では「馬鹿らしい」という結論に達している。その馬鹿らしいやり取りを何度繰り返せば満足するのか、名前は初めのときと変わらずこちらに傘を突き出している。強いて言うなら腕が少し下がってきており、次に上げ直せばその行為は3回目だ。見るからに脆弱な腕はやはりその通りだったらしい。人の心配をする前に、自分の運動不足を心配するべきだろう。
 買い出しを終え、店を出てどれほどの時間が経過したのか。あったところでどうということはないが、冷蔵物を買わなかったのは幸いだった。
「傘」
「……必要ないと言っているだろう。その耳は飾りか?」
「ブレラほどじゃないけど聞こえてる。そういうブレラこそ、わざわざ濡れて帰ろうとするとか正気?」
 これだ。インプラント化された体の身体能力や免疫力の高さをわかっていながら何故濡れることなど気にするのか。事前に傘を持ってきていたのならまだしも、傘を持たずに来たのだからこのまま帰って何が悪い。
「だから、私が傘持ってきたじゃん」
「頼んだ覚えはない」
「……何に拘ってるわけ?」
 何に拘っているか。
 身に覚えのない言いがかりだと鼻で笑えるほど、名前の雰囲気は穏やかではなかった。いつもうるさい彼女がこうも静かに怒るとは意外だ。
「……別に、拘ってなどいない」
「前、同じようにランカが傘を持って来てくれたときがあったらしいね。受け取ってはくれたけど、なくても大丈夫って言われたって」
 覚えている。あのときのランカは名前のように突っかかることなく「そっか」と笑っていた。それがいつもの笑顔でないことには気付いていたが、不甲斐ないことにどうすればいいかわからなかった。
 何故ランカではなく名前が傘を持ってきたのか疑問だったが、どうやらあの件が原因だったらしい。物分りのいい妹の静止を振り切りわざわざ雨の中、ご苦労なことだ。
「たしかにブレラは風邪を引かないかもしれない。でも、だからって雨に濡れていい理由にはならない。傷ついてもいい理由にはならない。そんなの……ランカも私も、悲しいよ」
「……っ」
 生理的欲求の制御や緻密な体調管理、摩耗あるいは破損した体のパーツを交換するのが当たり前なこの体故の過ごし方は、生身の者にとって理解し難いだろうことはわかっていたはずなのに。生きてきた半分にも満たない、物心が付いてからとなるとさらに短い間とはいえ生身の記憶が有るというのに。こうしてはっきり「悲しい」と言われるまで、自分が何もわかっていないことに気付けなかった。
「……はい、傘」
 再度突き出された傘をまじまじと見つめ、手に取る。先程までの表情が嘘のように名前は笑った。
「さすがに体冷えちゃったね。早く帰ろう。きっとランカがココアをいれてくれるよ」
「俺はコーヒーがいい」
「えー、贅沢」
「どっちがだ」
 そんな言い合いをしながら帰ると、さすがに時間がかかりすぎたせいか心配した様子のランカが待っていた。怒った顔をしつつも名前の予想通り渡されたココアは甘く、しかし嫌いじゃない。
「……温かいな」
「……うん!」
 ランカの笑顔はいつものそれで、こんなに簡単なことだったのだと拍子抜けしたのは秘密だ。
 たまには、変になってみるのも悪くない。


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