滲む世界



冬の寒さが骨の髄まで身に染みるのはこの貧弱な体つきのせいだろうか。吹きつける風は乾いて凍えきっており、まだ真冬なのだとしみじみ実感した。薄い安物の短いマフラーを首に巻き直して歩を早める。端がほつれきったそれはあの忌む父親のもので、しかし母親に弱々しい笑みで外は寒いから巻いて行きなさいと言われて僕が断れるはずなどなく。唇をぎゅうと噛み締めれば薄い皮膚は容易く破け、鈍い鉄錆の味が口腔に広がった。それが一層、僕を惨めにさせる。

誕生日なんてものは僕にとって何の意味もない。寧ろあの両親にとっては僕の存在自体が邪魔で仕方無いのだ。父親は毎日のように頭から酒を浴びたかのようなアルコールの臭いをさせて深夜に帰ってきては、冷たい部屋の隅で汚れた毛布にくるまって小さくなっている僕を叩き起こしては好き放題に僕をいたぶり、ねばついた表情を浮かべて笑む。それは母親が体調を壊してから僕が受ける習慣になっていた。僕の骨と皮の細い身体に染み付いたそれは一種の儀式のように。

だから僕は夜明け前に家を飛び出した。行くあてなどあるはずもない。ただ、今日だけはされるがままに奴に殴打されたくなかった。例え誰も祝ってくれなどしなくても今日という日は僕が生まれた日。間違いであったとしても僕がこの世界に誕生を、存在を赦された日。
だから、僕は、

「あら、セブルス?」

凛とした綺麗な声に呼ばれて一瞬の後に振り返ると可憐な少女が僕を認めて微笑む。それは彼女の名前に相応しい、いやそれ以上に美しい花が咲くような笑顔。

「……リリー、」

首をすこし傾げて彼女の名前を呼ぶ。それだけで僕の中に広がるのはあまい陶酔感。酔いしれるほどに甘ったるく苦しいこの感情は身分違いの恋慕だと分かっていて僕は自ら背徳感に震える。それはひどく気味の悪いことだろうが、それすらも凌駕するほど僕は彼女に恋い焦がれている。

「こんな時間にどうしたの」
「あらやだわ、それはわたしの台詞よ」

僕の言葉に彼女はくすくすと肩を揺らして笑う。その手に大きなキャリーバッグがあるのを見つけて僕は思い当たった単語を口にした。

「旅行……に?」
「あ、えぇ、そうなの」
「今から、出発?」

不自然なまで掠れた声で尋ねると嬉しげな笑顔でリリーは頷いた。きれいな微笑み。

「そう、なんだ」
「せっかくセブに会えたのに、残念だわ。セブの顔を見たら遊ぶ気分になっちゃったもの」
「えっ」
「わたしはいつだって、セブと遊ぶことが一番楽しいわ」
「……そう」
「セブ、真っ赤よ?」
「そ、んなこと」
「真っ赤」
「〜っ、リリー…!」
「ふふ、怒らないで頂戴」
「怒っては、ないけど」
「本当に?」
「……う、ん」
「じゃあ「リリー!」

彼女が背後からの甲高い声に振り返る。薄闇のなかで艶やかな紅茶色の髪がふわりと揺れる。淡い花の香りが鼻を擽る。

「チュニー、」
「早くしなさいよ!何して…」
「―――……」
「……早くしなさいよ、リリー」
「えぇ分かっているわ。ごめんなさい、チュニー」
「……あんまり遅いようなら、置いていくんだから、っ!」
「えぇ」
「……っ、」

静かに頷いたリリーの落ち着いた様子に悔しげに表情を歪め、激しい嫉妬に染まった瞳でギリッと僕を睨み付けてペチュニアは走り去る。翻ったスカートが視界の端に残って目障りだった。

「……ごめんなさい、セブ。もう時間みたい」
「ううん、僕は、……べつに」
「……そう、」

じゃあ、またね、と呟くように口にして彼女は寂寥を孕んだ表情で微笑んで僕に背を向けた。その表情が疲弊しきった母親が浮かべる弱々しい笑みと重なって僕は、気付けば涙を浮かべていた。

見送る小さな背中は頼りなく、僕に吹きつける風はより冷たく、凍えたものになっていた。


(じわり、じわり)



end.




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