大気×亜美 | ナノ




キスの日

さっきから開いている本の内容がほぼ全くといっていいほどに頭の中に入ってこない。
亜美はパタンと本を閉じると元の位置に返すために席を立った。
別の本を読んでも状態が変わらないことは身をもって理解している。
先ほどから三度も同じことを繰り返していれば否応なしにでもわかる。
それでもここにいるのは、仕事で受けられなかった抜き打ちテストを受けている大気に「図書室で待ってます」と言ったからだ。
その時は本でも読みながら待っていようと思っていたのだ。

――美奈子から今日がキスの日だと聞くまでは

「どうせいっつも大気さんからなんでしょ?だ・か・ら!たまには亜美ちゃんからするの!なんのためのキスの日だと思ってるの?こういう時のためなんだから頑張るのよ!」
と一気に言い切った美奈子は亜美の応えを聞く前に夜天とともに帰って行ってしまった。
(別にそういうわけじゃないと思うんだけれど)
と、思いつつも、美奈子の言葉が気になっている。
『いっつも大気さんからなんでしょ?』
彼女の言うとおりだ。
キスだけじゃない。
手をつなぐことなどもいつも大気からだった。
自分から、と思ったことがないわけではない。
けれど、恥ずかしさやもしも大気に変に思われたらどうしよう、などと頭の中で色々と考えてしまうと自分から行動を起こすことが出来ないのだ。

「きっと、喜ぶわよ?大気さんなら」
そう言って、綺麗に微笑んだ愛の女神。
(そう、かしら…)
喜ぶかどうかは分からないが、嫌がられることはないであろうことくらいは、亜美だってわかっているのだ。
だからといって、簡単に出来てしまえるなら、これまで一度くらいは自分から出来ていたはずだ。
どうすればいいのか考えて、結局読んでいた本の内容が入ってこないのだ。
「……うーん」
本棚をぼんやりと見つめながら、声をもらしたことに、自身では気づかなかった。

そして、近づいてきていた人の気配にも。
「さっきから、本棚の前で何をそんなに悩んでるんですか?」
そんな言葉とともに、後ろからふわりと抱きしめられた亜美は、とっさのことに三秒ほど思考を停止させた。
「ずいぶんと無防備ですね?亜美」
大気がくすっと小さく笑う気配がして、亜美はようやくハッとした。
「た、大気さんっ。何を…っ」
「あまりにも無防備だったので、つい」
抱きしめる腕を解くことなく、それどころか、少しだけ抱きしめる力を強めた大気が続ける。
「何か困ったことでもありましたか?上の本が取れないなら取りますよ?」
「いえ、違うんです。――少し、考え事に没頭してしまって」
素直にそういうと大気から少し驚いたような気配があった。

抱きしめていた腕から開放された亜美がそっと大気を見つめると、やはり驚いたような表情の彼がいた。
「考え事、ですか?図書室-ここ-で?」
「あ、えっと」
いつもなら、読書に没頭しすぎていて、大気が来ていても気づかない事があるほどなのだから、彼の驚きも当然だろう。
「……何か、あったんですか?」
心配そうな大気の瞳に耐えられず、亜美はそっと視線を逸らせる。
まさか、キスのことを考えていました。なんて、口が裂けても言えない。
「亜美?」
心配そうな声音にどうすればいいのかわからなくなってしまう。
「別に、なんでもないんです」
「本当に?」
「はい、大気さんに心配をかけるほどのことでは「ありますよ」え?」
珍しく言葉を遮った大気に驚いて顔を上げる。

「どんな些細なことでも、亜美が悩んでいるなら私は力になりたいですよ?もちろん、私ではどうにも出来ない事もあるかもしれませんが…それでも――」
大気は優しい。いつもこうして、自分の事を心配してくれるのだ。
どれだけ忙しくて大変でも、亜美の変化には敏感だ。
いつも優しく気遣われていることを、亜美は知っている。
でも、今回のことは、本当に大気に心配をかけることではない。
自分の自信のなさが招いたことと言えば、そうであるわけだけれど。

「亜美?聞いてますか?どこか具合でも――っ!」
俯いていた顔をパッと上げた亜美は少しだけ背伸びをすると、チュッと大気の頬にくちづけた。
大気は驚いたように目を丸くして、そして亜美のくちびるが触れた頬に触れて、赤くなった。
「亜美?」
「ご、ごめんなさいっ!」
自分のしたことが恥ずかしくなった亜美はその場から逃げようとしたものの、一瞬で大気によって本棚との間に閉じ込められる。
「逃しませんよ」
耳元で聞こえた大気の声に身をすくめる。
「そんなに怯えなくても取って食ったりしませんよ」
くすりと笑う気配がしてそろりと大気を見つめると、いつもの大人びた表情ではなく、どこか子どもっぽい笑顔だった。
「なんで……笑ってるんですか?」
「え?だって嬉しいじゃないですか」
「え?」
大気の言葉に驚くと、大気は本当に嬉しそうに笑みを深くする。

「亜美からキスしてもらえるなんて、嬉しいに決まってるでしょう?」
「…………嬉しい?」
「はい。――ですが」
こくりと頷いた大気は
「せっかくなら、くちびるにしてもらえるともっと嬉しいんですが?」
さらりとそう言って、先ほどまでと打って変わって、どこか悪巧みをするような表情を見せた。






5月23日はキスの日だそうで、思いついたままに書きました。
少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。



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