正一誕2010
淡く、甘く、密やかに



「正チャンってさ、好きな食べ物とかってある?」
「んー……まあ、普通に何でも食べますけど」
隣に座る恋人からの突然の問いに正一は少し考えてから答えた。
今は講義中だ。講義中であっても隣に座る恋人が他愛のない話を持ち出してくる事は珍しくないから、別段驚いたりはしなかった。
「正チャン、それ、答えになってないよ」
「う……甘い物は自主的に食べたりはしないですけど。あ、コーヒー好きです」
「食べ物じゃないし」
「あー……」
真面目に考えてはいるのだが、今まで好きな食べ物について考えた事は殆どなかった、から正一は混乱した。基本的に好き嫌いは無くて、子供の頃から出された物は大体何でも食べていた。
「じゃあ、少し絞って好きなスイーツは?」
「……コーヒーゼリー?」
「………正チャン、大人だね……」
激甘党の白蘭が遠い目をする。コーヒーゼリーはあまり好きではないらしい。正一だって思い付いた物を口にしただけでそれが特別好きだというわけでもないのだが。
「ふーん、まあいいや。思い付いたら後で教えてよ」
「はあ、分かりました」
何か料理でもするつもりかな、その前に白蘭サンって料理するっけ――そう思いながらも正一は適当に相槌を打った。



「すっかり遅くなっちゃった……」
構内の図書館で本を探したり、白蘭の買い出しに付き合ったり(本当に料理するのかと期待していたが、白蘭が買ったのは大量のマシュマロやお菓子、それからココアだったから軽く落胆した)、夕食の材料を買ってさっきアパートの前で白蘭と別れたところだった。
「夕飯作ろ……今日は白蘭サンの分はいらないよな」
白蘭は白蘭できちんと自分の家があるのに、よく帰りにそのまま正一の家に寄って泊まって行く事が多い。だから同居もしていないのに白蘭の寝間着や歯ブラシが当然のように置いてある。
2人分の夕食を作るのも癖になっていて、偶に白蘭が来ないのに2人分作っていたりするから、一々自分に間違えないよう言い聞かせるのだった。
「の、こんとろ……♪」
好きな歌を口ずさみながら手慣れた様子で料理を始める。今日は白蘭がいないからいつもよりは手抜きだ。
「いただきます」
愛用のパソコンをいつも白蘭の料理が並ぶスペースに置き、きちんと合掌してから本日の夕食にありつく。そうしながらふと何の気なしに壁掛けカレンダーに目を遣った。
「あ、今日12月3日……自分の誕生日なのにすっかり忘れてた」
今日の日付の所に緑色のペンで何重にも丸が付けてあった。随分前に白蘭が「3日は正チャンの誕生日〜♪」と言って書いたのだ。
(いつも小さなイベントでも見逃さないクセに、今日は何も言ってこないんだな――)
「……って、何センチメンタルになってるんだよ僕は」
どうせ一人暮らしを始めて白蘭に出逢わなければ、誕生日だからと言っても何もしなかっただろうから。そう考える事にして気付きかけた恥ずかしい自分の感情を誤魔化すように夕食を掻き込んだ。

「ごちそうさま」の合掌と共に食器を台所に片付け、パソコンを立ち上げる。大好きなBLOOD+PEPPERSの新曲をBGMに、調べ物やレポートを始める。
始めて暫くした頃、唐突に横に放置された携帯が鳴りだした。白蘭が一番好きだと言っていたブラペパの曲。
「白蘭サン、から? ……もしもし」
『あ、もしもし正チャン?』
「こんな時間にどうしたんですか」
正一の質問に白蘭が電話越しに笑う気配がした。
『ちょっと用があってさ。今から正チャンちの近くの公園まで出て来られる?』
「あ、はい。今から行きます」
『ん、待ってるね♪』
いつもどおりの愉しそうな声。受話器越しの白蘭は何処までもいつもと同じだったから、正一は逆に混乱した。意図が掴めない。
こんな寒空の下、誕生日でもお祝いしてくれるのだろうかと首を傾げながらマフラーを巻き付け、鍵と携帯をコートのポケットに突っ込んで家を出た。

外は寒かった。雪は降っていないものの、夜ともなれば気温は一気に下がる。予想以上の寒さに困惑しつつ手の平同士を擦り合わせ、息を吹き掛けた。
(さぶ……手袋もしてくれば良かったな)
言い渡された公園に、果たして白蘭はいた。正一に気付くと満面の笑みで手を振ってくる。
「白蘭サン! 用って何ですか?」
聞きたい事は色々あったが、今はそれどころではなかった。ロマンの欠片も無い話ではあるが、正直寒くて長時間この場にいるなんてとても耐えられない――白蘭が聞いたら嘆きそうな事を考えていると、
「正チャン、お誕生日おめでとう。……生まれて来てくれてありがとう」
不意に正面からがばりと強く抱き締められ、大真面目に睦言を囁かれた。
「………っ、なんですかいきなり! 恥ずかしいなぁ!」
不意討ちを食らった上に白蘭の言葉があまりにストレートで、嬉しいような恥ずかしいような自分でもよく分からない気分になって、思わず夜の公園で叫んでいた。頬が熱い。
「ホント照れ屋さんだよね、正チャンって」
「………」
大人しく白蘭の胸に収まったまま正一は白蘭の鼓動と温もりを感じていた。
さっきまでこんな寒い所にずっといるなんて、と罰当たりな事を考えていたのに、ほんの数十秒の間にそんな事も忘れて、もっとこうしていたいと思うようになっていた。白蘭の存在が、煩悩を消し去るから。
「くしゅっ」
しかし白蘭が抱擁を解くと急に寒さにくるまれて正一は思わず身震いをした。
「大丈夫? マフラー、ちゃんと巻かないと風邪引いちゃうよ」
首にぐるぐると巻き付けただけで上手く巻けていなかったそれをそっと外し、丁寧に巻き直していく。何の気なしのその動作が、気遣いが、優しい表情が、その手つきが、白蘭の全てが正一を惹き付ける。正一はされるがままになりながら、ただただ白蘭を見上げていた。
「これで大丈夫。……正チャン?」
「……えっ?」
「ボーッとしてたけど。僕に見惚れてたの?」
クスクス笑いながら白蘭が冗談めかして笑う。その空気の振動さえも正一の意識を惹き付けて止まない。
「ち、違うって!」
正一は思わず必死に否定する。そうしてから後悔した。何もそんなに否定する事は無かった。
「……すみません、ありがとうございました」
思わず白蘭から視線を外して謝る。もう一度白蘭が笑う気配がした。
「大丈夫だよ。正チャンがツンデレなのは今に始まった事じゃないし。ね、今から正チャンの家行ってもいいよね?」
「そんな事だろうと思ってましたよ。ご飯とかは何も用意してないですけど」
質問ではなく、確認するところがこの人らしいなと内心苦笑しながら言外に許可を伝える。
「えっ……飯、無いの?」
「白蘭サン今日は来なそうだったんで自分の分だけ作って食べちゃいましたよ」
「えーっ?!」
白蘭がベンチからいつもより明らかに多い荷物を持つのを待ってから、2人は正一の家へと歩き出した。



「……で、その大荷物何ですか。どう見ても泊まり道具じゃないみたいですけど」
暖かい家に戻って、コートを脱ぎながら正一。白蘭に巻き直してもらったマフラーをどうしようかと逡巡している正一を目にしっかり焼き付けつつ白蘭が答える。
「ん? ああ、これは正チャンと食おうと思って買って来たんだ」
誕生日ケーキとー、マシマロとー、ココアとー、それから団子とー、1つずつ袋から取り出していく。テーブルの上に小さな山が出来るのを正一は溜息を吐きながら見守る。
「そんなに買って来ても食べられないでしょう……」
「正チャン、嬉しくなかった?」
白蘭がこういう事を訊くのは本心からではなく、一種の交渉手段みたいなものだとは分かっていたが、それでも寂しそうな顔を見せられるとつい肯定出来なくなってしまった。
「………そうじゃないですけど」
因みに正一はこの手に過去何度も引っ掛かっている。
「ならいいじゃん♪ 正チャン、夕飯になりそうなの無い?」
「食パンで良ければありますけど」
「じゃ、それちょうだい? これ食ったらケーキにしよ」
未開封の食パン1袋とバターとジャムを白蘭に与えてから(自分は今餌付けしているんだと感じる瞬間である)、「先にお風呂いただきます」と断って居間を出た。