『トルテ作るよ!』
「と、言う訳でケーキを作ろうと思う」
「相変わらず突拍子も無い方ですね」
デイモンの部屋のドアを無遠慮に開けたジョットは、ソファでくつろいでいたデイモンの前に仁王立ちになって宣言した。
その体には、可愛らしいレースをあしらったヒラヒラとした白いエプロンが着けられている。
「何故私に宣言しに来たのか甚だ疑問ですが、取り敢えず頑張ってください。では、さようなら」
それだけ早口に告げると、デイモンは本を読む作業に戻った。
今、丁度物語のクライマックスなのだ。
こんな馬鹿に付き合っている暇は無い。
しかしデイモンの思いも虚しく、ジョットは部屋を出て行くどころかデイモンの房をむんずと掴んだ。
そのまま上に思い切り引っ張る。
「いたたたた!痛い痛い!!抜ける!!」
「オレはケーキを作ると言っている」
「だから頑張れって言ったじゃないですか!?」
房を毟り取る勢いで掴みあげるジョットの暴挙に、デイモンが涙目になる。
必死にジョットの手を引き剥がそうとするものの、ビクともしない。
デイモンは仕方ないのでジョットの手に合わせて腰を浮かせる。
ある程度立ち上がってしまえば、身長差のお陰で痛みから解放された。
しかしジョットの手は未だにデイモンの房を離そうとしない。
「ボスがケーキを作ると言ったら、手伝うのが部下というものだろう」
「違いますよ!あなたは部下をどういう風に認識してるのですか!!」
「そうか、手伝ってくれるか。お前ならそう言ってくれると思っていた」
「聞け!!私の声に耳を傾ける努力をしろ!!」
「さあ、こっちだ。もう材料は用意してあるんだ」
「いたたたた!いい加減手を離してください!!」
房を引っ張られてデイモンも仕方なく歩き出す。
上機嫌なジョットとは対照的に、デイモンの顔はどこまでも暗く落ち込んでいた。
ジョットの言う通り、キッチンには一通りの材料が揃っていた。
器具もしっかりと用意されており、準備万端だ。
「ほら、デイモン。これを着けろ」
「……」
差し出されたジョットとお揃いのフリフリエプロンにデイモンの口角が引き攣った。
デザインは嫌いではないが、如何せんジョットとお揃いなのが辛い。
辛い、と言うか、腹の底がモヤモヤする。
そのモヤモヤを吐き出すように、デイモンは溜息と一緒に口を開いた。
「拒否権は…」
「有るとでも?」
「訊いた私がバカでした」
フン、とジョットが偉そうに鼻を鳴らす。
踏ん反り返ったジョットに乾いた笑みを浮かべながらエプロンを受け取った。
一応それなりに身長のある自分にピッタリなサイズのエプロンに少し引っ掛かったが、訊くのは何だか怖いような気がしてデイモンは大人しくエプロンを着けた。
真っ白な生地が目に痛い。
「何故、私がこんな……」
「レシピはGに貰ったんだ。……流石オレの右腕。丁寧で分かりやすい」
レシピを眺めながらジョットが感心したように言った。
それを横目で見ながらデイモンはハッとした。
「レシピを貰うくらいなら、嵐とやったら良かったじゃないですか!」
「ああ、Gに頼んだら『ジョット悪い。オレは今日トレビの泉にオレンジを投げ入れるという重大な用事があって、お前の相手をしている暇が無いんだ』って言われた」
「よくそれで引き下がりましたね!私、未だにあなたの操作方法が分かりませんよ!」
「そんなことより、まずは粉を量って篩うそうだ」
デイモンの言葉など全く聞かずにジョットが器具をカチャカチャとする。
ジョットの様子にデイモンが諦めたように肩を落とした。
フワフワと揺れる金色に怒気が萎えていくのを感じる。
取り敢えずデイモンは、薄力粉と強力粉を間違えるという初歩的なミスを犯そうとしているジョットを止めることにした。
「ほら、次は砂糖ですよ」
「ん」
言い出しっぺの割にデイモンのお手伝いに徹しているジョットが、粉類の置いてある所をゴソゴソと弄る。
目当ての物を量って、ボールへ入れようとした所で手首を掴まれた。
「デイモン?」
「私は砂糖を持って来いと言ったんです」
「だから持ってきたが?」
きょとんとするジョットの口に、デイモンがジョットの持っている物を指に付けて突っ込んだ。
デイモンの指をしゃぶりながらジョットが眉を顰める。
「お前の指、凄くしょっぱいな……手汗?汗っかきか?」
「違いますよ!これが塩だからしょっぱいのです!」
「えー?」
デイモンの指から口を離し、ジョットが今度は自分の指でそれを掬って口へ入れる。
「……間違っちゃった!」
「ドジっ子アピールは不要です」
「ちぇっ」
唇を尖らせるジョットにデイモンが呆れた目を向ける。
「いいから砂糖を持ってきなさい」
「はいはい」
言われた通りに、ジョットは塩の入った小さなボールを持って粉類の方へと踵を返した。
しかし、スピンが効き過ぎて小さな体が大きくよろめく。
「うわ、っと…!」
グラグラと辛うじてバランスを保ちながら、塩を溢してしまわないようにと四苦八苦する。
ボールを頭上に掲げたり、左右に振り回してみたりしたが、その努力も虚しくボールは宙を舞った。
それを追うようにジョットの足元も宙に浮く。
後に来るであろう痛みを覚悟する前に、背中に温かさを感じた。
ガシャン、という耳障りな音が、やけに遠くで聞こえる。
「まったく、何をしているのですか…」
心底呆れたように溜息を吐いて、デイモンが腕の中のジョットを見下ろした。
夕日の瞳が瞬いて煌めく。
「機敏だな」
「お褒めに預かり光栄です。怪我は?」
「無い」
「ンー、それは何より」
満足そうに言って、デイモンが微笑んだ。
デイモンの腕の中で、ジョットは真顔のまま口を開く。
「デイモン、1つ恐ろしいことを教えてやろうか」
「おや、なんでしょう?」
「なんと、オレの心臓がドキドキし過ぎて破裂しそうだ」
「ヌフフ、それは一大事ですねえ。心臓が破裂してしまっては、流石のあなたでも死んでしまうでしょう」
「だろう?だから、早くこの手を退けてくれ」
腰に回っているデイモンの腕に、ジョットが手を掛けた。
そのまま引っぺがそうと引っ張るが、2本の腕はビクともしない。
それどころか、更に体を寄せるように近付けられて、ジョットが珍しく動揺したように瞳を揺らした。
「死ぬぞ?いいのか?」
「あなたが死ぬのは困りますが、これはこれで悪くない。いつも振り回されているお返しです」
「馬鹿な……デイモンがオレを裏切っただと…?」
「ンー、心外ですね。これも部下の仕事の1つですよ。スキンシップです、ボスとのスキンシップ」
「お前は部下をなんだと思ってるんだ?」
「あなたにそれを問われる日が来るとは思ってもみませんでした」
言いながらジョットの耳とに唇を寄せると、腕の中の体が小さく震える。
それに笑みを深めて、デイモンは意地悪くジョットの頭に頬を摺り寄せた。
「さあ、どうしてやりましょうか?キスでもしてみます?」
「それは死ぬな。間違いなく死ぬ」
「意外と初心なのですねえ」
「悪かったな」
「ヌフフ、悪いだなどとは言っていませんよ」
ムッとするジョットに笑って、デイモンは小さな体を解放してやる。
あからさまに安堵するジョットを見て、柔らかく目元を緩めた。
「さあ、ケーキを作るのでしょう?」
「勿論だとも!」
「では、私は生地を作りますから、あなたはその間に床を綺麗にしなさい」
「えー…」
デイモンが塩の散らばった床を指差すと、ジョットのテンションが一瞬で下がる。
暫くデイモンと床を見比べていたが、一向にデイモンが引く様子を見せないので、ジョットは仕方無さそうに溜息を吐いた。
「オレはケーキ作りがしたかったのに…」
「早く終わらせれば手伝わせてあげますよ」
「じゃあ死ぬ気で片付けるから、お前はゆっくりやってろ」
「分かりました」
偉そうに指示するジョットに素直に頷いて、デイモンは泡立て器を手に取る。
いつもなら反発しただろうが、今は仕返しが出来たので多少気分が良い。
視界の端で、光が舞うように金色の髪がちらちらと揺れる。
そのせいでどうにも気が散ってしまうが、別段不快感は覚えない。
ただ、ケーキの完成にはまだまだ時間が掛かりそうだとデイモンは思った。
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