コドモの事情



夏から秋に変わるくらいのことだった。
「綱吉くん、毎日楽しいですか?」
「……は?」
唐突な質問に綱吉は間抜けな声を出した。陽が傾き始め、少しずつ暗くなっていく時間帯だったように綱吉は記憶している。
「フツーに生活してて。朝起きてトイレ済ませて朝食食べて歯を磨いて着替えて順番はまあ人それぞれなんでしょうけどそれから学校行って授業受けて」
このままでは生活パターンを丸1日分事細かに説明されかねない。綱吉は焦った。骸の様子がおかしいと超直感が訴えている。
「うん、もういいよお前の言いたい事は分かったから。オレは楽しいよ? 毎日学校行ってー、山本や獄寺くんと喋ってー、こうやって放課後は骸と過ごしたりして。母さんがあったかい食事作ってくれて、ランボがリボーンに一方的に突っ掛かったりとかさ、ああ、平和だなって思う。そういうの、楽しいけど。……骸は? 楽しくないの?」
「僕だって楽しいとは思います。だけど、何か違和感を感じるんですよ」
骸の歯切れの悪い言い方に何処となく深刻さを感じた。ただ抽象的過ぎて、その前に言葉の意味がよく分からなくて、上手く話が呑み込めなかった。
「イワカン? なんかおかしいなーっていうアレ?」
「君の言うアレが何だかはよく分かりませんけど恐らくソレです。ふとした時に感じるんです」
「どんな感じ?」
「例えば、僕は何してるんだろうとか。ふと頭を過るんですよ。そうするとね、色々な物に違和感を感じ始めるんです。周りの人にまで違和感を感じてしまう。今あそこで笑ってるあの人は何も感じないのかって。そうやってどんどん違和感だけが膨らんで、頭の中がそれだけになっちゃうんです」
「………む、難しいね……」
「頭の中も周りの景色も違和感だらけ。ノートに書いてる字を見ると何だか文字が文字に見えないような気がしてくるくらい」
「それじゃあ何も出来なくなっちゃうじゃん! 文字も読めないってかなりヤバイんじゃ……」
「気がするってだけですよ。ただ、変な形に見えてくるんです。どうしてこんな線の組み合わせを読めるんだろうって、思いません? ……君は無いですよね、バカですし」
苦しい胸の内を吐露している割に、骸は淡々としていた。人をからかっているのに表情も変わらない上に、口調も平坦だ。
「う、うっさいわ! ……いや確かにあんまりそういう事って思わないけど。ね、イワカン感じる時ってさ、やっぱ苦しいの?」
「苦しいですよ。何もかもに違和感を感じるんですよ? つまりこの世の事象や自分の存在を否定するようなものですから。答えの無い疑問でいっぱいなんです。何故? どうして僕だけ? ってね」
「答え、出ないもんな……。他の事考え始めたりするのは? ちょっと意識を逸らしてみるとか」
「上手く全然別の事に意識を集中させれば大丈夫ですけど。人間なんて所詮そんなもんですし」
「あっ、じゃ、じゃあさ! その………えーと、あの……」
「なんです、ハッキリ言って下さいよ」
急に顔を赤くしてもじもじとし出した態度に骸が訝しげな視線を送る。
「……っ、そういう時はさ、その、オ、オレの事だけ考えてろよ!!」
もじもじから一転、突然顔を上げる。大胆告白に近い。普段から奥手で照れ屋な彼にしては珍しいことで、骸も流石に驚いたらしかった。目を丸くして、頬を赤らめている。
「な、何言ってるんですか……」
「だって……そんなに苦しいならオレの事だけ考えて、イワカン感じてる事なんて忘れちゃえばいいだろ? お前の苦しそうな顔、見たくないよ……」
泣きそうな声をしていた。一歩進んで、強く抱き締める。きちんと骸の体温が伝わってきたことに密かに安堵した。
「むくろ。オレの事、好き?」
「好きですよ。愛してます」
間髪入れずに答える。これだけは譲れなかった。
「じゃあ、さ、オレを愛してる事とかにイワカン感じたりはしないの?」
「……考えた事も無かったです」
「それって――」
「紛れもなく、君を愛してますよ。大丈夫です。綱吉くんがいればきっと、違和感だらけでも生きていける」
骸は口元だけで微笑んだ。儚い微笑みだった。
(笑顔じゃ、ないんだよな)
綱吉が見たことのある表情と言ったら無表情か微笑、苦しそうな顔くらいだった。満面の笑みだけは見たことがない。
「嬉しいけど、恥ずかしいよ、それ……」
「先に恥ずかしい事言ったのは君でしょうが」
「そうだけど!」
「…ありがとうございます、つなよしくん」
ぎゅ、と抱き返す手に力が籠もる。骸に触れている時が一番幸せだと思う。体温、心臓の拍動、呼吸による胸の上下――骸が生きていることを感じられるからだ。
「むくろ」
「何ですか?」
「あんまりムズカシイ事ばっか考えんなよ? 眉間に皺寄せんの、癖だろ」
知ってるんだよ、小さな声で綱吉が呟く。踵を上げて背伸びして、指先でそっと撫でてやる。
「そうですかね。意識してないんでよく分かりませんが」
「さっきイワカン感じるんですって言ってた時とかもずっとそうだった。そーゆー時って何かこう、放っておくと急に………」
急に何処かへ消えてしまいそうで怖い、そう言いたかったが、最後まで言うことは出来なかった。口にしたら本当に消えてしまうんじゃないかという不安に襲われたからだった。
「急に、何です?」
「ん、やっぱ何でもない……折角の顔が勿体ないよ」
濁して、そっと骸の頬に手を添える。血の気を感じさせない白磁器のような肌に、紅と蒼の硝子玉のような双眸。六道骸という少年は少しの衝撃ですぐに壊れてしまいそうな、そんな脆さと儚さを併せ持っているような気がしてならなかった。今のような、難解で答えの無い事を考えている時の骸は本当に、ほんの少し触れただけで壊れてしまいそうだった。



数日後、六道骸は忽然と姿を消した。彼は黒曜ランドに程近い森の中で、木に寄り掛かった姿で発見された。失踪した彼を捜索中のことだった。
ずっと睡眠障害に悩まされていた彼は、精神科へ行って――正しくは綱吉たちに行かされて――睡眠導入剤を処方されていた。今ある分を飲めるだけ飲んだらしかった。キャップの空いた飲料水のペットボトルと薬の残骸が象徴的だった。
「骸様?!」
「骸!」
彼はホッとしたような表情で目を瞑り、動かない。慌てて綱吉が顔を近付けると呼吸はしていた。
「息してる。大丈夫そうだよ、クローム」
「そう………良かった……」
安堵の表情を浮かべ、少女がその場にへたり込む。綱吉も思わず骸の胸に凭れ掛かった。呼吸も聞こえるし、心臓が拍動する音も聞こえている。
「骸、起きろ。骸!」
体を揺すっても彼は静かな寝息を立てるだけで全く目を覚ます気配がない。だがここに寝かせておくわけにもいかないので、綱吉は死ぬ気丸を取り出した。
「クローム。オレが連れて行くから、先に行って犬さんたちに知らせておいてくれないかな?」
「分かったわ、ボス」
クロームが森の外へ向かって歩きだす。綱吉はハイパー化して骸を横抱きにする。昏々と眠り続ける彼は、苦しいと告白したあの日から少しやつれたように見えた。
初秋の風に吹かれながら黒曜ランドまで運べば3人が今か今かと待ち構えていた。犬と千種は些か動揺していた様子だった。こんな2人は初めて見た、そう思いながら骸をベッドに寝かせる。いつもより血の気の失せた顔がそこにあった。
「ODしなくちゃいけないくらい、苦しかったのか?」
綱吉は骸の頬を指先でなぞりながら力になれないことを悔やんだ。相談されたとして解決策を与えられないことは分かっていたが、それでも悔しかった。
(一緒に考えることくらいならオレでも出来るのに)
ベッドの脇に椅子を置いて頬杖を突きつつ骸の寝顔をじっと眺めていたら、犬がやって来て骸の様子を聞いて板チョコを1枚置いて行った。その30分後くらいには千種がやって来て、今時の睡眠薬は過剰摂取しても死には至らないが、意識の混濁や記憶障害が起きるかも知れないと教えてくれた。そのまた30分後くらいにはクロームが来た。
「私たちならいつでもいられるから……骸様の目が覚めた時にはボスが一緒にいてあげて」
彼女はそう言った。綱吉がそれなら皆で、と言っても彼女はかぶりを振るだけだった。
「ボスにしか出来ない事もあると思うから。お願い」
「……分かった。クロームがそう言うなら」
「ありがとう」
小さく微笑んで会釈をするとクロームは部屋を出て行った。
「…愛されてるんだな、骸」
静かに語り掛ける。返事は無い。サラサラした濃藍の髪を手慰みにする。指の間から滑り落ちていく様は見ていて切なかった。
「愛されてるお前が好きだよ」
(愛があってもどうしようもないの時もあるのは分かってるんだけど)
愛だけでどうにかなっていたらこんな状態になんて、そんな事をぼんやり考えていると、ふと目の前で長い睫毛が揺れた。
「骸!」
思わず立ち上がって名前を呼ぶ。上ずった声が出た。椅子が倒れようがお構い無しだ。
「ん………つ、な……?」
「目、覚めた? 気分悪くない?」
「…だいじょうぶ、です」
そんな弱々しい笑顔で何を言う、そう思いはしたが、気丈に振る舞うだけの気力があると分かって少しホッとした。倒された可哀想な椅子を戻し、きちんと座り直す。
「どうしてあんなに薬飲んだのか、聞いてもいい?」
「………死ぬつもりはなかったんです。でも、不意に何かから逃げたくなって、薬を持ち出して誰もいない森へ行きました」
「うん」
淡々と語り出す。強がりでなく、不安と安堵の入り交じったような声色。少なからず感情の籠もった口調だった。
「僕は元々薬が効きにくい体質なんです。だから手当たり次第に飲んで、気付いたら意識を失っていました」
「…うん」
「目が覚めたら君がいた。とても安心しました」
「……心配したんだよ。生きてて良かった、本当に」
感極まって、仰向けの骸にぎゅうぎゅうと抱きつく。骸も力の抜けた腕で愛おしそうに抱き返す。泣きそうな顔をする彼の頭を、背中を撫でると子どもらしい体温を感じられた。
「綱吉くん、温かい。まだ泣けないし上手く笑えません。きっと違和感は死ぬまで拭えないと思います。また今日みたいなことになるかも」
「いいよ。怖くなったらオレが話を聞いてあげるから。一緒に答えを探せばいいんじゃない?」

きっと、本当の答えなんて出ないけれど。
いくら時間が掛かろうとも、あなたが心から笑えるようになるまで、幸せを感じられるようになるまで、死ぬまで、共に歩んで行くから。


答 え な ん て 、

(きっと存在しない)


12.6.9
Buon Compleanno, 骸!
誕生日にちっとも擦ってない…

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