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薄暗い雲に覆われて水滴を散らす窓の外を眺め、ダメ元で開いた天気予報アプリを確認して並ぶ傘マークに小さく首を振った。昨日までは晴れマークだったはずなのにいつの間に変わっていたのだろう。天国さんと恋人同士になってから数回目の週末、今日は一緒に出かける約束をしていたけれど予定を変更して天国さんの自宅に避難していた。


「今日はもう止まないみたいです」

「そうか、仕方ねぇな」


カウンターキッチンでコーヒーを淹れる天国さんは普段見慣れた格好とは違うラフな私服姿。休日だから当然だけれど、まだ慣れなくてちょっとドキドキしてしまう。髪型もほんの少しカジュアルにセットされていて、本当に完璧にかっこいい。両手にマグカップを持ってこちらに近づく姿に見惚れていると、視線に気付かれたようで笑いながら一つを差し出された。お礼を言って2人肩を並べてソファへ腰掛ける。


「早いとこ小春用のマグカップ、買わねぇとな」


今使っているのは来客用だという白いシンプルなもの。既にいくつか天国さんの部屋にはわたしのものを置かせて貰っていて、その度に本当にお付き合いしているのだと実感が湧いてくる。お家にお邪魔するのもまだ片手で足りているほどだけれど、初めの頃よりは慣れてきたと思う。

本当なら今日買うはずだったものたちはまた来週に引き延ばすとして、特別困っているわけではないからいいけれどやっぱり初めてのお出かけデートを邪魔してくれた雨に恨めしい視線を送った。


「雨は嫌いじゃないんですけどね」


嫌いじゃなくたって、その中で出歩きたいかは別。ましてのんびりお散歩やウィンドウショッピングを楽しむには向いてない。せっかくのデートの日は綺麗に晴れていて欲しいと思う。


「俺は嫌いだな。ジメジメして鬱陶しいったらありゃしねぇ」


それに、と眉間にシワを寄せ目を伏せる天国さんの顔を見た。これは嫌いなものの話をするときの顔だ。そんな変化もわかるようになってきて、色んな天国さんを知れるのが嬉しい。言葉を切った天国さんに首をかしげて続を促すと眉間に深いシワを寄せて重い口を開く。


「…それに、昔から誕生日は雨ばかりだった」

「もしかして梅雨の時期の生まれなんですか?」

「あぁ、まぁな」


嫌な思い出があるのか、目を伏せる天国さん相槌打ってから、はっと息を飲む。誕生日、知らない。わたしは恋人になりながら未だにそんなことも把握していなかったことに気が付いて慌てて携帯を取り出してカレンダーを開く。もちろん、まだ登録されてなんかいない。あまりの失態に肩を落とすわたしを天国さんは軽く笑い飛ばしてくれた。


「気にすんな、俺も忘れてたくらいだ」

「すみません、失念していました…。いつですか?…あっ、待ってください!当てます!」


天国さんの顔をじっと見て顎に手を当てて考えてみる。正直内心はかなり落ち込んだけれど、せめて明るく振る舞いたくて意味もなくクイズ形式にしてみた。梅雨の時期だから、きっと6月くらい。あとは、まぁわからないけど直感で出てきた数字から選んでみた。


「う〜ん…6月の……24日です!」

「ぷっ、外れだ。なんでそんな自信満々なんだよ」


流石に当たるわけがなかった。吹き出して笑う天国さんにつられて笑って、正解を尋ねる。29日、天国さんのお誕生日。もう覚えたから絶対に忘れるわけがないけれど、カレンダーにも登録しておく。画面をめくって6月まで戻ったところで、わたしは目的の日付に書かれたメモに釘付けになった。


「……あ、あれっ?6月29日…ですか…?」

「あぁ」

「あの…もしかして、今年のお誕生日って……」


何度確認しても、今年のその日付には天国さんと食事と書かれている。初めて2人で約束をした日で、ひどく浮かれていたのを鮮明に覚えている。何度もカレンダーに登録したこの予定を見ては1人にやにやとしていたくらいだから、間違えているはずはないのだけど…。

天国さんも思い出したのか、わたしの言いたいことを察してそうだと頷いた。やっぱり今年のお誕生日は知らないうちに一緒に過ごしていたらしい。


「そ、そんな…良かったんですか?!」

「俺がそうしたかったんだよ」


お祝いもせずに、ご一緒していたなんて。更にがっくりと肩を落とすわたしに天国さんは知らなかったのだから当たり前だとフォローしてくれるけれど、それでも知っていればせめてお祝いするくらいは出来たのにと思う。


「来年は、今年の分も盛大にお祝いさせてください」

「そりゃあ楽しみだな」


大好きな人のお誕生日。来年なんてまだまだ先だけれど、すごく楽しみ。来年だけじゃなくてその次も、またその次も一緒に過ごせたらいいな。お前のも楽しみにしとけよ、と言われて嬉しさに頬が緩む。特別だった日がもっともっと特別なものになっていくのが何より幸せ。

ところで、とソファの背もたれに身を預けて天国さんは笑っている。


「お前はいつまでも敬語が抜けねぇな?」

「そ、それは…、徐々にということで…」


目を泳がせて誤魔化して肩を縮めた。何度かやめていいと言われているけれど長い間使い慣れた言葉遣いは癖付いてなかなか変えられないでいる。


「じゃあせめて名前、呼んでみろよ」

「な…名前、ですか……?…あ、天国さん……」


そうじゃないことくらいわかっているけれど恥ずかしくていつも通りの呼び方を口にしてしまった。口を尖らせてあからさまに不機嫌さを顔に出す天国さんに慌てて首を振って違うのだと弁明する。


「ハァ、俺は恋人に名前も呼んでもらえねぇのか」

「うっ、待って、呼びますから…じゃなくて、呼ぶから…」


わざとらしいため息と肩を竦めて首を振る仕草に、手にしていたカップを置いて天国さんの方へ向き合った。呼び方を変えようと思ってはいたのだけれど、職場では今まで通りにしていたせいもあってなかなか口にできていない、天国さんの名前。心の中で呼ぶ練習は何度かしていても、いざ改めて呼ぶとなると緊張してしまう。まして目の前で待たれている状況は緊張感を煽る。うつむけた視線をちらりと上げて小さく唇を動かした。


「……えっと……」

「ほら」

「……ひ、獄さん…」


呼べたと思った瞬間、不意に腕を引かれて倒れ込み一緒にソファへ沈み込んだ。細身に見えて意外にもがっしりとした身体はわたし1人が乗ったくらいじゃびくともしないけれど、押し倒しているような体勢に慌てて身を引こうとしたところで抱き込まれて優しい手つきで髪を撫でられた。


「よくできました」


その声はどこか満足そうで、喜んでいるように思えた。確かにわたしだって、獄さんに名前を呼んでもらえたら嬉しいのだからこれからはちゃんと呼ばなきゃ。獄さん、もう一度名前を呼んで見上げた顔は優しく微笑んでいる。

雨も悪くねぇな。ぽつりと呟かれた言葉にそっと耳を傾けて肌触りの良いシャツに頬を寄せた。くるくると指先で髪を弄ぶ仕草が少し擽ったい。


「お前とこうしてのんびり過ごせる」

「ふふ、そうだね」


ぴたりと身を寄せて2人分の熱を分け合う。心地よい温もりに眠気が襲ってきてわたしは静かに目を閉じた。遠くなる意識の中で獄さんの寝息が聞こえてきて、穏やかな幸せに心が満たされるようだった。

目を覚ましたら冷めたコーヒーを淹れ直そう。雨が上がっていれば夜の散歩に誘ってみよう。何てことのない場所だって、あなたと一緒ならきっと楽しいから。

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