09
「まぁまぁ、元気出しなって」
「…うん、全然、大丈夫だよ」
気を遣ってくれる同僚になるべく笑顔を作って見せても顔が硬いと呆れられる。やっぱりわたしでは駄目だったんだ。きっとそうに違いない。思い返してまた暗い気持ちになり思わずため息が溢れた。
今わたしたちの会話の中心になっているのはいつもながら天国さんのこと。先日彼女から押されるままに食事に誘ってからというものの、それ自体にはすぐに了承の返事を貰えたのに肝心の予定の連絡が来ないまま時間だけが過ぎ去っていた。
原因らしいものはわかっている。お誘いをした翌日に舞い込んできた急ぎの案件は本来ならもっと時間をかけるような大型案件だというのに天国さんは特急料金と称して報酬を本来の3倍で交渉しなんと依頼人もそれを受けたのである。だから天国さんはこのところ酷く忙しそうにしている。そんなだから食事の予定なんか入れられる訳がないし、そもそも忘れられていたっておかしくないのだ。
「…だけど、面倒だなって思われててこのまま流そうとしてるのかも…」
直球な誘いほど断りにくいものだ。あのときわたしはかなりダイレクトに誘った。それ以外に上手い言い方が思いつかなかっただけでもある。そのときは行ける日がわかったら連絡する、なんて返事があった。だから了承してもらえたのだと舞い上がっていたけれど、あれは遠回しな断り文句だったのかもしれない。社交辞令を間に受けてしまうなんて迷惑なことこの上ない。
「天国さんが小春にそんなことしないでしょ」
「いやいや、わたしだからするんだよ…。職場の人間と気まずくなるのは嫌だろうし」
「でも顔も合わせてないんじゃないの?最近全然いないじゃない」
「…それは、」
合わせてはいる。朝は毎日事務所に寄るのが日課らしくて、外出で出ずっぱりのときも朝のほんの短い時間は会っている。だからこそ、まだわからないのならそう言ってくれればいいのに、とマイナスな思考がどんどん頭を占めてくる。
「……」
「……」
せめて何か言ってよ。無言のままこっちを見るのはやめてよ。痛い視線を避けるように目の前のディスプレイに目線を固定した。だいたい、もう気にしても仕方がないんだ。言ってしまったものはなくならないしこのまま流されてしまうならわたしは所詮その程度だったというわけで。生憎懲りずにチャレンジするような度胸は持ち合わせていないし。
今日はもう来客の予定はないはずなのに入り口の扉が開く音がした。気持ちを切り替えてそちらを向けばひょろりと長い手足を持つ人が見るからにどんよりとした空気を纏って入ってくる。久しぶりに来たな、四十物さん。
「…あの、獄さんは…」
「すみません、本日は外出していらっしゃいまして…」
そう…っすか、小さな声で呟いてあからさまに肩を落とした四十物さん。いつもの謎めいた口調はどうしたのだろう、今にも泣き出しそうな顔をする彼に自分の心のもやもやなどどこかへ飛んでいってしまって、とりあえず受付から出て待合用のソファへ座らせた。
「大丈夫ですか?何かあったんですか?」
「……大丈夫、っす」
天国さんに話したいことがあったのだと顔を俯ける四十物さん。正直とてもやり辛い。いつもの勢いのままに獄を出せと喚いてくれればこちらも遠慮せずに追い返せるのに。こんな時に限って天国さんはいない。いつもなら彼が来る時は絶対に事務所にいたのに。
「天国さんに連絡してみましょうか?」
「…いいんすか?」
「戻って来られるかはわかりませんが…」
期待を込めた眼差しで見上げられて少し待っているように伝えてから天国さんへメッセージを送った。四十物さんがいらっしゃっています、それだけ簡潔に送ればすぐに返信が来た。予想していた内容と違っていて目をぱちくりとさせてしまった。
「天国さん、あと1時間くらいで戻れるそうです。よかったですね!」
天国さんから許可ももらい部屋へ案内する。本人が不在のところへお通しするのは違和感があったけれどきっとそれだけ信頼しているのだろう。天国さんが来るとわかってから少しは元気を取り戻したようだけれど、いつもの調子じゃない四十物さんは弱々しくお礼を言ってソファに沈んでいった。
学校の制服を着ている彼にコーヒーを出すのも、と躊躇して子供向けのジュースをコップに注いで持っていく。たまに依頼人が小さな子供を連れてくることもあるから念のために一応ストックしてあるものだ。
「お姉さん」
「はい、なんですか?」
「獄さんって、もしかして今忙しかったっすか?」
「…えっと」
全くもってその通り。いつも忙しいけれど、いつもよりも忙しい。でもそう言えば絶対に気を遣わせてしまうし、可哀想だ。否定しようと口を開いたときには四十物さんは瞼を伏せて今にも泣き出してしまいそうだった。
「やっぱりそうっすよね…。自分、いつも獄さんに迷惑かけてばっかで…」
「そんなこと!……ないですよ、絶対。本当に迷惑だって思っていたら、予定を変更して事務所に戻ってきたりしないです」
言いながら四十物さんが羨ましくなってしまった。悩みを抱えて弱っている彼と下心のある自分、比べるまでもなく彼の方が一大事なのはわかるのに。ネガティブ思考が強いのか、わたしがそう言ってもそうかなぁと顔をうつむけたままである。そっか、同僚のあの子はいつもこんな気持ちだったのかな。天国さんがそんなことを思うはずない、他人に対してはそう思えるのに自分のことになるとすっかり暗い方向に考え出してしまう。
「四十物さん。天国さんってすごくかっこいいですよね」
「…?もちろん、獄さんは自分の憧れっす!」
「お仕事が完璧なのはもちろんのこと、堂々とした姿はとても頼もしいし、それでいてここの職員のこともすごく気にかけてくれるんですよ」
わたしはあまり経験がないけれど、怒られてしまうことだってもちろんある。それは期待しているからで、本当に迷惑だと思うならいくらでも突き放す方法はあるのだから。
「だからあなたにもきっと、期待してるんですよ」
呆けた顔が少しずつ紅潮していく。膝の上に置かれた拳に力が入り、四十物さんはパッと勢いよく顔を上げた。
「自分、頑張るっす!獄さんみたいになれるように!」
キラキラと輝く瞳がとても眩しい。今までのはた迷惑な印象から一転して、とてもまじめで良い子なんだろうなと思えた。
****
ガチャリと部屋の扉が開く音がして話が盛り上がっていたわたしと四十物さんはピタリと止まりそちらへ顔を向けた。
「十四!お前はいつもいつも急に…っ…なんだ、藤原。お前もいたのか」
「天国さん、おかえりなさい!すみません長居してしまって…」
眉間にシワをこれでもかというほど寄せて怒鳴り込むように入ってきた天国さんと目が合うと、一瞬驚いたように固まってから彼は表情を緩めた。初めこそ落ち込んでいた四十物さんは話しているうちにどんどん明るくなっていって、初めてまともに"普通”の彼とお話することができた。内容はだいたい、ほとんど、全てが天国さんのことだったけれど。
「話してくれてありがとうっす!」
年相応の笑顔を向けてくれる彼に思わずこちらも嬉しくて笑顔になり、ソファから立ち上がる。元気じゃねぇか、と呟く呆れ声が聞こえたけれど気にしないことにしよう。一歩足を出したところで腕をぐいと引かれて立ち止まった。見下ろす四十物さんは笑っている、ものすごく楽しそうに。
「お姉さん、自分は応援してるっすよ!」
「何のこと?」
疑問符を浮かべて首を傾げると細腕に似合わず強引な力加減でさらに腕を強く引かれた。バランスを崩しかけたわたしの耳元に口を寄せて、小さな声で囁かれた言葉に心臓が飛び出してしまいそうになった。
「な、なんで、それ…!」
四十物さんを見ても笑うばかり。そして突き刺さる天国さんの視線。はやくこの場から去らないと。掴まれた腕の力が緩まった隙に抜け出して数歩後ずさる。
「す、すみません…わ、わたしはこれで失礼しますっ!!」
またお話してくださいね、なんて声を背中に受けても返事すら出来なくて、燃えるように熱い顔を隠すように足早に部屋を後にした。ドアノブに手をぶつけたりとか、ヒールがぐらついたりだとか、そんなことは気にしていられない。とにかく天国さんの顔を見ることができなくて、だからどんなに呆れた顔をされていたのかわからない。わからないほうが良いかもしれないけど。
それにしても、どうしてわかったのだろう、そんなに自分はわかりやすいだろうか。確かに同僚にも自分から白状するより前にバレていた。でもまさか初めてまともに話した年下の男の子にまで見透かされてしまうなんて。
ー好きなんでしょ、獄さんのこと
慌てて駆け込んだお手洗いの鏡に映る自分は情けないくらい真っ赤に染まっていた。本人もいる場で、いくら小声とはいえあんなことを言われたらそりゃあこうなる。思い出してまた恥ずかしさがこみ上げて、誰も見ていないのに両手で顔を覆って隠した。
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