『子羊は詭弁を知らない』




真っ白な室内に鮮やかなオレンジの炎が舞う。
怖い程に澄んだそれは、濁った僕の目には毒々しく写った。
室内を包む浄化の炎。
それは僕達の服の裾さえ焦がさず、世界の穢れだけを焼き払っていった。
燃え盛る炎の中心で、茶色い髪が揺れる。
その人は、僕達の世話をしていた女研究者よりもずっと小さかった。
小さな体には不釣り合いな大きな黒いマントが翻り、その下で拳に宿った炎が煌めく。
ゆっくりと振り返った炎と同じ色の瞳の中に、僕は僕の救いを見た。






「なあ、骸」

大きな樫のデスクに頬杖を付いた綱吉が、甘い猫撫で声で骸を呼ぶ。
それを無視してアイスチョコレートのストローに口を付けると、丸い頬がぷくっと膨らんだ。

「無視するなよ」
「それ、可愛くありませんよ」
「そう?獄寺君には好評だよ?」
「彼は君の狂信者ですから」
「あはは!そうだね。獄寺君はオレのこと盲信してくれてるからなあー」

頬杖を付いていない方の手でペンを弄びながら綱吉が笑う。

「骸もオレのこと盲信していいんだよ?」
「僕は嘘をつける人間を信じません」
「嘘をつかない人間なんていないよ」
「だから、僕は人間を信じない」
「なに?三段論法?」

くすくすと笑って綱吉がペンを置いた。

「でも残念だな。お前がオレのこと盲信してくれたら、お前のこともっといい様に扱えるのに」
「何言ってるんですか。僕のことを奴隷にでもするつもりなんですか」
「うん」

にこやかに頷く綱吉に、骸が冷め切った半眼を向ける。
銜えていたストローを歯で嬲るように甘噛みして、口から離した。

「今だって十分そうじゃないですか」
「そんなことないよ。さっきだってお前、オレのこと無視しただろ」
「心の中では返事をしていましたよ」
「嘘ばっかり。飲み物が温くなってきたこと気にしてたろ」
「また君は超直感を乱用して…!」

忌々しげに声を荒げた骸に笑って、綱吉が席を立つ。
ふわりと骸の横に腰を下ろすと、表面に雫の浮いているグラスを奪った。

「超直感なんて使わなくても、骸の考えてることくらい分かるよ」

言って、舌を絡めるようにしてストローを口に含む。
少しだけアイスチョコレートを吸うと、グラスを骸に返した。

「これ、温度がどうこうと言うより、甘過ぎない?」
「温くなったからそう感じるだけですよ」
「そうかな…」

納得しかねる様子で、綱吉がソファの背凭れに深く沈む。
骸は受け取ったそれを一口飲んでからテーブルへと戻した。

「それで、僕に何か?」
「ん?聞いてくれるの?」
「聞かせる為にこっちへ移動してきたんでしょう?」

呆れたように目を細める骸に、綱吉が薄く笑みを返す。

「よく分かったな」
「何年一緒にいると思ってるんですか」

よしよしと頭を撫でる綱吉の手を払って、骸が溜息を吐いた。
それに笑って、綱吉が骸の太腿を指差す。

「膝枕して?」
「は?嫌ですけど」
「えー」

不快感を露にして即答した骸に、綱吉が不平の声を上げた。
骸の腿に手を付いて、じりじりと体を寄せる。

「いいじゃん、ちょっとくらい。オレ見ての通り疲れてるんだよ」
「どこが疲れてるんですか。目が爛々としてるじゃないですか」
「それはほら、骸が目の前にいるからだよ」
「っ!」

耳元で低く囁かれて骸が小さく息を詰めた。
それに笑みを深めて、そっと耳朶に唇を寄せる。
ちゅ、と音を立てて吸い付くと、骸のボンゴレギアがシャラリと鳴った。

「ね?お願い」

骸の長い前髪を取って、それにも口付ける。
綱吉のその姿から視線を逸らすように、骸はテーブルの上のグラスへと目を向けた。

「……僕の腿、硬いですよ」
「うん、知ってる」
「君、柔らかい方が好きでしょう」
「へ?別に、そうでもないけど」

きょとんとする綱吉に、骸がムッとしたように言い返す。

「嘘ですね。現に、君の枕はふっかふかの綿飴みたいじゃないですか」

暫し沈黙が落ちた。
結露した水滴が滑り落ちて、テーブルを濡らす。
骸がそれを見るともなしに見ていると、隣で笑う気配がした。

「バカだな。あれはお前の為に柔らかいの用意してるんだよ」
「……」

訳が分からず眉を顰める骸の頬に、綱吉が手を伸ばす。
緩く撫でると骸が反射でその手に擦り寄り、柔らかく瞼を下ろした。
それからすぐにハッとして綱吉の手から離れる。

「…僕の為とは、どういうことですか?」
「どういうことも何も、言葉通りだよ」

自分の手から離れた骸を追って、綱吉の指先が動いた。
長く伸びた前髪をさらりと梳かれると、骸の肩が僅かに跳ねる。

「お前、いつもオレが居ない時、オレの枕抱いて寝てるだろ?なら、出来るだけ柔らかい方がいいかなと思って」
「なっ!?」

骸の頬にカッと血が昇った。
色違いの瞳を大きく開く骸に笑って、綱吉はそっと頬に唇を寄せる。

「骸は柔らかい物好きだろ?柔らかくて、甘くて、あったかい物」

茶色い瞳が優しげに細められた。
骸の頬は更に赤みを増している。
呆然と固まっている骸の隙を突いて、綱吉はソファに体を横たえた。

「まあ、要はオレのことなんだけど」
「ちょ、ちょっと!こら!!何を勝手に寝てるんですか!!」

自分の腿の上にある鳶色の塊を骸がグイグイと押す。
それを物ともせずに、綱吉は満足そうに笑みを浮かべた。

「やっぱり好きな子の膝枕はいいね!」
「退け!!そんなこと言っても絆されません!!」
「じゃあ絆されるまで何度でも言ってやろうか?」
「……」

ピタリと骸の動きが止まる。
綱吉が見上げると、骸が無表情で見下ろしていた。
血のような赤と、海の底のような青が、ゆっくりと瞬く。
静かな視線の中に浮かぶ微かな期待に、綱吉が両目を撓らせた。

「なんてね」

言いながら、骸の頬を撫でる。
オッドアイが揺れるのを見上げながら、綱吉は楽しげに口角を上げた。

「期待した?」
「……してません。君はそういう人だ」
「よく分かってるね」

「えらい、えらい」と綱吉が骸の頭を撫でる。
それを抵抗もせず受け入れながら、骸は綱吉の髪を梳いた。

「君といると、まるで自分が愛されているかのように錯覚してしまう」

骸の指の間を、鳶色の柔らかい髪がすり抜けていく。
それをまた指に絡めると、滑り落ちるように骸の手から逃げていった。

「『まるで』じゃなくて、本当に愛されてるよ?」
「そうですか。それは嬉しいですね」

口先だけの言葉を紡いで、骸が笑う。
その様子に、綱吉はほんの少しだけ眉を寄せた。

「骸」

名前を呼んで、後頭部に手を掛ける。
そのまま下に力を入れて、骸の頭を無理矢理引き寄せた。
軽く唇を重ね合わせて、すぐに手を離す。
至近距離で見詰める瞳に、綱吉は笑みを返した。

「ね?ちゃんと愛されてる。こんなに期待に応えてあげるのは、お前にだけだよ」

にっこりと笑う綱吉に、骸が諦めたように息を吐く。
綱吉の頬に手を添えると、そっと身を屈めた。

「僕がしてほしいキスは、こんなに軽いものじゃないんですけど」
「そうだね。おいで、骸」

くすくすと笑って、綱吉が骸の頬へ手を伸ばす。
その手に擦り寄って、骸は綱吉の唇へ自分のものを近付けた。





「骸」

名前を呼んでみても、答える気配は無い。
骸は綱吉の腿に頭を預け、穏やかな寝息を立てていた。
その髪を軽く梳いて、綱吉はすっかり室温になってしまったチョコレートドリンクを吸う。
口の中に広がる甘さに、やっぱり甘いと頭のどこかで思った。

「もっとオレに依存すればいいのに」

今の骸を形成するのに、綱吉は酷く労力を要した。
遠く離れた見ず知らずの骸の状態を知る為に超直感を鍛え、骸を迎えに行く時期を決め、その日が来るまで逢いたい気持ちを必死に抑え込んだ。
無事に骸を迎え入れてからも、自分に依存するように、自分のことだけを考えるようにと教育し、骸には自分しかいないと錯覚さえ、骸が自分に向けているそれは恋愛感情なのだと思い込ませ、今に至る。
骸は概ね綱吉の思い通りに育ったが、綱吉が満足するには至らなかった。

「何の為にあんなに白蘭に頭下げたんだか…」

他の世界の骸を参考にしようと思い付き、綱吉が白蘭に頭を下げた回数は、とても両手で足りる程ではない。
奢ったマシュマロの数は桁が分からないくらいだった。

「カンニングしてるのになあ……」

手塩に掛けて育てた骸があまりに可愛く、つい意地悪をしてしまうのが悪いのだろうか。
思い通りにならない恋人のあどけない頬に口付けて、綱吉は天井を仰いだ。


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