05
次に小春に会った時はどんな顔をすればいいんだ。今までも喧嘩をすることはあったが、小春が怒っていてもその場ですぐに許してくれたし自分が怒っていても大抵は寝れば忘れてしまうのだから、あんな風に怒らせたまま別れてしまうのは初めてだった。
もしかしたらもうここには来ないかもしれない。そうしたら自分と小春は会わなくなるんだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら寺の境内を歩く。ちょうど今日の修行が終わってこれから読経だ。あれから何かに集中している時以外は小春のことを考えてしまう自分がいて本当にクソ馬鹿らしいと思う。もうお互いに子供じゃないんだ。いつまでも一緒にいられるような関係じゃないのに。
「あ、空却くん」
「……よお」
「修行?おつかれさま」
気まずい空気になると思っていたがまったく気にした様子のない小春に拍子抜けする。肩を掴んで振り返ったあの小春の顔はそれはもう脳裏に焼き付いて離れないというのに、目の前の彼女は前と同じように笑っていた。案外コイツも寝たら忘れるタイプなのかも、と思った。
「もう仕事終わったんか?」
「うん。今日は早めに帰れたんだ」
お疲れ、と声をかけてから小春の持つビニールに目を向ける。その視線に気が付いた小春はガサと袋を持ち上げてにこりと微笑む。
「今日の夕飯は小春特製ハンバーグだよ!おばさまもおじさまも出掛けてていないみたいだからわたしが作るね」
「マジか!腹減ったぜー!」
「ふふ、腹ペコ空却くんの分は特大にしてあげる。じゃああとでね」
****
匂いにつられて居間へ行くとキッチンでテキパキと動く小春の姿が見えた。ジュウジュウと肉が焼かれる音が食欲をそそる。空却の気配に気が付いた小春は振り返るとおかえりなさい、と声を掛けた。
「ただいまー」
「もう出来るから手洗ってきてね」
「へいへい」
洗面所から戻れば宣言通り小春の分の2、3倍はあるハンバーグの他に付け合わせの野菜やスープが既に用意されていた。
「おっ、うまそーじゃねぇか!いただきますっ」
「召し上がれ。美味しくできてると思うんだけど」
向かい合って座り手を合わせてからすぐにハンバーグに手を伸ばした。箸を刺した途端に溢れる肉汁が最高の加減だ。
「うめぇな!小春お前料理上手くなったんじゃねぇか?」
「えへへ、そうかな?確かに昔よりよくするようになったけど。足りなかったら言ってね」
ガツガツと米を掻き込んですぐにおかわりと言えば、すぐに山盛りのご飯を持ってきてくれた。
「そういえばさ、特に深い意味はないんだけどスカートとワンピースどっちが好き?」
「…んー?服か?……別にどっちでもいいんじゃね」
「どっちかにしてよ。深く考えないで、直感でいいいから」
「じゃワンピース。なんでだ?」
改めて質問の意図を聞けば少し躊躇ってから今度デートだから、と言われた。何となくそんな気はしていたがやっぱりかよと思う。へぇ、と興味のなさそうな返事をしたのに小春はもうすぐ彼の誕生日なんだの、プレゼントを買いに行くだの聞いてもいないことを言っている。
美味しかったハンバーグも彼氏のため練習したのかと思うと何故だか急に味がしなくなってしまった。
****
その日空却は朝から寺の掃除に勤しんでいた。雑巾掛けだなんてこんな古臭いやり方、イマドキありえないと思っていても文句を言えば父親の拳が飛んでくるのだから仕方ない。
しかしその父親は少し遠方で法事の予定が入っているらしく、空却にキツくサボらないよう言い付けてから出て行った。
(サボるなって言われてサボらないヤツなんかいねーだろ)
幸い今日は小春も来ていない。見張りがいないのなら羽をのばす絶好のチャンスだ。誰もいなくなった頃合いを見計らって空却は寺を抜け出した。
しつこく追いかけてくる父親がいないためか、いとも簡単に寺の外へ出た空却はガムをクチャクチャと噛みながら時折風船を作って歩く。そして駅前に着いた頃、見知った横顔を見つけた。
(あれ小春か…?ヤッベ、サボってんのバレちまう)
チラチラと携帯を確認している小春はこちらには気付いていない。待ち合わせだろうか。覗き見しているようでいい気分はしなかったが気になるものは仕方ない、空却は少しだけ観察してみることにした。
薄紫色のワンピースにゆるく巻かれた髪を低い位置でまとめてヒールは低いが上品なパンプスを履いている彼女はどう見てもいつもより気合が入った格好をしていた。
(この前言ってたのは今日かよ)
小さく舌打ちをして小春を睨みつける。こんなことなら真面目に雑巾掛けをしているほうがマシだったかもしれない。
連絡が来たのか、携帯から顔を上げた小春が周りをキョロキョロと見渡し始めたので空却は慌てて物陰に隠れた。そっと見つからないように顔を出してみれば小春は手を振って駆け出した。その先で背の高い男が車から降りてくる。男は駆け寄った小春を軽く抱き寄せて頭を撫でた後流れるように車へエスコートした。
小春は見たこともないくらい綺麗な笑顔で笑っていた。
(なんだよ、あの顔。…おもしろくねぇ)
空却が小春の彼氏の面を拝んでやろうとじっと見ていると、男はまるで空却がそこにいることを知っているかのようにこちらを振り返ってニヤリと笑った。人差し指を唇に寄せた男の顔を見て空却は目を見開いた。
「…は…?…あの野郎…!」
間違いない、あの男は前に駅で声をかけてきた男だ。あの時は確かに違う女を連れて夜の繁華街へ消えて行ったのに、今日は小春を助手席に乗せて出かけようというのか。裏切り行為に当事者ではないのに怒りで腸が煮えくり返りそうだ。
小春が幸せになるのなら相手が自分ではなくても仕方ないと思っていたのに。
「許さねぇ、絶対に」
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