▼本当の想い 仕事を終え、一人で暮らしている部屋に戻る。 鍵を開け中に入ってすぐにヒールを脱ぐ。 ここでは本来は脱ぐ必要はないんだけど、長年の習慣と開放されたいという願望。 スリッパを履き、リビングに入るとバッグをテーブルに置いてソファに座る。 家に置きっぱなしになっているプライベート用のパソコンの電源を入れる。 そこにはいつもと同じ「新着メールなし」の表示。 「……」 ロンドン勤務になってすでに二年以上の歳月が流れた。 その間、一度も銀太とは連絡していない。 今の状況であるロンドン勤務の事がきっかけで銀太と大喧嘩して、私は結局そのまま日本を離れた。 学生時代の友人たちにも何も告げずに。 銀太に──離婚届と「提出したら連絡して下さい」のメモだけを残して。 銀太は子供が欲しいってずっと言ってた。 でも、仕事に夢中だった私は「今は無理」と言って頑なに拒否し続けた。 そんなある日、ロンドンの本社へ抜擢されることになった。 実力を認めてもらえた事が本当に嬉しくて、真っ先に銀太に言った。 そうしたら、開口一番「行くな」って言った。 「良かったな」って、「行って来いよ」って、言ってはくれなかった。 何度も話し合ったけど、結局はじめからなんの進展もないままお互いに分かってくれない苛立ちで最終的には大喧嘩になった。 高校時代に銀太と付き合いはじめてからそれまで喧嘩をした事はあったけど、あそこまでの喧嘩はした事がなかった。 もともと銀太は直情型だし、私も結構キツい物言いになりやすい方で…。 お互いにとても冷静に話し合えるような精神状態ではなかった。 私は…銀太に 「三年なんてあっと言う間だ」って。 「待ってるから行ってこい」って。 「がんばれよ」って 言って欲しかった。 でも、銀太は「行くな」の一点張りで…もう、どうしていいのかわからなくなった。 だから、私は考えた。 ──三年 三年あれば、他の人と出会って結婚して子供の一人くらい出来るかもしれないと思った。 だから私は離婚届を置いて日本を発った。 自分でもひどいと思う。最低だと思う。 でも、それくらいしか方法が思いつかないほどに、どうしていいのかわからなかった。 私だって子供が欲しくないわけじゃなかった。 でも、この三年は私にとって大事な経験になると思った。 お互いに譲れなかった。 離婚も仕方ないと思った。 だけど 本当は声が聞きたい。会いたい。 でも、あんな身勝手な事をして出てきてしまってこっちから連絡なんて出来るわけなくて… きっと銀太も離婚届を出さない限り連絡はしてこないだろうって思う。 真面目でまっすぐで──優しい人だから。 思えば、私はずっと銀太の優しさに甘えてる。 それは光希さんに嫉妬させるためにフリで付き合っていた時からもそうだったし、実際に付き合うようになってからも、結婚してからもそうだった。 すべてを銀太に委ねている私はとても卑怯で、本当にずるい。 純粋にひたむきに、ただまっすぐに恋してた学生時代が懐かしい。 あの頃は好きって気持ちだけで幸せで、毎日が楽しかった。 大学の卒業旅行で行ったモンサンミッシェルでプロポーズされた時は驚いたけど、それ以上に本当に嬉しかった。 きっとすごく考えてくれたんだろうなって、一生懸命さが伝わって。 光希さんと遊には「世界遺産に惑わされて早まったんじゃない?」とかってからかわれたけど、そんな事なかった。 あの時に言った言葉は嘘じゃなかった。 『銀太がいいの』 嘘じゃない…今でも。 私は銀太だから一緒になりたいって思った。 銀太と、幸せになりたいって思ったの。 「っ…ーーっ」 いや。いやだ。 本当は離婚なんてしたくない。 他の人となんて一緒になって欲しくない。 待ってて欲しい。 「おかえり」って、言って欲しい……。 でも、そんなの、私の身勝手すぎるわがままで…。 私にそんな甘えた事を言う資格なんて──ない。 連絡してこないでくれれば、それはまだ私達が夫婦として繋がってることになる──はず。 たとえそれが、形式だけのものであったとしても。 帰っても、私の居場所はある。 でも、もし銀太から「離婚届を提出した」って連絡があれば、このまま(一度日本支社に戻る事にはなるけれど)ロンドンに残るつもりでいる。 日本に戻るまで、一年を切った。 どうなるのか私にも分からない…。 銀太が、私を、待っててくれてるのかも。 他に好きな人が出来たのかも、何もわからない。 ───「銀太」 あなたは今、どうしてる? |