捧げ物 | ナノ


trap −前編−
「お疲れさまでした!」
「お疲れさまです」
「お疲れ様でした」
生放送の歌番組の収録が終わったスリーライツの三人はその他の出演者と挨拶を交わして楽屋に戻ろうとしていた。

「あーっ、スリーライツのみなさんおつかれさまでーっす♪」
「「「お疲れ様です」」」
声をかけられた三人は、その人物に営業スマイル全開で挨拶を返し楽屋に戻ろうとする。
「あ、待ってよぉ〜、大気〜」
最後尾を歩いていた大気が服の裾をつままれ引きとめられる。
「申し訳ありませんが、この後すぐに次の仕事が入っているので」
大気にやんわりと告げられた人物は、少しすねたような表情を見せる。
「え〜っ、少しだけおしゃべりしようよ。ね?」
言いながら、大気の腕にするりと自分の腕を絡めようとする。
先を歩いていた星野がやれやれと小さくため息をつき、声を張り上げる。
「大気!急がねーと時間!」
「分かりました。すみませんがこれで失礼します」
大気は頭を下げると素早く星野と夜天を追いかける。
声をかけてきた人物その場に残して、三人は足早に楽屋に戻りスタジオをあとにした。

本当は今日の仕事は生放送出演で終わりだ。
「さっきは助かりました」
「いいって、気にすんなよ」
「相変わらずすごいね……あれ鬱陶しくないわけ?」
夜天が大気よりも苛立ちを露わにして言うと大気だけでなく星野も苦笑する。
「…勘弁して欲しいです」
「だろうな…さすがに…」

先ほど、彼らに声をかけてきたのは『Lui』。
年齢は大気たちよりひとつ上。
Luiは13歳でモデルとしてデビューし、一年ほど前からアーティスト活動や俳優業もはじめた。
そんな経緯もあり音楽番組でスリーライツの三人、あるいはモデルや役者としてのソロの仕事でも共演することがしばしばあった。

そんな中で三ヶ月前、大気主演のスペシャルドラマで、彼女と恋人役で共演したのだ。
その際、番宣などでバラエティやラジオなどで一緒に仕事をする事がしばらく続いた。
大気の年齢のわりに落ち着いた立ち居振る舞いや話し方などが素敵だと気に入られて、妙に懐かれてしまった。

「大気さ〜ん。今度一緒にお食事行きませんか〜?」
「アタシ大気が作ってくれた曲を歌ってみたいな〜って思ってるんだけど〜?」
「わぁ、その衣装素敵ね。アタシの衣装と雰囲気似てるわよねぇ。他の共演者の方達に勘違いされちゃうかもね?」
などなど……。

呼び方がいつの間にか“大気さん”から“大気”になり、口調もなれなれしいものになっていった。
やたらとボディタッチが多かったり、上目遣いで見てきたり…。
鬱陶しいくらいのアプローチを振り払うのもなかなか面倒だ。
仕事の手前もあるため邪険にしきれないところもあるのがかなりの困り者なのだ。

「まぁ、大気にまったく相手にされてない事が分かれば、そのうち諦めるんじゃない?」
夜天が苦笑気味に言うと大気はふぅと息をはく。
「大気。水野の家近いけどどうする?」
車を運転していた星野が聞くと、大気は少し考える。
「行く予定にはしていますが、一度家に戻ってからですね」
「二度手間じゃねーの?」
「僕ならすぐに会いに行くけど」
「洗濯をしまっておかないといけないんです」
「それくらい星野がやるから、このまま行きなよ?」
「おい夜天…さりげなく俺に押し付けるなよ!」
「あなた達がそんなんだから不安なんですよ」
「信用ねーな…俺も夜天もいつまでも何もできないわけじゃねーんだぞ?」
「そうだよ」
星野と夜天の目は真剣だった。
「…………では、お願いしてもいいですか?」
「まかせて」
「おうっ!よし到着」
ちょうど亜美のマンションの下につき、大気は助手席の扉をあける。
「ありがとうございます」
「あぁ、水野によろしくな」
「しっかり癒されてきなよ」
「そうします」

大気が車の扉を閉めるとすぐに車は発進する。
「大気、大丈夫かな?」
「水野がいるんだ、心配ねーだろ」
「まぁ、ね」
昼から行われたリハーサルからLuiになにかと絡まれていた大気の疲れは当然で、大気の気持ちはよくわかる。
だから大気を亜美のマンションに半ば強制的に送り届けた。
精神的に疲れた時に何より必要なのは愛しの彼女に会って、ただそばにいてもらうだけでいい。

「あー…俺もおだんごに会いたくなってきた…」
「星野はいつもじゃない…ほら、早く帰って洗濯しまわないと。それからは好きにすればいいから、とりあえず家までは帰るよ」
「だな」
星野は頷くと車をライツマンションへと走らせた。



「予定よりも早く来てしまって申し訳ありません」
『23時を過ぎるかもしれませんが、会いに行ってもいいですか?』と連絡を受けていた亜美は22時よりも前に訪れた大気に亜美は目を丸くしたが、妙に疲れた様子に心配そうに「大丈夫ですか?」と、聞いた。
大気を部屋に通すと、暖かい紅茶を淹れて部屋に戻る。
大気は紅茶を一口飲んでふぅとため息をつく。
亜美の心配そうな視線を受け止めて手招きをすると、素直に近付いてきた亜美をそっと腕の中に閉じ込める。

「大気さん?」
「すみません。しばらくこのままでいさせてください」
ぎゅっと亜美を抱きしめる腕の力が強くなる。
亜美はそっと大気の背中に腕を回すと彼の背中を優しくなでる。
「お仕事お疲れ様でした」
優しい声音と、愛しいぬくもりに大気はホッとする。

欲しいのは亜美の言葉
欲しいのは亜美の優しさ
欲しいのは他の誰でもない───亜美のぬくもり

「すみません」
「いえ、大丈夫ですか?」
腕の力を緩めると、亜美の瞳に心配そうに見つめられる。
「亜美のおかげでだいぶ落ち着きました。ありがとうございます」
大気が微笑み亜美の髪をそっと撫でる。
「あたしはなにも///」
「亜美がそばにいてくれるだけでいいんです」
「っ///」
「絶対に何もしませんから、今夜泊めてもらってもかまいませんか?」
「はいっ///」
「ありがとうございます」
真っ赤になってこくんと頷く亜美に大気はふっと微笑む。

その夜、自分を抱きしめて眠りに落ちた大気を亜美は心配そうに見つめていた。
訪れた時の大気はとても疲れているように見えた。
理由は教えてくれそうにはなかったので、あえて聞かなかったけれど…。
亜美が少し体を動かしても目が覚めないところを見ると熟睡している。
いつもよりあどけない彼の寝顔は亜美だけしか知らないものだ。
頬にかかった髪にそっと触れる。

一体、何があったのだろう…。
最近、仕事が終わった後やこれから仕事に行く時の大気が、亜美を抱きしめる事が増えた───ような気がする。
別に元々抱きしめられていなかったわけでは決してないのだけれど、いつもと何かが違うのを感じる。
『───亜美』
切なげな、それ以上に優しい声で名前を呼ばれて、そのくちびるで吐息すら奪うようなキスをされて、きつく優しく抱きしめられる。

自分に何か出来る事はないかと考える。
大気はそばにいてくれるだけでいいと言ってくれるけれど…。
それだけじゃなくて、もっとなにか力になりたいと、思う。

「ーっ…あ、み」
かすれた声で名前呼ばれてどきりと心臓が跳ねる。
「はい」
眠っている大気にはきっと聞こえていないだろけれど、それでも返事をするのは彼の言葉に応えたい亜美の気持ちだ。
「おやすみなさい。大気さん」
亜美はそっと大気の額にキスをして眠りについた。



───その頃

「あーっ!もうっ!ありえない!ホントにありえないっ!なんなのよっ!」
親に買い与えられた高級マンションの最上階である自分の部屋の寝室で、クッションを力任せに壁に投げつけて叫んだのはLui。
「このアタシにぜんっぜんなびかないとかおかしいと思ってたのよっ!?」
もう一つのクッションを壁に投げつけると、貼ってあるスリーライツのポスターを睨みつける。
「マジでありえないっ!」

Luiは父は業界では名を知らない者はいない程の有名音楽プロデューサー、母は引退したが天才女優という両親の元に生まれ育った。
二人は一人娘の彼女を過剰なほどに可愛がり、彼女の望むものはすべて与えてきた。
彼女がモデルになりたいと言った時も反対するどころか、業界に根回しをして芸能界にいれたほど。

だが彼女は決して親の七光りなだけではない。
歌手活動や女優業に関しては親のコネが強かったが、モデルとしての彼女のセンスや技量は申し分なかった。

そんなLuiが大気に興味を持ったのは、ドラマの共演がきっかけではなかった。
それよりもっと前───彼らがキンモク星に帰る前───に偶然雑誌の撮影のスタジオが隣だった時だった。
休憩時間になった時に隣のスタジオに覗きに行った。
本来なら快く思われない行為なのだが、相手が有名なプロデューサーの娘だとわかると、スタッフは「ゆっくり見ていくといいよ」と言ってLuiに椅子まで用意してくれた。

そこに座って撮影の様子を見た。
もちろん“スリーライツ”は知っていたし“大気光”も知っていた。
だけど別に面食いでもないし、異性関係に不自由はしていなかった。
それになによりその頃のLuiはモデル業界以外にまったく興味がなかったこともあって、特別彼らの存在を意識してはいなかった。

だから、ただの好奇心だった。
Luiはモデルとしての自分が好きだった。
新しいファッションに身を包み、カメラの前で可愛くキレイに自分を見せる。
そして、同世代の女の子の憧れの存在でいる自分。

一方、歌手としての活動をメインにしながらモデルや俳優もこなす“スリーライツのひとり”である大気。
「天下のトップアイドルがどんな風に仕事をしてるのか見てやろうじゃない」
くらいの気持ちだったのだ。
どうせ大したことはないだろうと思っていた。

ところが大気の様子を見て気が変わった。
“プロ”として仕事をこなす姿があった。
どうせ“アイドル”だからチャラチャラしてるんだろうと思っていた事を少しだけ反省した。
“アイドルなんて”と思っていた認識を大気が変えた。
自分もモデル以外もやってみようと思ったきっかけとなった。

そう思った矢先、彼らは突然芸能界から忽然と姿を消した。

父の権力を持ってしても彼らの行方をつかむことは出来なかった。
しかし、彼らは再び戻ってきた。
それをきっかけにLuiはアーティスト活動と女優業をはじめた。

そして、コネを使って大気の相手役になった。
モデルだった自分の存在を彼に刻みつけたかった。
あの時、自分の中に「大気光」という存在を刻み込まれたように。

スペシャルドラマとなれば、撮影期間は集中する。
当然一緒にいる時間が多かった。
そんな中で大気の大人びた仕種や、優しく丁寧な言葉遣いなどに同年代とは思えない物を感じて、惹かれたのだ。
だからその間に大気を落とそうと思っていた。

よく「ドラマなどで恋人役を演じた相手を好きになる事がある」と言われるし、なによりLuiは自分のルックスやスタイルに絶対の自信があった。
これまで落とせなかった異性はいなかった。
だから、大気もすぐに自分を好きになると思っていた。
ドラマの撮影でラブシーンもあったし、キスシーンもあった。

撮影の後に一緒に番宣にも回って、一日のほとんどを一緒に過ごしていたのだ。
これだけ隣に自分のような魅力溢れる異性がいれば陥落しないはずがないというLuiの自負は見事に裏切られた。
大気は一切自分になびかないどころか、アプローチにもまったくの興味を示さなかった。

そんな事は今までなかった。
Luiがちょっとでも好意を示せば、相手が告白してくる事がこれまで当たり前だったのだ。
どんなにアプローチを仕掛けても興味を示されないなんてあっていいはずがない。



原因がはっきりしたのは今日の生放送の音楽番組のリハーサルのあとのことだった。

大気にアプローチを仕掛けるために楽屋を訪れると星野に「大気ならいないぜ」と言われ探していた時のことだった。
人のあまりこない通路で大気の姿を見かけ驚かせようとこっそりと近づいていった。

『えぇ、そうですよ』
どうやら電話をしているようだった。
静かな声で話しているが、人気がないことと通りやすい大気の声がよく聞こえた。
『今はもうリハーサル終わったので大丈夫ですよ』
誰と話しているんだろう?
『レッスンは何時からですか?』
レッスン?なんの事?
『終わったら迎えに行きましょうか?』
迎えに行く?誰が誰を?
『それは残念です』
何が残念なの?
『では、少し遅くなるかもしれませんが終わってから会いに行っても構いませんか?』
……終わってから、会いに?

『私が会いたいんですよ』
聞いた事が無いほどの柔らかい大気の声と
『───ふっ、貴女は本当に可愛いですね』
そっと顔を出した時に見えた大気の横顔が演技でも見た事が無いほど優しかった。

そういう、こと。
Luiはそのままそこから急いで楽屋に戻った。

相手が誰だかは知らない。
けれど、相手と大気の関係ははっきりした。

“恋人”

今までは恋人がいた相手ですら自分を好きなった。
だと言うのに、大気は───
「“カノジョ”がいようが、どんな手を使っても絶対にアタシのモノにしてやるんだからっ!」
Luiは携帯を取り出すと、どこかへと電話をかけ始める。

「もしもし?アタシだけど、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、聞いてくれるわよネ?」



───二週間後

レッスンに向かう途中だった亜美はぴたりと足を止めてくるりと振り向く。
「?」
一週間くらい前から時々、視線を感じる───ような気がする。
「……」
誰かと一緒の時は感じないから、聞いて確かめようもない。
(気のせい、よね)
今日も同じようにそう自分に言い聞かせて、亜美はレッスンへと急いだ。



「なぁ、ホントにやるのかよ?」
「今さらびびってんなよ!Luiちゃんのお願いだぞ!」
「そうそう。うまくやればLuiちゃんと“イイコト”できるんだぜ?」
亜美の後方50mに止まったワゴン車の中には二十代前半から中頃と思しき男が三人。
「でも“誘拐”なんて…」
「ばーか!誘拐なんかじゃねーよ」
「そうそう、Luiちゃんのマンションに招くだけだよ」
亜美の後ろ姿を見つめながら物騒な会話を繰り広げる彼ら。

二週間前にLuiから連絡を受けたのが彼らだった。
Luiのデビュー時からの熱烈なファンで、彼女の出演するイベント参加のためならたとえ海外だろうが、地方だろうが行ってしまう。
Luiのファンクラブのトップスリーの三人だった。

一番はじめにLuiが出たイベントからずっと応援に行っていた彼らが、どういう経緯で彼女と直接接点を持つようになったかは想像にお任せするとしよう。

そんなLuiから頼まれた要件はみっつ。
まずは『大気光の“彼女”を割り出すこと』
それが分かれば『その“彼女”の行動パターンを見張ること』
そして───『誰にもバレないようにアタシのところに連れてくること』
それをちゃんとしてくれたら『“イイコト”してあげる』との事だった。

男達はLuiが大気に興味を持っている事を知っていて、それでも了承した。
彼らの信念は『Luiちゃんの幸せは俺達の幸せ』である。

「しっかし、あの子思ってたより勘いいよな」
「あぁ、結構距離置いたりしてバレないようにしてるのにな」
「……っ」
運転席と助手席の男達の会話を後部座席に座った男は不安そうに聞いていた。

大気光の彼女を突き止めたのは後部座席の青年だった。
“彼女”が一般人なのか芸能人なのかわからないために、効率を考えて三人で別々に大気光の周辺を探った。
マンションの周りにひとり、事務所周りにひとり、学校周りにひとり。

後部座席の青年は大気光の通う学校の周りを登下校時にランニングするふりをして探っていた。
捜査を始めて一週間───ちょうど一週間前、学校の帰りに大気をはじめとしたスリーライツの面々と他の少女たちと歩いているのを見つけた。
そして途中でみんなと分かれて、大気光が彼女と二人きりになった時、ごく自然に彼女の手を握ったのを見た。
少女は驚いた反応をしていたが、大気光が彼女に何かを言って自分の方に抱き寄せたのを見て確信した。

あの子が大気光の“彼女”だと。

すぐに二人に連絡して、彼女の尾行が始まった。
Luiから『他人に勘付かれないように、ひとりの時だけ尾行するように』と言われていた。

どうやら少女は規則正しい生活リズムのようで朝の七時半に学校に向かう。
校内での様子はわからないが、授業が終われば友人らしき少女達とどこかへ行くか、自宅に戻り着替えを済ませてLuiのマンションよりも立派な完全オートロックの高級マンションへと行く。
彼らが中に入るとボロを出してしまう可能性もあり危険なため、外で気長に待つ。

彼女はマンションの中に入って約四時間ほどで出てくる。
ただ土曜日は朝からそこに行き、夕方まで出てこなかった。

大気光がそのマンションの下まで迎えに来ている時もあれば、自分達とそんなに年齢の変わらない女性に自宅まで送ってもらう時もあるようだった。

つまり帰りに彼女に接触する事は不可能───と、なると、チャンスは今しかない。

彼女が出入りするマンションは大通りから一本外れたところにある。
角を曲がって自動ドアをくぐるまでの一区画の距離が勝負だ。

「よし、そろそろだな。作戦通りにいくぞ」
後部座席と助手席の男が車から降りると、運転手の男は車を発信させると少女が出入りしているマンションに先回りする。
車から降りた二人は早足で少女の跡をつける。



亜美は歩き慣れた角を曲がり、目的地であるレッスン場所となっているはるか達のマンションまであと少しのところで
「あの、ちょっとすみません」
後ろから声をかけられる。
「はい?」
この通りはいつも人があまりいないので、おそらく自分であろうと思い、亜美がくるりと振り向くと、そこには一人の男性がいた。
「えっと…その、ちょっと、道を聞きたいんです、けど」
「はい」
男が携帯を手に「ここに行きたいんですけど」と話をはじめ、亜美がそれを覗きこんだ瞬間だった。
「っ!?」
背後から口元を押さえられたと思った次の瞬間、亜美の意識はふつりと途切れた。

亜美を背後から襲った助手席の男はそのまま崩れ落ちる亜美の身体を抱き上げると、すぐ近くに停まっていた車に運ぶ。
「おい、何やってんだ?行くぞ」
「っ、あぁ……うん」
亜美に道を聞いた後部座席に乗っていた男はハッとしたように亜美が落としたバッグを拾って車に乗り込むと、運転手はすぐに車を発進させLuiに言われた場所へと亜美を運んだ。



「…んと、───なさいよ」
「分かったよ」
「それじゃアタシは仕事に行ってくるから」
「分かった」
「終わったらすぐに帰ってくるから、その子をちゃんと見張ってること、いい?」
「うん」
「アンタ達の誰かは必ずこの部屋にいて見張ること。いいわね?逃がすんじゃないわよ?」
「「もちろんだよ」」
「アンタもよ」
「はい…っ」

(だ…れ?知らない、声…。女の人と、男の人が何人か…)
必死に思考を巡らせようとする。
(眠っちゃ…だめ…)
しかし頭の中にもやがかかったように再び亜美の意識を闇へとおとす。


次に意識が浮上した亜美はまだぼんやりとする意識の中で、けれどもさっきよりははっきりとした感覚で、持ち前の冷静さを欠いてはいなかった。

先ほど、突然口元を覆われ意識を失った。
どういうわけかはわからないが……

柔らかな感触にシーツのような肌触りはおそらくベッド。
少なくともどこかの部屋であるらしい。
どこか───自分になじみがまったくないところなのは、嗅いだことのない匂いと空気でわかった。

状況がわからない以上、まだうかつに目を開かない方がいい。

さて、落ち着いて考えよう。
なぜ自分が拐われてしまったのかを。

ひとつ、あそこのマンションに出入りしていたため何か勘違いされて拐われた?
いや、ない。そもそも家の目の前で拐うような誘拐犯はまずいない。

ひとつ、自分を医者の娘だと知っていてお金欲しさに拐われた?
これもない。わざわざ自分を狙わなくても───こう言ってはなんだが高校生の自分を拐うのは少し骨が折れる、はずだ。
ましてや母は勤務医であり病院を経営しているわけではない。

(わからない事だらけね…)

思考を巡らせていた亜美の耳にバタンとドアの閉まる音と足音が聞こえた。

「…なぁ、これって、どうなるんだ?」
「俺が知るかよ…」
「招くって言ってたよな…でもこれじゃ…」

亜美の知る限りこれを招くとは決して言わない。
ただの人攫いだ。誘拐だ。
人にあやしげな薬品を用いて昏倒させてさらうなんて、立派な犯罪行為だ。
会話を聞いていると、この状況に戸惑いがちな三人は主犯格ではなさそうだ。と、なると先ほど目覚めた時に聞こえた唯一の女性が主犯か、もしくは他にも仲間がいるのか…

あいにくと亜美は自分がさらわれるような何かがあるとは思えない。
そして相手が男三人では分が悪すぎるし、得体の知れない薬を使われて身体がどの程度動くかも分からない。
変身しようにも今の自分には変身ペンがない。バッグの中にしまってあったので、それを捨てられていなければそこにあるはず。

手首などをしばられてはいないようだが、いわゆる万事休すというやつだ。

(なんとかして外に知らせる方法を……っ!)

そこまで考えた亜美はふと思い至る。
簡単に外に知らせる方法。
一般人には分からないけれど、うさぎや大気達には確実に知らせる事ができる方法がある事に。

だが、状況がまったく分からない以上それをしてしまって、みんなに心配をかける事はおろか、ヘタをすると危険に巻き込んでしまうことも充分に考えられる。
それだけは絶対に避けたい。

(落ち着いて状況を把握する事から始めましょう)
レッスンに行く直前だった。
それが時間になっても来ないとなると、ハープの先生である雪音が疑問を抱く。
そしておそらくは実姉であり亜美たちの担任である夏海に連絡がいく…と、思う。
もしかすると直接大気に連絡が───いや、どちらにせよ雪音か夏海のどちらかからは連絡がいくだろう。

ただ、それは自分の携帯で何かされていなければの話だけれど、と思いながら、亜美はとりあえず視覚からの情報を得るためにゆっくりと瞼を開く。

どこかの部屋。
男が三人。
そのうちの一人はマンション前で亜美に道を聞いてきた男だった。

亜美が目覚めた事には気付いていないようで、誰もこちらを見てはいない。

体は動かさないように注意しながら目だけをキョロキョロと動かす。

(シンプルな部屋ね。あたしが寝かされているベッドと彼らが座っている椅子以外はなさそうだわ……っ)
バチリと男の一人───亜美に声をかけてきた人物───と視線がかち合った。

バレた以上、体を動かしても問題はないだろうと、亜美は静かにゆっくりと体を起こすと、まだ少しぼんやりとする頭を振って意識をはっきりさせるようにつとめるが、あまり効果は得られなかった。

「───どういうつもりですか?」
亜美は透明な声音に遠慮なく剣呑さをにじませ、第一声を放つと男たちが驚いたようにこちらを見た。
「ことと次第によっては立派な犯罪です」



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