トランクィッロ07
ゴルベーザの命を受けわたしは赤い翼に乗り込んだ。出発準備は既に整っていたようで程なくして赤い翼はダムシアンへ向けて飛び立った。甲板にはゴルベーザの後ろに控えるように立つカインの姿がある。誇り高い騎士に似つかわしくない禍々しい黒い魔力は未だカインを覆っていた。
(やっぱりあれは本当のカインじゃないんだ。操られてこんなことを…)
カインの意思でゴルベーザに従っているわけではないとわかって安心した自分がいるのも事実だった。それと同時にゴルベーザへ湧いてくる怒り。洗脳されている人間に意識はあるのだろうか。そうだとしたらカインは…。
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赤い翼が着陸態勢に入り、同時に多くの兵が城に乗り込んでいく。ダムシアンの兵は突然の襲撃に抵抗するも、力の差は明らかだった。
道が切り開かれまっすぐに王の間へ歩みを進めるゴルベーザ。彼が放つ炎は火の国であるダムシアンでさえ太刀打ち出来ないほどで瞬く間に城中が赤く燃え上がった。
「ゴルベーザ!クリスタルを奪うだけでいいはずでしょう?傷つける必要なんかないわ……どうしてそんな無駄なことをするの…!」
「無駄なこと?人間など、生きているだけで無駄なもの。それを消し去っているだけだ」
「…あなたも、人間じゃないの…?」
どけ、一言小さく吐き捨てるとわたしを押し除けて先へ進む。辿り着いた王の間でカインにクリスタルを取ってくるように命令した。兵たちが倒れてもなお国王、王妃と王子や姫だろうか、二人の若い男女がクリスタルを守るように立ちはだかっていた。
カインは奥にあるクリスタルルームまで向かう。弓矢に狙われ、剣を突きつけられた国王たちは動くことすら出来ず、カインはクリスタルの輝きを手に戻ってきた。ゴルベーザの前に跪き赤く輝くクリスタルを差し出す。そんな彼を見ていられなくて思わずカインから目を逸らす。
「さあ、ゴルベーザ。もうダムシアンに用はないはずよ。早くバロンへ帰りましょう」
「…やれ」
低く、冷たい声が響いた。
「待って!やめて!!」
振り下ろされる剣、放たれる矢、炎。その前に飛び出そうとしたわたしの腕はカインに掴まれ阻まれる。王妃に覆いかぶさるように倒れた国王。二人の体は激しい炎に包まれ、そして塵となった。
「離して!」
「よせ、巻き込まれるぞ」
だからといってこのまま見ているわけにはいかない。絵画が焼け落ち、絨毯が灰と成り果て喉の奥まで焼けてしまいそうな炎の中に充満するのは人や魔物が焼ける臭い。今のカインに何を言ったって無駄なのだと、下を向いて唇を噛んだ。
せめてこの炎を消さなければ。今生き残っている人が無事にこの城を脱出出来るように、これ以上の犠牲を出さないために。カインに掴まれていない方の手で杖を握りローブの中で構える。周囲に轟く音で掻き消される声で小さく呪文の詠唱を始める。
「ギルバート!!!」
「あ、アンナ!!!」
若い女性の声がした。青年のもとへ飛んだ弓矢に気付いた彼女は抱きつくように青年を庇い、背に矢を受けた。血を流し青年にもたれるように倒れ込む女性。青年の絶望に染まった顔がこちらを向く。呪文を唱えているわたしは彼の目にどう写ったのだろう。自分たちは本当に取り返しのつかないことをしているのだ。
カインの手を力一杯振り払いローブの下に持った杖を城の壁へ向けた。杖の先から冷気が放たれ氷の結晶が集まる。決して城を壊さないように、覆うようなイメージで。
「…ブリザガッ!!」
「何をしている、アイリス!!ゴルベーザ様に逆らう気か!?」
わたしの唱えた魔法は燃えさかる炎をも飲み込み壁や床を凍らせる。全てを消すことは出来なかったけれど、込められるだけの魔力を一度に解き放ったため炎の勢いを殺すことができた。
先ほどとは比べ物にならない力で腕を捻り上げられ杖を取り落とす。魔力を失いふらつく体でカインを睨みつけても彼の表情は変わらない。赤い翼の隊員たちは撤退を始めていてわたしも引きずられるように赤い翼へと連れて行かれた。
(ごめんなさい…)
あの青年は無事だろうか。謝っても後悔しても何も変わらない。決して消えない罪を背負い、上空へと飛び立った赤い翼から数刻前とは変わり果てた姿のダムシアン城を見下ろした。
****
バロンへ帰還するとすぐにゴルベーザに呼ばれた。多少回復した魔力はまだ本調子ではないけれどエーテルで補充をする気にもなれなかった。言われるままに着いていけばそこはゴルベーザの私室。来たばかりのこの部屋には備え付けのベッドと机、簡単な戸棚しかない。足を踏み入れてすぐに下を俯きタイルの柄を目でなぞる。
「何故、ダムシアンの民に手を下さなかった」
「そんなの、当然じゃない!彼等に罪はないのよ!傷つける必要なんてないわ」
「この星の民など、生きているだけで罪を犯しているのだ。アイリスよ、両親のことを忘れたわけではあるまい?次に私の命令に背いたときは覚悟をしておけ」
憎しみを吐き出すかのように言ったゴルベーザを見た。何をどうしてそんなにも憎んでいるのだろう。
「…クリスタルを集めて一体何をしようというの?」
「私は月へ行く。その時はお前も共に来い」
言葉の意味が分からなくて口を閉ざしゴルベーザの表情を読もうとした。けれど兜に隠された顔からは何も伝わってこない。
月に行くというのが文字通りあの空に浮かぶ月に行くということなら、一体どうやっていくのか。何のために。月には何があるというのだろう。まだ見ぬ魔法を使って行くというのなら彼がわたしの魔力を欲している理由はわかったような気がした。
「………」
「次はファブールの風のクリスタルだ。準備が整い次第出発する。お前の活躍を期待しているぞ」
「……っ…はい、」
活躍は破壊を、殺人を意味する。次こそはこの力を誰かを傷つけるために使えというのだ。
(わたしはそんなことの為に黒魔道士になったわけじゃないのに)
悔しくて下唇を思い切り噛み締める。コツコツとゴルベーザがこちらへ歩いてくる音が聞こえた。鎧の留め具を外す音が聞こえ、ほんの少し視線を上にあげると彼の手元にいつも着けている兜が見えた。驚く間もないままに伸びてきた手に顎を持ち上げられ、初めて直接交わった視線。目を見開いた拍子に溜まった涙が零れ落ちた。
「…あ、あなたは…」
「何故泣く」
頬を伝った涙がゴルベーザの手を濡らす。覗き込むように近づいた顔がゴルベーザであると認識するまでに時間がかかった。こんな目をする男だったのか、優しく触れるような男だったのか。
「私は人がどれほど泣き叫び、助けを請おうと全く関心を持ったことはなかった。…だが、お前の涙は何か、違う…」
これは、何だ。そう問うゴルベーザに答えることは出来なかった。銀色の少し癖のある長い髪、蒼い光を宿した瞳。冷酷な顔をした男を想像していたのに今目の前にある瞳には困惑の色すら浮かんでいる。黒い小手に包まれた大きな手は涙の跡をなぞるとすぐに離れていった。
「…つまらないことを話したな。ファブールに行くまで時間はない。それまでに覚悟を決めておけ」
それだけ言うとゴルベーザは部屋を出て行った。1人残されたわたしは力なくその場に座り込む。
正直に言えば初めて見た彼の素顔に心優しい幼馴染みを重ねた。全然違うはずなのにどうしてそんなことを思ってしまったのか。たまたま髪の色が似通っていただけだ。透き通るような青みがかった銀色の髪は珍しい色合いではあるけれど、世界に彼1人ということもないだろう。手の温もりだって、彼も人間なのだというだけのことだ。違う、ゴルベーザは悪なのだ。
心がざわざわと落ち着かないのをため息を吐いてごまかした。初めて人に触れるかのような無垢な瞳なんてわたしは知らない、見てない。
(覚悟、か…。ファブールでわたしは人を傷つけるの?わたしの力は、お父さんとお母さんがくれたこの力はそんな使い方をするものじゃ……)
ファブールの人を守りたい。お父さんとお母さんも、助けたい。カインのことも救いたい。そして…。
覚悟を決めるとき(あなたの心も、知りたいと思った)
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