星のない世界 | ナノ






【3】

「これでよし───と。一番短かったところに合わせたのでショートになってしまいましたね」
大気が鏡越しにマーキュリーを見つめて言うと、彼女はこくんと頷いた。
「こんなに短かったことがないからちょっと変な感じがする」
マーキュリーは短くなった後ろ髪を触ってくすぐったそうに肩をすくめた。

「エクソシストの人、髪切るの上手」
「大気です」
「……」
頑なに自分の名前を呼びたがらないマーキュリーに大気は苦笑する。
「さて、貴女はお風呂に入って来てください」
「……着替えがない…から…いい…」
「あ…そうでしたね…。うーん…ではちょっとだけ待っててください」
大気が言い残し部屋を後にする。

(エクソシストの人…この大きな家にひとりで住んでるのかな…)
マーキュリーは寝かされていた部屋から食卓のあった場所と、髪を切るために連れて来られた洗面室の三部屋しか移動していないがなかなかの広さがあった。

ちなみに今は食卓のある部屋へと戻っている。
マーキュリーはじっと鏡を見つめ、すっかり短くなってしまった髪にそっと触れる。

昨夜、逃げるために自分で断ち切るまでは腰より下まで長かった碧い髪はすっかり短くなってしまった。
(首がスースーしてくすぐったい)
マーキュリーは落ち着かずそわそわしてしまう。

(ん?あれは)
キョロキョロと視線を彷徨わせていたマーキュリーはあるところで視線を止める。
さっきは余裕がなくてまったく気が付かなかったが、部屋の隅に背の低い本棚がありぎっしりと本が詰められているのを発見した。
(勝手に読んでもいい…かな?)
もしかすると大切な本かもしれないし、人には見せてはいけない本があるかもしれない。と、思ったがよくよく考えればそんな本は自分の部屋に仕舞いこむのが世の常というものだ。

捻挫した左足に負担を与えないようにと、マーキュリーは片足でトントンと跳ねながら本棚の前に移動する。
(“エクソシスト”について分かる本があったりしないかな?)
背表紙を見てもそれらしい本はない。
(そもそもあの人がもうエクソシストなんだからわざわざそんな本置いてあるわけ無いか……)
少し残念に思いながら適当に目の前にあった本を抜き取る。
(自然魔術論?“ニンゲン”でも魔術に興味あるのね)
パラパラとめくって流し読みするが、すでに学校で習ったことであったため特に興味をひかれる事はなかった。
本棚に仕舞い、違う本を取り出す。
(こっちは魔術構築論に、物理魔術式の仕組み)
どうやらあのエクソシストは魔術に興味があるようだ。

(昨日あのエクソシストの人は“火”の魔術を使ってた…あれは基礎を応用した程度のもの…“水”を得意とするあたしでもあれくらい出来る)
なかなかの素早さと術の正確さではあったが、あの程度なら“魔力”を持ち、なおかつ学校で学んだ者なら誰でも出来る。
あの程度の短い対峙で相手の力量を図れるはずはないが……。

(そう言えばあの人、なんであたしを自分の家になんか連れてきたのかしら…『貴女のことが欲しくなったからですよ』とか言ってたけど……どういう意味?)
それにエクソシストは“魔力”のある者を殺すことを目的としていないと言っていたが……。
自分の読んだ文献にはそんな事は書かれていなかったのだ…。

「何か面白い本はありましたか?」
「ひゃぁっ!」
「おっと」
背後から聞こえた声に驚いてバランスを崩し倒れそうになった身体と、落としかけた本を大きな手で支えられた。
「すみません。驚かせるつもりはなかったんですが…大丈夫ですか?」
「う、あ…へ、平気…っ。ありがとう、ございます」
「いえ。倒れて怪我が増えてもいけませんし、こんな分厚い本を足の上に落としたら大変ですからね。マーキュリーは本に興味があるんですか?」
「エクソシストの人は魔術に興味があるの?」
「大気です」
「……」
「マーキュリーは魔術をどう考えますか?」
「え?」
マーキュリーは目をぱちくりさせる。

(どう…って言われても…)
“魔女”も“魔術師”も産まれた時から“魔力”を持っていて、魔術系統は資質のようだ。
幼少期は大人に、学校に行きだせば教師から術の使い方や理論などを一般教養と共に学ぶ。
そして原則的には“火”“水”“土”“風”の基礎魔術中の基礎の基礎の術を使えない者はいない。
徹底的に基礎魔術を叩き込まれる。

“火”と“風”、“水”と“土”は『結託魔術』と言われ相性がいいので誰でも系統魔術と抱き合わせですぐに習得できるのだが…。
“火”と“水”、“風”と“土”は『対抗魔術』と呼ばれ相性が悪く、習得に苦労する者が少なくない。
友人の少女達も対抗魔術には苦労していたし、かく言うマーキュリーも自身の“水”と相性の悪い“火”の魔術には苦労した。
理論を組み立てられてもうまくいかないこともあるのだと痛感した。

「マーキュリー?」
「え?」
「すみません。そこまで悩ませてしまうとは思っていなくて」
「う、ううん。違うの…ごめんなさい…あんまり考えたことなくて…」
「そうですよね。貴女には産まれた時からあるものでしたね」
「うん。ごめんなさい…」
「いえ、私こそすみません」
大気はうつむくマーキュリーの手からそっと本を抜き取り本棚に戻す。

「話が変わりますが」
「?」
「もうすぐ着替えが届くのでお風呂はもう少し待ってください」
「え?」
「さきほど知り合いの方に着替えを持ってきてくれるようにと連絡をしました」
「……っ」
大気の言葉にマーキュリーが息をのむ。

「大丈夫です。安心してください」
変化に気付いた大気はマーキュリーと視線を合わせるが彼女はふいと視線を逸らせる。
「っ」
「その方は“魔術師”と暮らしてるんですよ」
「え?」
「言ったでしょう?“みんなが貴女達のことを化け物や異端だと思っているわけでは無い”と」
「…うん。分かった」
マーキュリーは大気を見てこくりと頷く。



それから30分ほどで来客を知らせるベルが鳴った。
「おはようございます、神父様。頼まれた物持ってきたよ」
「おはようございます。朝からわざわざすみません」
「いやいや、お安いご用だよ。しっかしまさか神父様が“魔女”を連れ込むとはねぇ」
「人聞きの悪い言い方をしないでください」
「それで、その魔女の子はどこに?」
「広間にいますよ」

(どうしよう…)
“魔力”を持つ者の聴覚は“ニンゲン”のそれより勝る。
玄関での会話が聞こえたマーキュリーは思わず隠れたくなった。
それはただ彼女が人見知りが激しいからだ。
事実、捻挫していなければとっさに隠れただろうと自分で思った。

───コンコン

「っ!?」
ノックの音にマーキュリーの身体が強張る。
“魔術師”と暮らしている人だと分かっていても緊張する。

───ガチャリ

開いた扉の向こうには大気とクセのある茶色の髪をポニーテールにまとめた背の高い女性がいた。

「こんにちは。いや、まだおはようございます…だね」
「…っ、おはよう、ございま…す」
「うん。ホントに“魔女”だね。とても綺麗な“ブルーアイズ”だ」
そう言って彼女は自分を見つめるマーキュリーに優しい笑顔を見せる。

「はじめまして。あたしは街でパン屋をしてる“まこと”って言うんだ」
「……っ」
「ありゃ?怖がらせちゃったかな?うーん…」
「その子の名前は“マーキュリー”です。昨日の今日なのでまだ…」
大気が言うとまことは「そうだろうね」と納得したようで、座っているマーキュリーに視線を合わせる。
「ごめんね、たくさんの人に追いかけられて───怖かったよね」
優しい声で言うと、そっと小さな身体を抱きしめた。
「っ!?」
マーキュリーの身体が強張ったのが、抱きしめているまことはもちろん、傍目で見ている大気にも分かった。
「もう、大丈夫だよ。神父様のそばにいれば何も心配はいらないからね」
「……っ」
「まぁ、いきなりそんな事言われてもすぐには信用出来ないか」
まことは困ったようにくすりと笑って、マーキュリーの碧い髪を撫でる。

「今はマーキュリーの着替えを持ってきただけですぐにお店に戻らないといけないんだけどさ。
夜にでもあたしと一緒に暮らしてる“魔術師”も連れてくるよ。ね?」
「……はい」
「あはは、良かった。色々と聞きたい事があるかもしれないけどさ。詳しい話は夜にして今はお風呂であったまるんだよ」
マーキュリーはこくんと頷く。
「じゃあ、あたしは街に戻るよ。神父様、また夜に来てもいいかな?」
「えぇ。お願いします」
「うん。じゃあまたね」
そう言って立ち上がろうとするまことにマーキュリーはパッと顔を上げる。
「あ、あの…」
「うん?」
「あ、ありがとうございます…着替え…とか…」
「どういたしまして」
まことはマーキュリーに優しく微笑んでから大気に「それじゃあ、また夜にお邪魔するよ」と、言い残し帰って行った。



「……」
マーキュリーはちゃぷんと揺れる水面を見つめる。
(あの人はどうして“魔術師”と暮らしてるんだろう…)
夜になれば“魔術師”と一緒に来ると言っていたので、大気からも何も聞いていないし、“魔術師”と暮らしているということが嘘だとは思っていない。
かすかだが彼女に“魔力”の気配を感じた。
おそらく彼女と暮らしている“魔術師”が、なんらかの保護魔術を彼女にかけていたのだろうと推測した。
「“ニンゲン”……か…」
みんなが自分達の事を怖がっているのかと思っていたのに───確かに昨夜追いかけられた時にはそうだったが───大気とまことは“魔女”の自分に優しい言葉をくれた。
(二人とも変な“ニンゲン”なだけかもしれないけれど…)
ほんの少し───本当に少しだけ、あのエクソシストを信じてみてもいいかもしれないと、マーキュリーは思った。



「あぁ、ぴったりですね」
「……」
お風呂から上がったマーキュリーが着込んだワンピース姿を見て笑顔を見せる。
「ここに座ってください。髪を乾かしてから捻挫した足を見せてください」
「別にいい」
ふいと視線を逸らせるマーキュリーに大気は苦笑する。
「まぁ、そう言わずに、ね?」
「…………」
マーキュリーが渋々ながらも椅子に座ると、大気が手にしたある物に不審そうな表情を見せる。

この世界の電力供給は風力ならびに水力である。
“ニンゲン”と“魔力”を持つ者が一緒に暮らしていた頃は彼らの力を具現化した“魔石”を動力源としていたらしいが…
今のニンゲンにはほとんど無縁と言ってもいい。

「それは…一体なに?」
「風熱機です」
「ふうねつ…き?」
「こうすると」
大気がカチリとボタンをスライドさせると、ややうるさいと感じる音を風熱機が発する。
大気は一度風熱機を止める。
「このように温かい風が出るので、それで髪を乾かします」
「……本当に乾くの?」
「乾きますよ」
「…本当に?」
「どうしてそんなに疑うんですか?」
「だって今までそんなの見たことない」
「じゃあ貴女達はどうやって髪を乾かすんですか?」
「火とか風の魔力を持ってる人は自分で乾かしたりしてるみたいだけど」
「マーキュリーは水でしょう?」
「うん。でも暖炉の前に座って本を読んでいればいつの間にか乾いてるから」
この言葉に大気はギョッとする。
「冬だと風邪を引きますよ」
「髪を乾かさなかった事が原因で風邪を引いた事は一度もないから大丈夫」
「……」
大気はマーキュリーが起きた時の会話と今の会話を総合してある結論に至る。

(もしかして…あまり自分の身なりに興味がない?)
『髪は女の命』と言う名言があるのに、マーキュリーは髪が短くなった事に対しても特に気にしない様子だった。
逃げるために止むを得ず自ら断ち切ったとは言え…以前の長さを知らない大気の方が短くしてしまう事に少しためらうような、残念な気分になった。

「短くなってすぐに乾くから、それいらない」
マーキュリーはきっぱりと風熱機を拒絶すると暖炉の前にある椅子の方にさっさと移動してしまう。
「あ、こら。ちゃんと乾かさないと」
「ねぇ、エクソシストの人」
「大気です。髪を…」
「……。お仕事は?神父様もしてるんでしょう?」
「そうですが、今日はお休みです。ほら、こっちに戻ってください」
「いや」
大気が暖炉の前に行く事は風熱機のコードの長さ的に不可能だったため、呼び戻そうとするがはっきりと拒否する。

「マーキュリー」
「なに?」
「いい子ですから、こっちに来てください」
「今、いやって言ったのに…」
頑なに首を縦に振らないマーキュリーに大気は一瞬だけ考える。
「貴女……もしかして、風熱機が恐いんですか?」
「なっ!?違う!」
「へぇ?本当にそうですか?」
大気が意地悪くニヤリと笑って見せると、むっとしたようにマーキュリーのブルーアイズが彼を小さく睨んだ。

───ゾクッ

(これは…参りましたね)
恐怖ではなく、むしろ歓喜に近いものが自分の中にあふれる。
マーキュリーのブルーアイズに自分の姿がうつる事がたまらなく嬉しい。

だが、そんな事はおくびにも出さず大気は笑顔で手招きする。
「ーっ」
マーキュリーは悔しそうにくちびるを噛むと、諦めたのか再び大気の前の椅子にちょこんと座る。
「はじめから素直にそうしていればいいんですよ」
「……」
大気はくすくすと笑いながら碧い髪を乾かし始める。

(この人……絶対にあたしを子どもだと思ってる…)
大気は見るところ“ニンゲン”の年齢で二十歳にいったかいっていないかだろうと思う。
(あたし17歳なんだけどな…)
“魔女”の17歳はニンゲンの外見年齢で言えば14歳くらいなので、大気からすれば子どもに見えてしまうのかもしれないと、ぼんやりと思った。

「ぅ…」
こくりこくりと船を漕ぎ始めたマーキュリーに大気はくすりと笑う。
(そうですよね。昨日あれだけの事があったんですから疲れてますよね)
「……っ」
優しく触れる大気の手のぬくもりと風熱機のぬくもりにマーキュリーを急激な眠気が襲う。
眠ってはいけないと思うのだが……。
「大丈夫ですよ。少し眠ってください」
優しい声にマーキュリーは意識を手放した。

椅子に座ったまま眠ってしまったマーキュリーに大気はふっと微笑むと風熱機を切り、そっと彼女の髪に触れる。
さらさらしながらもふわふわとしている碧い髪はしっかりと乾いていた。
大気はそっと彼女を抱き上げるとマーキュリーを寝かせていた客室へと運ぶ。
「おやすみなさい。マーキュリー」
ベッドに寝かせると布団をかぶせると部屋をあとにする。

「さて───と」

大気は自室に入り木彫りの立派な机の置かれた照明を灯すと、本棚から何冊かの本を取り出しページをめくる。

“魔力”を持つ者との
契約について

「どうしますかね…」


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