13

建物の外からけたたましいサイレンの音が響いてきた。磨りガラスの向こうから赤い光が差し込み荒っぽい車のブレーキ音と同時に男の怒声がいくつも聞こえてくる。


「まずいな、俺はこれで失礼する」


そう呟いて、桂さんは握っていたわたしの手を離して立ち上がった。どう考えても外にいるのは真選組なのだから桂さんが逃げなくちゃいけないのは当然。でも連れて行ってほしい、と言えるほどの覚悟は今のわたしにはなくて。


「……そう、ですよね…」

「すまない」


そう言い残して入り口とは反対側へ駆けて行った桂さんと入れ違いに真選組がわたしたちの元へ到着した。振り返ってももう桂さんの姿はない。どこかに逃げられる道があったならいいんだけど。

物々しく刀やらバズーカを構えて来た真選組の人たちは自由になっているわたしたちと地面に転がり拘束される男を見比べて目をパチクリとさせていた。


「土方さーん、意気込んで行ったのはいいんですが、こりゃどういう状況ですかィ」

「……俺が知るかよ。コイツを連れてけ!」


犯人の男を足蹴にタバコに火をつける土方さんの姿が見える。女の子たちも無事に保護されたみたい。じゃり、と足音とともに目の前に黒いスラックスが立ちはだかって、上から声が降ってくる。


「立てますか」

「…う、うん」


伸ばされた手は総悟くんのもの。余裕のある声と裏腹に額から流れる汗はそれだけ緊迫していた状況を思わせた。その手を掴むのを躊躇していれば早くしろと言わんばかりに目の前までぐいと差し出されて、とても顔には似合わない皮の厚い手を握る。ついさっきまで震えていた手にはまともに力なんか入らなかったけれど、総悟くんはしっかりと握って引き上げてくれた。


「言いたいことはいろいろありますが…署でたっぷり聞いてやる」


握られたまま手を引かれて埃っぽい倉庫を歩く。現場を調べていた真選組の隊員たちが左右へ道を開けて、そのど真ん中を総悟くんはずいずいと進んでいる。若干引っ張られているわたしはついていくだけで精一杯だ。


「あ、あの、総悟くん…手、」

「いいからさっさと歩いてくだせェ。それとも歩けないんですか」

「いや、歩けるけど、…っ!」


落ちていたコンクリート片に躓いて身体が傾く。突然の衝撃に耐えられるほど力が入っていなかったせいで顔面からダイブしかけたわたしを総悟くんは正面から受け止めてくれた。ごめん、のたった3文字を噛みながら慌てて体勢を整えようとしたわたしの背に回された腕。覆いかぶさるように抱え込まれて、総悟くんの顔は見えない。


「アンタが…、アンタまでいなくなるなんて御免でさァ」

「…総悟くん?」


小さく呟かれた言葉を全部聞き取ることができなくて総悟くんの名前を呼ぶ。返事の代わりか、苦しいほどに腕に力を込められたけれど、まるで縋るような仕草に何も言うことができなかった。




****




家に着いた頃にはもう朝日が昇り始めていた。

あの後パトカーに乗せられ真選組の屯所へ行くと医務室へ通された。ロープで縛られていたところが擦れていたのとスタンガンを当てられたところを火傷していたので軽く手当てをしてもらって、その後は男との面識やら連れ去られた場所など詳しい事情を聞かれるままに答えて、ようやく解放されたというのにわたしの心はずっしりと重たかった。

あんたの身元はしばらく真選組が預かることになった。これは帰り際に総悟くんから告げられた言葉。

今回の件は完全に被害者なのにどうして、なんて考えるまでもなかった。きっとあの子たちが桂さんのことを警察に言ってしまって、わたしと繋がりがあるのもバレてしまったのだと思う。あれだけ色々聞かれたのにどうやって解放されたのかを聞かれなかった時点で怪しまれていたのかな。とはいえ、わたしは別に犯罪者ではないから今日だけは帰してもらえたんだけど。


「まぁ普通に変だよね…」


明らかにわたしを助けに来てくれた桂さん。何も知らなければわたしも攘夷派の一員だと思うだろうし、そのせいで巻き込まれたと思ってもおかしくない。現に桂さんが来てからだって彼女たちは恐怖に怯えた顔をしていたような気がする。その中で呑気に助かった、なんて安心していた奴なんか怪しいに決まってる。

ため息を溢してベッドに倒れ込んだ。シャワーを浴びてさっぱりした身体から触られたところの感覚を振り払うように柔らかい布団をぎゅっと抱きしめる。

やっぱり住む世界が違う人なんだということを突きつけられたような気がする。こんな風にちゃんと考えられてはいなかったけど、あの時桂さんの背中に手を伸ばせなかったのは、きっとそういうこと。

あぁ、帰ったら食べようとしてたご飯、ちゃんと片付けないとな。バイト先にも連絡しないと。総悟くんにも迷惑かけちゃったから謝らないと。怒ってるかな。バカですか、って本当に聞こえてきそうなくらいに想像するのは簡単だった。鉛のように重い瞼を開けていられなくなって、遠のく意識の中で総悟くんの顔を思い浮かべた。




****




ぐっすりと眠っていたわたしを起こしたのは連打される玄関の呼び鈴だった。明らかに寝過ぎてしまった気がして時計を見れば案の定。呼び鈴を鳴らしたのはきっと真選組の人だ。立ち上がったところで催促するようにまた鳴らされる。ご近所さんに変な目で見られちゃう…!


「はい、はい…!今出ますから、ちょっと待ってください!」


聞こえるように叫んで大慌てで準備を整えた。次にいつ帰れるかわからないのに、部屋は荒れ果てた状態にしておくしかなさそうだ。声を掛けたからか呼び鈴の催促は止んでいて、多分待っていてくれている。優しそうな人だといいな、と願ってドアを開けるとそこには仏頂面の総悟くんが立っていた。


「えっ、総悟くん!待たせちゃってごめんなさい」

「遅い」


整える暇がなかった髪とメイク、服だって適当。こんな姿を見られたくはなかったなぁ、今は警察へ向かう途中なのだからそんなことを気にしている場合でもないんだけど。上から下まで目を滑らせて寝坊でもしましたか、と言われる。若干鼻で笑われたような気がするけれど言い返せる言葉は見つからなかった。だって昨日、いや今朝までお仕事をしていたはずの総悟くんはいつも通りきちんと隊服を着こなしてしゃきっとしている。


「そ、それにしても隊長さんが直々に来てくれるなんて」

「嫌でしたか?」

「まさか」


こういう時ってどっちかというと下っ端みたいな人が来るものだと思ってた。総悟くんだって忙しいだろうに、きっと顔見知りの方がいいだろうと気を遣ってくれたんだろうか。パトカーで乗り付けたりもせずに歩いて向かうのもご近所さんたちの間で噂にならなくて助かる。どこまで考えてくれてるのかわからないけど、気が重かったのが少しましになったような気がした。


「来てくれたのが総悟くんで安心したよ」

「アンタは…。なんでそう笑ってられるんですか」


ため息と顰めた顔が目に留まり笑っていたことに気がつく。そして同時に焦って口角を落とした。事件に巻き込まれた翌日にヘラヘラしていては自分が怪しまれるだけだ。わたしの慌てる様なんか気に留めた様子もなく総悟くんは不機嫌を顔にありありと出してわたしを見下ろした。


「これを出したところまでは褒めてやる」


総悟くんがポケットから取り出したのは鍵。キーホルダーとしてブタさんの防犯ブザーが取り付けられていて、間違いなくわたしのもの。昨日は大家さんに開けてもらい事情を話してスペアキーを借りている。総悟くんが持っているとは思わず驚きを隠せなくて目をパチパチと瞬いた。


「でも使えなきゃ何の意味もないでさァ」

「…うん、ごめんなさい…」

「何に謝ってんですか」

「え?ええと…、警察のお仕事…増やしてしまって…?」


先程のとは比べものにならない特大ため息を吐き切った総悟くんから昨晩の想像よりも遥かに心のこもったバカですかを頂いた。ぴたりと立ち止まると圧力を強調するように見下ろされて思わず身構える。


「俺が市民全員に防犯ブザー持たせてると思ってんのか」

「……さすがにそれはないよねぇ」

「誘拐事件もあって夜間のパトロールを増やしてた。被害者は皆アンタくらいの歳の女。背格好も共通点が多い。……そんな中でこいつを拾った俺の身にもなってくだせェ」


言うだけ言ってスタスタと歩き出す総悟くんの背中を追いかける。もしかして心配してくれたのかな。気にかけてくれてたって思っていいのかな。パトロール中にわたしの鍵を拾って、そこから足取りを辿って来てくれたのかもしれない。


「総悟くん」


振り返ってはくれなかったけど、緩められた歩幅に追いついて少し後ろに並ぶ。


「心配かけてごめんね?」

「……」


無言で差し出された鍵を両手で受け取る。手元に帰ってきたブタさんはもちろん使う機会がないに越したことはないけれど、ちゃんと自分の身を守れるようにならなくちゃ。いつだって誰かが助けてくれるとは限らないのだから。


「ていうか、そっちって真選組の屯所じゃないよね?」

「腹減ったんで休憩しやす」


まだお昼には早い時間だけれど、そういえばお腹が空いてるかも。総悟くんに連れられてご飯を食べてのんびり河原で一休みした。総悟くんは謎のアイマスクをつけて眠っていたけれど、昨晩のことを考えれば眠くて当然に思える。

怒涛に過ぎ去ったせいで随分前のような気がするけれどまだたった半日前。真選組が倉庫に突入してきた時のことを思い返した。先陣を切るは副長の土方さん。そのすぐ隣にいた総悟くんは、わたしの顔を見るや否や強張っていた顔を緩めていたような。そのときは目が合ったくらいにしか思わなかったけれど、もしかしたらそれは、わたしを探してくれていたから、だったのかな。


「総悟くん、ありがと」


本当のことは総悟くんしか知らない。でもきっと聞いても教えてくれないだろうから、ちょっとくらい好きに解釈したっていいよね。眠っていたから届いていないはずだけど、格好良かったな、というのは口に出すのが恥ずかしくて心の中だけで呟いた。熟睡しているらしい総悟くんは微動だにしないまま、目を覚ましたのはそれから小一時間ほど後のことだった。

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