相反する相愛




ひんやりとした何かが頬を這う。
そっと、壊れ物でも扱うように頬を滑ったそれは、僅かばかりの接触ですぐに離れていった。
緩やかな微睡みの中にあってもそのことが酷く悲しくて、落ちようとする意識を無理に引き上げる。
途端に噎せ返るような消毒薬の臭いがして、思わず眉が寄った。

「すみません、起こしてしまいましたか」

申し訳無さそうに言う男の表情は、暗闇に目が慣れないせいで見えない。
ジョットは数度瞬いてから、ゆっくりと首を横に振った。

「いや、どうせもう起きようと思っていた」
「おやおや、怪我人がこんな夜更けに何の御用ですか?」
「お前に会いに行こうと思っていたんだ」

ジョットの言葉にスペードが面食らったような顔をする。
しかしすぐに半眼になると、真っ白なシーツに埋もれるジョットを睨み付けた。

「ヌフフ…その怪我でよくもまあ抜け抜けと、私に会いに来ようとお考えになりましたね」

ジョットの頭と左肩に痛々しく巻かれた包帯に、デイモンが視線を向ける。
その視線から肩を隠すように上掛けを引き上げて、ジョットは鼻を鳴らした。

「会いに行かないと、お前がオレを心配し過ぎて死んでしまうのではないかと思ってな」
「ええ、その通りです。あなたが敵対ファミリーに撃たれたと聞いた時は、ショックで心臓が止まるかと思いましたよ」

ジョットを睨み付けたまま、スペードが腕を組む。
その指先が僅かに震えていて、ジョットは眉を下げた。

「…………すまなかった」
「反省を伴わない謝罪に意味などありません。これで何度目だと思っているのですか?」
「……分かりかねます…」
「でしょうね、私にも分かりませんよ。それくらいあなたは、私の寿命を無駄に磨り減らしてくれているのです」
「へえー、デイモンにも寿命なんてあるんだな」
「ヌフフ、あまり巫山戯ていると、その口も肩と同じように縫合しますよ」
「……」

デイモンの脅しにジョットが大人しく口を噤む。
口元まで上掛けで隠すその姿に溜息を吐いて、デイモンは疲れたように瞼を下ろした。

「プリーモ、何度言えば分かっていただけるのですか?お願いですから前線に立たないでください。あなたはボンゴレファミリーのボスなのですから、現場は部下達に任せればいいのです」

呆れ混じりに言うスペードに、ジョットがムッとして言い返す。

「嫌だ。ファミリーが戦っているなら、オレも一緒に戦う」
「部下達はあなたの為に死ねるのなら本望なのですよ」
「オレだって仲間の為に死ねるなら本望だ」
「あなたと彼らでは命の重さが違う」
「違う訳がない。皆等しく同じだよ」

暗闇の中でも燃えるように煌く夕日色の瞳に、スペードが言葉に詰まった。
ジョットと視線を絡ませたまま、迷うように瞳を揺らす。
何か言いたげに震えた唇が、目的の音を紡ぐことはなかった。
代わりに、青い瞳が悲しそうに陰る。

「……違いますよ…」

喉から搾り出したような声だった。
焦燥のような切実さを帯びたそれは、最近になってスペードが時折見せるようになったものだ。
その理由をジョットは知っていたけれど、それ以上はどうすることも出来なかった。

「私はあなたの守護者です。あなたも…あなたの創ったボンゴレも守りたい。でも、それがあなたのせいで叶わないのです」
「……」
「ねえ、どうすればいいのですか?どうしたら、あなたは傷付かずに済みますか?どうしたら、私はあなたを守ってあげられますか?」

痛嘆するようなスペードの言葉が、夜の闇に淡く溶けて消える。
暫しの沈黙の後、ジョットが静かに口を開いた。

「オレも、ボンゴレファミリーも、一方的に守ってもらう必要は無い。互いに助け合っていけばいいんだ」
「その結果がこれではないですか。このままでは、いつかきっと全てを失ってしまいます」
「そうならないように努力している」
「ほう、努力?私の提言も聞くこともせず、全く力を持とうとしないあなたは、一体どんな努力をなさっているのでしょうね?」
「……」

苛立ちを隠そうともしないスペードにジョットが押し黙る。
何も言い返してこないジョットに不快そうに眉を寄せ、スペードは低く呻いた。

「私は奪う力を持てと言っている訳ではありません。なのに、何故それを分かって下さらないのですか」
「デイモン…」
「ボンゴレにもっと力があれば、あなたの大切な親友であるシモン・コザァートも守れたかもしれませんね」

皮肉交じりにそう告げれば、ジョットの肩が僅かに跳ねる。
悲しそうに眉が下げられるのを見て、スペードの苛立ちが増した。
乱暴に髪を掻き上げて、白に沈む金色を見下す。

「私からあなたと、あなたの創ったボンゴレを奪うことは許しません。……例えそれがあなた自身であってもです」

海の瞳が決意を湛え、闇の中で鈍く光った。
その輝きにジョットの表情が切なげに歪む。
何かを耐えるように一度ゆっくりと瞬きをしてから、ジョットは自分を見下ろす男を見上げた。

「……デイモンは遠いな」

そっと手を伸ばし、スペードの指先に触れる。
冷たいそれは、こんな時でも心地良かった。

「お互い様です」

スペードがジョットの指に自分のものを絡め、緩く握る。
溜息混じりに吐き出された言葉には、多分に諦めが入っていた。
それに苦笑を返して、ジョットもスペードの手を握り返す。

「オレもお前のように強かったら、お前にこんな思いをさせないで済んだのだろうな」
「なら、今から強くなればいいのです」
「無理だな。知っての通りオレは軟弱な弱虫なんだ」
「ンー、軟弱かどうかは甚だ疑問ですね。あなた程頑固な人間には出会ったことがありません」
「お前に対してだけだよ」
「嬉しくない特別扱いですね」

クスクスと笑うジョットに呆れたような視線を向けて、スペードが短く息を吐いた。
繋いだままの手をやんわりと解いて、布団の中へ丁寧に戻してやる。

「さあ、怪我人はそろそろお休みになってください」
「もう少しくらいいいだろうに…」

ブーイングでもやりだしそうにジョットが唇を尖らせた。
それに綺麗な作り笑いを浮かべて、スペードが猫撫で声で返す。

「今は我慢なさって、怪我を治すことに専念してください。その傷が治ったら、またいくらでもお相手致しますから」
「嘘だ」
「ヌフフ、私はあなたに嘘をついたりなどしませんよ」
「自己言及のパラドックスって知っているか?」
「ンー、厳しいですねえ」

言いながらスペードが踵を返した。
そのまま扉へと歩いていく後ろ姿を、ジョットはぼんやりと眺める。
疲れたのか、まだ麻酔が効いているのか、ジョットはすぐにウトウトとしだした。
半分ほど瞼を瞳に被せながら、スペードがドアノブを握る音をジョットは何処か遠くの音のように聞く。

「でーもん」

夢現のジョットには舌足らずになってしまった発音を気にしている余裕は無かった。
スペードも大して気にしていないのか、呼び掛けに優雅に振り返ってみせる。

「なんでしょう?」
「オレは、お前と支え合いたい。足りないものは、お互いに埋め合えばいいんだ」

静かに紡がれる言葉は、ジョットらしからぬ切実さが込められているようだった。
その言葉を聞いてスペードは、ほんの少し悲しそうに目を伏せた。

「……私を支える必要などありません。私の足りないものを埋める必要もありません。けれど、私はあなたを支えますし、あなたに足りないものを埋めもします」

スペードが視線を自分の足元に落とす。
暗がりに沈んだ足先は、闇に慣れた目でもはっきりとは見えなかった。

「あなたは、何も心配せずとも良いのです。私があなたを全ての事から守ってあげます。あなたが力を拒絶するなら、それからも守ってあげたって構わない」

ドアノブを握る手に力が篭る。
気を抜くと、ゾッとするような使命感に飲み込まれてしまいそうだった。

「だって、私はあなたを守護する剣なのですから」

そう言い残してスペードは、今度こそ部屋を出た。
段々と遠ざかっていく足音と一緒に、ジョットの意識も薄れる。
意識が途切れる直前に、たったひとりで戦い続ける愛しい人の姿を直感した。



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