真夜中の珍客


いつもと変わりのない雰囲気で、またいつもと変わりのない客層のバーであるはずが、カラン、とドアの鐘を鳴らし訪れた客によってそれは少し変わったものになった。

「いらっしゃいませ……、え?」

他の客がまだ疎らに居る中を抜けてカウンターの席に座った客に思わず驚きを隠せない。どうしてまたこんな時間に?

「ミレーユ」
「ふふ、こんばんは、マスター」

その姿をしている彼女を本当の名前で呼ぶ事は出来ない。俺は暫く呼んでいなかった方の名前で彼女に応えた。彼女はいつもの笑みでカウンターに座った。

「珍しいね、こんな時間に…何にしようか?」
「お酒が、飲みたくなったものですから…そうですね、モスコミュールとかありますか?」
「あるよ」

彼女がお酒を飲む印象がはっきり言って薄かったので少し驚いた。モスコミュール自体はそこまで強いお酒ではない。だがまさか彼女に注文されてお酒を作る日が来ようとは。

「意外、でしたか?」
「ん〜少し?」

微笑んでみせると彼女もいつもの様に上品に笑った。

「少し驚かせたくて……ですけど、クユリさんはこれくらいじゃ驚きませんよね」
「ちょっとビックリしたよ」
「ふふ…」

彼女が注文したモスコミュールを出す。彼女はありがとうございます、と言うと一口。

「美味しい…」
「良かった」
「ふふふ」

彼女はグラスを置くと頬に手を当てて笑ってる。何だか嬉しそうに。どうした?と聞くと、いいえ、何でも〜、と言う割には何でもない事がないのが丸わかりだ。

「なんだよ」

そんな彼女がおかしくて冗談めかして言う。

「クユリさんカッコいいですね」
「っ……!!!」

何て事をさらりと言ってくれるのだろう。それで嬉しそうだったのか。

「何だか、その格好のクユリさん新鮮で…」
「酔ってる?」
「全然、素面ですよ」
「なかなか恥ずかしい事を言うから……」
「ふふ、夜ですしね」

夜だと恥ずかしい事も言えてしまうのだろうか?それともただの気まぐれか。恐らく後者だろう。

「それから…」
「ん?」
「いえ……」
「あ、2杯目飲む?」
「はい…えっと、もし良かったらクユリさんのおすすめを…」

そう言う彼女に作るお酒はすぐに決まった。

「どうぞ」
「これは?」
「ちょっと度数高めだけど、飲める?」
「ええ、問題ありません」

彼女は目の前に置かれたピンク色のカクテルを見ると嬉しそうに俺を見る。

「ピンクレディ」
「私には似つかわしくない程に乙女らしい名前ですね」
「カクテル言葉なんてものがあって」
「カクテルにも意味があるんですか、奥が深いんですね」
「このピンクレディの言葉は…“いつも美しく”」
「!」

彼女は少し驚いた表情を見せて、すぐにやられましたね、と微笑んだ。仕返しのつもりでやった事がすぐに分かる当たり彼女らしい。

「クユリさんだってなかなかキザな事をします…言葉で言うよりも……」
「そうだな、夜だし」
「ふふふ、そうですね……」

雪国出身なだけあってお酒はなかなか強いらしい。度数が高めのピンクレディーも美味しそうに飲んでいる。

「いつも飲む?」
「いいえ、いつもはあまり飲みませんね…」
「でも好きだろ?お酒」
「ええ、好きですよ」
「まだ飲む?」
「いえ、今日はこれくらいにしておきます」

そろそろお暇しますね、と彼女は言うとお代をカウンターに置いた。そして帰る身支度を整えると立ち上がった。

「ああ、それから……これ」
「鍵?」
「はい、私の家の鍵です。いつでも来てください…」

戸惑いの色を隠せていない俺に彼女はにっこり笑った。

「クユリさんが来てくれたとして私、居ないかもしれないじゃないですか…だから」
「…ありがとう」

彼女が言いたい事は何となく分かったので彼女が差し出した鍵をズボンのポケットに仕舞った。

「ふふふ、驚きました?」
「流石にね」
「良かったです、では…」

こんなサプライズだらけな夜はそうそうない、と思いながら彼女がバーを後にする背中を見送った。


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