Corole

今まで僕の世界は白と黒だけだった。そんな単調<モノクロ>な世界に、色が着いた。

――そう、君が塗り変えてくれた。


君の柔らかい髪は甘い飴色、大きな瞳は磨かれた琥珀色、頬は大人のくせに薄ら桃色。着ているスーツの色は黒だったりグレーだったり。いくつも持っているらしい。
声はそんなに高くないけど、穏やかで優しい。どうしたらあんな声が出るんだろう、僕はいつも思う。今まであんな声で喋る人に会った事なんてない。
そして彼はいつも、あどけなくて底抜けに明るくて楽しそうな笑顔で誰とでも接した。
大人のくせに――。


僕はエストラーネオファミリーというマフィアの研究所にいた。ただの実験台のうちの1人としてしか存在価値は無かった。所員は皆、僕らの事をモルモットぐらいにしか見ていなかったと思う。
彼は時々訪れては拙いイタリア語で所員や所長と何か話をしていた。だから当初僕は、彼が所員らの仲間か何かだと思っていた。
でも彼は来る度に僕ら子ども達が収容されている広い部屋に来て、何かしらの些細なプレゼントを持って他愛ない話をしてから帰っていたから、他の所員とは違うとも思った。所員達はそんな接し方なんてしない。
だけど正直興味も無かったし、誰かと関わるのが嫌いだった僕はいつも部屋の隅に座って眺めているだけで、迎合する気は一切無かった。
初めて彼を見た時、彼は子ども達と会話を交わしていた。話しながらも僕を視界に入れると、目が合うとニコ、と微笑んだ。僕は何となく恥ずかしくなってふい、と目を逸らした(大人のくせに、と思った)。
その後もう一度彼の様子をそっと伺うと、再び目が合ってしまい、僕は慌てて視線を外したのを覚えている。更に苦笑も零された。
彼がいなかったら今の僕は絶対にいない。そう言い切れる。

彼はどうやら実験をやめるように警告に来ているらしかった。彼が帰った後の所長の機嫌はすこぶる悪く、所員達が小声で噂しているのを耳にした。
僕はかなり幼い時からずっとこの研究所にいたから、彼が一般人でない事ぐらいすぐに分かった。一般人が足を踏み入れる事は無いし、入ったら殺されているところだ。
(ならばマフィアか……?)
僕は歯軋りした。あんな風に笑う人間が、マフィア。僕の大嫌いな。信じ難かったが表社会の人間がこんな狂ったファミリーと対等、または有利に渡り合えるはずが無い。
マフィアなんて皆同じ、彼を信じるのはやめよう、そう思った。その時から僕は彼を警戒し出した。

勿論彼はまたやって来た。いつものように研究員達と話をして、少々疲れと憐れみの色を瞳に乗せたまま子供部屋へとやって来る。恐らく話が通じなかったに違いない。
「Salve.(やあ。)ちゃんと大人しくしてたか?」
子供達が彼を取り囲む。僕はその輪には入らずに部屋の隅で様子を伺いながらつまらない絵本を眺めていた。
何かお菓子でも持って来たらしく、1人につき1個ずつ個包装された何かを渡して行く。最後に僕を見て此方へ歩み寄って来た。
「Lei come si chiama?(名前は?)」
笑みを絶やさずに僕の目線まで体を低くして訊ねる。簡単なイタリア語での挨拶ならば可能らしい。
僕は素っ気なく名前だけを伝えた。
「…………Mukuro」
向こうは僕が喋った事がそんなに意外だったのか、暫しぽかんとして、ぱちぱちと2、3回瞬きをしてやっと我に返った。その時間、およそ10秒程。彼はすぐに嬉しそうに笑った。
「むくろ! 日本人みたいな名前だね」
彼は日本語でそう言った。どうやら日本人らしい。これでも僕は多少なりとも教育を受けている。日本語は少しだけ習った。
「イタリア人です。E Lei?(あなたは?)」
拙い日本語を喋ると彼は「ええっ?!」と頓狂な声を上げた。大人のくせに、随分とオーバーな反応を取るものだとしみじみ思った。
「あ、えっと、Mi chiamo Tsunayoshi.(私の名前は綱吉です)。そうだ、ハイ、これ」
彼の名前はツナヨシ、というらしい。彼は少し慌てながら名前を告げると先程子供達にやっていた菓子を取り出した。
何やら濃い茶色の物が透明なフィルムに包装されていた。始めて見るそれを手に乗せられて僕はツナヨシを見上げた。
「えーと、Cioccolata(チョコレート)って言う、お菓子だよ」
「……Puo dirmi come si mangia questo?(これはどうやって食べるのですか?)」
彼は質問には答えずに僕の手に置いたそれを取り上げて、くるくると包装を剥がすと僕の口の中に入れた。
甘い。広がる甘い味と匂いを出来るだけ長く感じていたくて口の中で噛まずに溶かす。無くなっていくのが勿体ない。
「どう?」
彼はにっこり笑って訊ねた。
どうもこうも初めて味わったのとすぐに溶けて無くなったので、なんと説明したら良いのか分からない。陳腐ではあるが僕は「Buono(美味しい)」とだけ言っておいた。出来るだけ素っ気なく。
それでも彼は僕の頭を笑いながら撫でた。それからもう1個取り出すと、周りの子供達が見ていないのを確認してから僕の手の平に忍ばせた。
「秘密だよ」
しぃ、と口の前に人差し指を立てて彼はウインクした。僕はこくこくと頷いて、そっと手を開いてそれを眺めた。
「Mi scusi.(ごめんね。)そろそろ行かなきゃ」
彼はそう言って立ち上がった。忙しいようで、彼はいつもそんなに長居はして行かない。それはその日も例外ではなかった。
「Ho capito(わかりました)」
「……Magari ritorno(また来るよ)」
ツナヨシがぽんぽんと僕の頭を軽く叩いて手を振った。踵を返した彼は他の子供達にも挨拶をして去って行った。僕は去って行く背中を眺めていた。
(本当にマフィア……なのか? あれで?)
警戒していたはずなのに、いつの間にかそんな事を忘れさせる力を持っているみたいだった。無論、無自覚だろう。この世にはあんな人間もいるのか。
今まで誰も信じられなかったけれど、今なら彼だけを信じてみてもいいかもしれない。そう思える程彼は僕の中で大きくなっていた。

ツナヨシは1週間に約2、3回程、護衛(兼通訳)を連れてエストラーネオへやって来た。その度に子供達の所へ顔を出し、離れた場所にいる僕の元へも足を運んだ。

ある時彼は僕に言った。
「Questo e molto bello(とても綺麗だ)」
主語が抜けていて、僕には彼が何の事を言っているのか分からなかった。彼は膝立ちのまま愛おしそうに目を細め、ゆっくりと僕の頭を撫でた。
「Tutto.(全部。)その髪も、瞳の色も、みんな綺麗だ」
そう面と向かって真顔で褒められると少し面映ゆかった。少し考えて、僕は拙いながらも日本語で言い返してやった。
「ツナヨシの方が、きれい」
彼は目を丸くして、顔を赤らめて僕を咎めた。
「え、そ、そう?! 初めて言われた……。ていうか呼び捨てにするなよな!」
これが大の大人が取るリアクションなのだろうか。僕は閉鎖的な環境で育ったからよく知らないけれど、普通の大人はここまで顔を真っ赤にして金魚のように口をぱくぱくさせる事はないだろう。最後のは恐らく照れ隠し。
「ツナヨシ、ツナヨシ。ツナヨシは、きっと童貞、ですね」
反応が面白かったから、真顔でそう言ってやったら、彼は一瞬言葉を失った。目を白黒させていた。
「なっ……お前、そんな言葉を一体何処で……? 意味、分かってるのか?」
「所員が、言っていた」
彼は<ほとほと>呆れた様子で首を振った。どうやら図星のようだ。面白くて仕方がなかった。思わず吹き出してしまう。今までこんな風に笑う事は一度もなかった。これも全てツナヨシのおかげなのだ。
そんな事を考えていたら彼が突然抱き締めて来た。
「ムクロもそうやって笑えたんだな。……ムクロ、お前はオレが守るよ。絶対。約束する」
貧弱そうな体をしているのに案外腕力があって少し吃驚した。珍しく弱気な、しかし意志はちゃんと籠もった声で宣言して、僕の項に頭を埋める。清潔な良い香りがした。
僕はされるがままになりながらもツナヨシの腕にそっと触れた。
「ツナヨシ? Che cosa ha?(どうかしましたか?)」
「どうにかして子ども達を助けてやりたいんだけど、中々上手く行かなくて。嫌な言い方だけど、エストラーネオの研究員達にとって子ども達は大事な実験台だからね」
ツナヨシは僕を抱き締める腕を緩め、寂しそうに微笑んだ。彼が言っている事よりも、寂しそうな笑顔の方が気に掛かって仕方がなかった。
僕は恐る恐る彼の頭に手を伸ばし、いつも彼が僕にするようにそっと撫でた。立てている割に飴色の髪は柔らかかった。
「……約束、守って」
絶対、と付け加えると、彼は苦笑いを見せた。
「ごめんな、ムクロ。こんな姿を見せちゃって。それにしても子どもに慰めらるって複雑な気分だな」
「子供扱い、しないで下さい。それに、慰めてない」
さっきまで頼りない声を出していたくせに、よくもそんな事が言えるものだ――そう思ったが、そこが彼らしさなのかもしれないとも思った。
彼は僕を抱いていた腕を離し「さて、」と言って立ち上がる。その動作だけで今日はもう帰るんだと分かった。若干の名残惜しさを感じる。彼が帰ってしまえばただ単調で退屈な日常に戻るだけだ。
「帰るんですね」
「うん。まだこれから仕事あるし。A presto(じゃあ、また)」
些か申し訳なさそうに言って上から僕の頭を撫でると、彼は他の子供達にも挨拶をするべく踵を返した。
(約束。僕とツナヨシだけの)
彼の言葉を思い出して、胸の奥に小さくて温かい灯が点ったような感覚に陥った。鼓動も些か速い。
こんな事は初めてで少し戸惑ったが、もしかするとこれはツナヨシがくれた感情なのかも知れないとふと思った。

人間<ヒト>は言葉1つで変われる事を知った瞬間だった。


10.11.1

骸ツナというよりツナ骸。
プロット何処やったっけ……←


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