それは、とある日曜の朝。
「起きて下さい、綱吉くん」
カーテンが開き、陽光が降り注ぐベッドの上。
「ん……もうちょい寝かせて……」


blind summer fish


「全く、何度『もうちょい』を繰り返せば気が済むんですか」
1つ、溜息を吐く。それから骸はぬくぬくと綱吉が包まっている布団の端に手を掛け、勢い良くひっぺがした。
「朝ですよ! いい加減起きなさい!」
「あー!」
布団を剥がされて綱吉が至極残念そうな声を上げる。しかしおかげで目は覚めたようだった。
「あーじゃありません。朝食が冷めちゃいますよ」
「日曜日くらいゆっくり寝かせてくれよ! 昨日だって夜遅かったんだから!」
「ほーお? あくまでそれを言い訳にしますか誘ったのは君の方だと言うのに! 『明日起きられなくなっても知りませんよ』と警告までしてあげたのに!」
「骸だってやる気満々だったじゃん!」
「ではお訊きしますが気持ち良くて僕にヨガっていたのはどちらですかぁ? 君ですよねぇ」
「う……」
綱吉は言葉に詰まった。骸の言うことは全て紛うことなき真実であるからだ。しかもあまり蒸し返して欲しくは、ない。昔から口喧嘩で勝てた試しが無かった。
「クフフ、分かりましたら朝ごはん、食べましょう?」
「……わかったよ」
「じゃあ僕は先に行ってます」
大あくびをして、昨晩も愛の営みに使ったばかりのベッドから降りる。綱吉は辛うじてワイシャツだけ纏っていた。

「今朝はね、ピザトーストを作ってみたんですよ」
「おー、美味しそう! いただきまーす」
綱吉は料理が壊滅的だった。包丁は使えない、卵は割れない、火を使えば必ず焦がす。骸と同棲するようになり2人で何度も訓練したが成果は得られず、結局料理は全て骸が担っていた。骸は綱吉とは正反対で、何でもそつなくこなしてしまう。料理の腕は主婦並み、もしかしたらそれ以上かもしれない。
「どうですか?」
骸の料理が不味いことはまず無いのでそう心配そうに訊ねる必要も無いのでは、そう思いつつ一口、また一口と口にする。綱吉の目が輝いた。
「ウマい! オレ、ピーマン嫌いだけどこれなら食える!」
「それは良かった。いつまで経っても子供舌なんですから」
綱吉の反応を見てから自分も厚いトーストに齧りつき、コーヒーを飲む。機嫌が良さそうだった。
「これ食べたらシーツ洗濯しましょう。今日はいい天気なので布団も干しましょうね」
「ん、そうだね。あとは? 何すんの?」
「掃除でもしましょうか。夕飯は何が食べたいですか? それ次第で午後買い物行くか決めるんで」
こうして骸と同棲を始めて2年とちょっとが経つ。家庭教師に頼み込んで(彼は母親以上に強い決定権を持っていた)やっと同棲が許されたのが綱吉の高校卒業後のこと。2人で試行錯誤しながら家事を分担して来たが、骸の主婦スキルは年々アップしている。何処へ嫁に出しても――無論、嫁に出す気など更々無いが――恥ずかしくないぐらいだ。
(何でも出来るヤツって逆に怖い……)
もぐもぐしながらそんな事を考える。結局今日1日の予定を骸が簡単に説明する間に綱吉はぺろりとトースト1枚を平らげた。「お代わり!」

「君ってホント馬鹿ですよね。バ可愛いというか」
「んなっ!」
「あのタイミングでお代わり! だなんて何処の小学生ですか。くふっ」
骸は先程の綱吉の場違いな発言をネタにしているのだった。相当ツボだったらしい。
「う、うっさいなぁ! 1枚じゃ足りなかったんだから……」
「別にいいですけど。ばかわいかったですし」
「ばかわいいとか全然褒めてないから! いーから布団干して来いって!」
「はいはい」
まだ笑っている骸の背中を押して逃げるように洗濯機へ向かう。洗いあがった洗濯物はカゴに入れ、昨夜の行為で汚れたシーツを放り込む。ピピピ、と慣れた手でスイッチを押して、カゴを抱えて布団を干す骸の元へと駆けて行った。
「ああ、お帰りなさい」
「ただいま。うわ、絶好の洗濯日和だな」
「ですね。日差しが強くて焼けちゃいそうですから早く干してしまいましょう」
日は照り、蝉が姦しいぐらいに鳴いている。ふと、せっせと洗濯物を干す傍らで、カゴの横でしゃがんだままぼうっとしている骸に気付いた。
「骸? 貧血でも起こした?」
あとはやっておくから、そう綱吉が言おうとする前に骸がぼそっと呟いた。
「………綱吉くんのパンツ……」
「……………なっ」
5秒程かけてやっと骸の言葉を理解して、むくむくと殺意が湧きあがってくるのを感じた。取り敢えず手元にあったハンガーでしっかり殴っておいた。

「何もハンガーで殴ることないじゃないですか……」
「骸が悪い」
殴られた箇所をさする。別にそこまで痛くはなかったが、綱吉の態度が引っ掛かった。
「ねぇ怒ってるんですか」
「怒ってない。いい年してお前が人の下着に反応した事に呆れただけだ」
「怒ってるじゃないですか。あれは思った事を言っただけです」
「だからって言っていい事と悪い事があるだろ」
「ごめんなさい。謝りますからもう怒らないで下さいよ」
甘えるような声を出して綱吉に体をすり寄せる。拒否されなかったので骸はそのまま抱きついた。
「怒ってないから……」
「ごめんなさい、つなよしくん。大好きです。愛してます。だから嫌いにならないでください」
こういう時の骸は必死だ。綱吉に愛されないこと、嫌われること、捨てられることを何よりも恐れる骸は機嫌を取ろうと好きだ、愛してる、などの言葉を連発したりあちこちにキスの雨を降らせたりする。
(もう慣れたけど、)
不安で仕方ない気持ちになっているのは綱吉も分かっている。だから黙って好きなようにさせているのだった。ずっと言っている通り、怒ってなどいないのだから。
(情緒不安定は中々収まらないんだな)
出逢った頃と比べたら随分落ち着いたものの、骸の精神的な不安定さは残っている。こうして同棲しているのは愛してるから一緒にいたいというのが大きな理由だったが、いつも傍にいる事で、少しでも骸の不安を取り除いてやりたかった。
「骸、」優しく名前を呼ぶとびく、と肩を揺らす。
「大丈夫、オレも愛してるし嫌いになんてならないよ。それに怒ってないから。な?」
出来るだけ穏やかに、安心させるように言う。大きな子供をあやしている気分だった。
「殴ったオレが悪かったから」
骸の頬に手を伸ばす。首に腕を回して啄むだけのキスを贈る。
「いいえ、僕も悪かったです。もっとしっかりしなきゃダメですね」
「いいんだよ、そのままで。そのままの骸で十分だから」
「………ありがとうございます。もうちょっとだけこのままでいさせてくれませんか?」
「うん」
互いの体温を、鼓動を、確かめるように静かに抱き合って、蝉の声は、最早彼らには届かない。言葉は要らなくて、心臓が拍動を刻む音だけで十分で、
(ああ、幸せだ)
何物にも変えがたい幸福なひとときを過ごすのだった。



「それじゃあ夕食の買い出しとか色々行って来ますね。3時頃になったら布団、取り込んでおいて下さい」
「うん」
「何かあったら早めにメールするんですよ」
「うん」
「変な人が来ても無視していいですから」
「骸は心配性だなあ。いいから買い物行って来い」
「行って来ます、綱吉くん」
玄関先で短い挨拶のキスを交わして骸は炎天下の外へと出ていった。
あの後、午前中からイチャイチャした挙げ句、その勢いでソファーで1回盛ってしまった。ゆっくりと、熱を確かめるように交わって、あとはずっと他愛ない話で盛り上がって午前を過ごした。骸の情緒不安定は一先ず落ち着いたようでホッとした。
「しっかし暑いなあ。何もこんな時間に買い物行くことないのに」
ぶつぶつ言いながら居間に戻る。1日で最も暑くなる3時前後は避け、更にそれ以降は夕立の可能性があるので行きたくないらしい。
骸が帰って来るまでゲームでもして過ごす事にした。大人になった今でもやめられず、休日は特に骸にいい加減終わりにしなさいと言われるまでやっていたりする。たまに母みたいだと錯覚する事すらある。
「今日こそラスボス倒して骸に自慢してやる」
最近ずっと手こずっているラスボスを3時までに倒す、と決意して綱吉はゲームに没頭し始めた。

「………っしゃー!」
綱吉以外誰もいない家の中に勝利の雄叫びが響いた。
「とうとう倒したぞ! うわっ、超ドキドキした! 早く骸に自慢したい!」
時計がまだ3時を指していない事に満面の笑みでガッツポーズ。
「キリついたから布団入れなきゃな」
ゲームの主題歌を口ずさみながら布団を抱える。シーツを敷いていないベッドに置くわけにもいかないので、取り敢えず和室に取り込んでおいた。
「ん〜っ、太陽のいい匂い!」
温かい布団に顔を埋め、思い切り太陽の香りを満喫する。温もりは最愛の人を彷彿とさせて、綱吉は頬を緩めた。骸の体温を思わせるそれを両腕で抱き抱えて目を閉じると眠気に襲われた。
「骸はまだ帰って来ないみたいだし、寝ちゃおうかな。日曜日の午後ってなんか眠くなるんだよなあ……」
1つ大あくびをして、綱吉は夢の世界へと誘われて行った。

「帰りましたー。綱吉くん?」
綱吉が眠りに就いてから10分と経たないうちに骸は帰宅した。返事すら無いことに内心驚く。名前を呼びながら部屋を見渡せば、綱吉は和室ですっかり眠り込んでいた。
「……寝て、る?」
近付いても起きる気配が無い。しゃがんで綱吉の髪を指先で梳く。
「無防備な寝顔ですね。全く、寝込みを襲われたいんですか」
気持ちよさそうに眠る子供のような寝顔に目を細める。髪を梳く手を止め、ごろんと自分も横になった。
「僕も少し寝ましょうかね……」
目を瞑れば綱吉の体温と呼吸が感じられる。これが幸せというものなのか。腕を枕にして幸福に浸りながら眠りに就いた。



むくり。先に目を覚ましたのは綱吉だった。まだ夏の夕方6時だと言うのに部屋が暗い。そして寝呆け眼ですぐ隣で眠る恋人を見つめる。
「いつの間に……って、え?」
カーテンが開いたままの窓の外が一瞬光る。雷だ。数秒後には耳を劈くような音がした。漸く事態を理解した綱吉は慌てて骸を叩き起こした。
「骸! 起きろよ骸! 夕立来てンだけど!!」
「……おはようございます……」
「寝呆けてる場合か! 洗濯物取り込まないと!」
「………。今何て」
「ゆ、う、だ、ち!」
聞くや否や、目を瞠る程の勢いで骸は跳ね起きた。
「何でもっと早く起こしてくれなかったんですか! 濡れるじゃないですか!」
「オレだって今起きたばっかりなの! 骸が横で寝てるなんて思わなかったし!」
2人分で量が少なかったのが幸いして、それほど濡れないうちに何とか避難させる事が出来た。外は蝉より喧しかった。
「ふぅ、ヤバかったー!」
「本当ですよ。全く……」
安堵の溜息を漏らして、顔を見合わせる。可笑しくなって思わず笑みが零れた。
「懐かしいな。昔よく母さんが布団干してくれて、それを掛けて寝るのが好きだったんだ。太陽の香りってホッとするんだよなあ」
「そういうものなんですか?」
些か不思議そうな目で綱吉を見る。今までそんな風に感じた事が無かった。
「そうだよ。オレ達は太陽が無いと生きて行けないんだから」
「それはまあ、そうですけど」
「太陽ってすごいな」
「くふふ、そうですねー」
ごろんと、さっきまで寝ていた布団の上に転がる。綱吉も真似る。布団が潰れようと最早関係無かった。
「……もっかい、寝ちゃおっか」
「ちょっとだけですよ」
もぞもぞと体を近くに寄せる。顔を見合わせて笑い合って、2人は多福感の中で目を閉じた。

君がいる。
それだけで今日をまた生きていける。


11.8.25.
タイトルは坂/本/真/綾さんの同じタイトルの曲からいただきました。
14.10.1 昔書いたものの再録。


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