02

今日は休みだったはずなのに、シフトに入ってほしいと連絡があったのは1時間前のこと。たまった洗濯物を干してスーパーに買い出しに行く程度しかやることもなかったので了承してわたしはお店に向かった。暖かくなってきたからと引っ張り出した薄手の着物はバイトに行くだけだと少しばかり派手かもしれないけど、数少ない休みではなかなか着る機会もないのでせっかくだから着てみた。お気に入りの服はテンションが上がる。

曲がり角、少し浮かれて気分が良かったのでよそ見をして歩いていたわたしはドン、と衝撃を食らった瞬間に現実に引き戻された。吹き飛ばされると思うほど勢いよくぶつかってしまったはずなのに、その相手は瞬間的にわたしの腰を引き寄せて助けてくれた。


「あ、すみませ…って桂さん?!」

「………すまない、大丈夫か?」


ぎゅっと瞑った目を開ければすぐ目の前に見知った顔があった。向こうも驚いているのか、ワンテンポ遅れて我に帰ると身を案じるように顔を覗き込まれた。目深に笠をかぶり、托鉢の修行僧に変装をしているのだろうか。よく見れば隣には白い生き物も一緒にいた。[大丈夫か?]と書かれたプラカードを掲げている。


「小春殿。何事もなくてよかった。あぁ、もちろん傷物にしてしまっても俺がきちんと責任を取るので心配はいらんがな。どこか痛むところはないだろうか?」

「…ないです、大丈夫です。すみませんちゃんと前見てなくて」


責任を取るだとかというのは聞き流してぺこりと頭を下げてから早々に立ち去ろうとすると、呼び止められて仕方なく振り返る。シャンとなる錫杖が様になっていて、お坊さんに転職したほうがいいんじゃないかと思ってしまった。


「なんでしょうか?」

「小春殿は今日休みではなかっただろうか」

「そうだったんですけど、やっぱりシフト入っちゃって。というかなんで知ってるんですか?」

「そうであったか!ならば俺も後で行こう」


ではまた後でな、とわたしの質問には答えずに去っていった桂さんに首を傾げたけれど、多分あんまり気にしてはいけない。どこでわたしのシフトを知ったのかとか、別に無理に来なくていいのに、とか。




****




「あ、多田くん。あそこのお客さん、オーダー取ってきてもらえる?」

「はい!…あ、でもあの人って…」


わたしが指したテーブルには桂さんと白い生き物が向かい合って座っている。宣言通り来店した桂さんはさきほどの修行僧の姿ではなくいつもの着流しに着替えていた。何か言いたげにこちらを見る多田くんに少し無理やりお願い、と言ってからわたしは洗いたてのお皿を拭き始めた。

彼が言いたいことはわかっている。桂さんは何故か頑なにわたしにしかオーダーを言わない。他の店員が尋ねれば、やっぱりまだ考えるのだと言って追い返されてしまうのだ。でもいつだってわたしが行けるわけでもないし、いい加減その頑固な姿勢をやめてくれないかなぁと多田くんに押し付けてみた。


「藤原さん、やっぱりだめです。俺が行った途端メニューを凝視して顔すらあげてもらえませんでした…」

「やっぱりだめか…。ごめんね、無理に行かせて」


そっと桂さんのほうへ近づけばわたしが来ることを察知していたのか勢いよく首をこちらに向けて呼び止められた。後ろに目でもついているのだろうか。[すみません]というプラカードがくるりと回って[バナナぱんけえき]と書かれていたので、復唱してメモを取った。


「俺は蕎麦を」

「うち蕎麦ないですよ」

「…仕方あるまい。では小太郎スペシャルで」

「…あんみつクリームパフェ小豆トッピングで大丈夫ですか?」

「パフェじゃない、小太郎スペシャルだ」

「あんみ「小太郎スペシャル」…小太郎スペシャル、ですね」


きちんと言ってあげればやけに満足そうに頼む、と笑顔を向けられた。自分だけの特別メニューができてそんなに嬉しいのか。ちょっとだけ可愛いな、なんて思ったけどこれからもこの人はわたし以外にオーダーしないつもりだな、とも思った。蕎麦はないと言ってるのに毎回頼んでくるのもなんなんだ。好きなのか。

14時を過ぎてお茶をしにくるお客様が増えてきた。桂さんのパフェを作り終わりテーブルまで運ぶ。白い生き物はプラカードで話すらしく、近づいても桂さんの声しかしない。


「お待たせ致しました」


メニューの名前を言ってまた揉めるのも面倒なので、何も言わずに小豆が多めに盛られたパフェを桂さんの前に置いた。


「小春殿が作ったのか?」

「そうですよ」

「それは楽しみだな、嫁に来るのが」

「行きません」


これはなんなんだろう。攘夷浪士ジョーク?そういうのが流行っているのかもしれない。嫁に来るというのは隠語で、何か別の意味があるのかも。ってそんなんわかるわけないじゃん。曖昧に笑って流してから早々にわたしはテーブルを去った。


「藤原さん、お熱いっすね」

「やめてよ」


まぁ正直そこまで迷惑しているか?と言われたらそうでもないのだけど、これがもし忙しいときに当たったら流石にやめてほしい。


「でも一体どこで知り合ったんすか?あのイケメンさんと」

「えーっと…、まぁ成り行きで」

「言いにくい関係っすか!」

「いや、全然!たまたまちょっと怪我してたのを助けたというか、それだけだよ」


そう伝えれば多田くんはふぅん、と信じてくれたようだった。そう、わたしと桂さんは本当になんの関係もない。そしてあの日だって、朝起きたらすぐに帰っていってそれっきりだったはずだ。手当てをした時は彼は攘夷浪士とは思っていたけどまさか党首だったとは驚いたのをよく覚えている。

そしてその次のバイトの時から毎日お店に現れるようになった。わたしはバイト先も、自分の名前ですら伝えなかったというのに当たり前のようにお店に来てわたしの顔を見るなり結婚しようと伝えてきたのが懐かしい。いや、まだ一月も経っていないけど。

ぼやぼやとしている暇もなく仕事に追われていれば、桂さんと白い生き物が席を立った。レジカウンターを挟んで向かい合い、お金を払うと桂さんは小春殿、とわたしを呼んだ。


「今日の着物、よく似合っていた。私服姿を見かける機会はあまりないから新鮮だったぞ」

「えっ…、あ、ありがとうございます…」

「ではまたな」

「…はい」


長い髪を揺らして去っていく桂さんの後ろ姿を見送る。お気に入りの服を褒めてもらえた。なんだかくすぐったくて、嬉しくて、少しだけ頬を緩めてしまったわたしの視界は突然真っ白になった。


[桂さんは甘いものはそこまで好きじゃない]

「え?」

[つまりそういうことだ]


さっと掲げられたプラカードに書かれていた文字を目で追って、白い生き物の顔を見た。何かを悟ったような顔をして(いたと思う、たぶん)彼(?)は桂さんの後を追っていった。


「好きじゃないって…、バッチリ完食してるじゃない」


テーブルに残された空っぽのお皿。小太郎スペシャルだって、銀さんに張り合って出来たもので別に本当に食べたいわけじゃなかったんだろう。だったらよりによって甘いあんこをトッピングすることなんかないのに。不器用なのかな、と思ってまた年上の男性に対して可愛いなんて思ってしまった。お蕎麦のメニュー、店長に提案してみようかな。そうしたらきっと喜んでくれるから。

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