afternoon refreshments



たくさんの古い慣習に縛られて息が詰まりそうな、それがブラック家だった。気高く美しい純血を一番として汚れた忌むべき穢れた血―――つまりマグルの血は最低とする。そして古くから伝わる伝統というレッテルを貼られた慣習は今もなお、長い年月を経ても強制力を失わずに続いている。そんな窒息してしまいそうな窮屈な閉塞感で溢れるブラック家のなかで、母上が唯一の楽しみとしていたのは月に一回の秘密のお菓子作りだった。

「父上には内緒ですよ」

お菓子作りを始めるとき、ふっくらとした綺麗な唇で子供のぼくより子供のような悪戯っぽい笑みを作って、母上は決まってそう言うのだった。レギュラス、このことはわたくしとあなたの秘密なのですよ。あぁ、もちろんクリーチャーも一緒ですよ。そう微笑んで。


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「どうして内緒なのですか、ははうえ」

初めてのお菓子作りの日、まだ幼かったぼくは首を傾げて母上にそう問うたことをひどく鮮明に覚えている。小さなぼくに尋ねられた母上は、少しだけ困ったような表情を浮かべて、それから困った表情のままで微笑んで言った。

「……わたくしにも秘密にしたいことはあるのですよ、レギュラス」

幼かったぼくには母上の言葉の意味は理解出来なかったし、どうして彼女が困ったように儚げに微笑むのか分からなかった。だけどいま、10歳になったぼくには少しだけ彼女の言葉の意味も、悲しげな微笑みの意味も、本当に少しだけだけど、分かるような気がする。


×


「はい、母上」

決まり言葉に、これまた決まり言葉になった返事で答えると、母上はひどく嬉しそうに笑う。ぼくはこうやって彼女が幸せそうに笑う表情が大好きで、だからこのお菓子作りの時間も大好きだった。

「今日は何を作りましょうか」
「この前はクッキーで、その前はパウンドケーキでしたね」
「そうでしたね。パウンドケーキのときはあなたがひとりで半分も食べてしまったから、わたくし吃驚しましたわ」
「……あのあと、お菓子禁止令を出されたことを覚えています」

母上とクリーチャーがくすくすと笑うのが恥ずかしいやら擽ったいやらでぼくはむず痒くて仕方なかった。

「奥様、クリーチャーは食糧庫の小麦粉を取って参ります」
「えぇ、頼んだわ」

クリーチャーが去っていき、母上は分厚いレシピの本を捲りながら思案するような表情を浮かべていた。しかし不意になにかを思い付いたように母上は顔を上げて、ぼくを見詰めた。

「でも、普段少食なあなたがあんなに食べるなんて本当に驚きましたわ。レギュラスは甘いものが好きなのかしら」

首を傾げた母上に問われてぼくはどうなのだろうと考えてみた。お菓子作り以外で出される甘い物といえばクリーチャーが焼いてくれるアップルパイやチョコレートケーキ、糖蜜パイやビスケット、スコーン、親戚のでっぷり太った叔母が持ってくる甘ったるいキャラメルチョコレートとチョコレートバーぐらいだ。叔母の持ってくるお菓子は甘すぎて初めて食べたときに歯が溶けてしまうと危惧してからは一度も食べていないし、クリーチャーの作るお菓子は美味しいけれどたくさん食べたことはない。だけどスコーンのさくさくした食感は大好きで、何が食べたいですかと訊かれればスコーンと答えてしまうようにはなっていた。だけどぼくは甘いものが好きという域には達してはいないようだった。そう考えるとどうやらぼくは、

「……いえ、母上、ちがいます」
「あら、甘いものが好きなわけではないのかしら」
「そう、みたいです」
「……そう」

母上が俯いて長く艶やかな髪が白い肌を覆い隠してしまって、そうしてぼくは彼女が落ち込んでしまったことに気がついて、慌てて母上!と大きな声を出していた。

「どうしたの、レギュラス」
「あっ、あの、ははうえ、ぼく…、」

目を丸くしてこちらを見詰める母上の瞳に焦って、うまく言葉が出てこなくて、ぼくは一生懸命言葉を探して紡いだ。もともと話すことはあまり得意ではないぼくからすれば、それはとても大変なことだった。

「あの、ぼくは、ははうえの作るお菓子がすきなんです……!」

それはきっと、とてもたどたどしくてぎこちないものだっただろう。だけどその不恰好な言葉がぼくに紡ぎ出せる感情伝達だった。ぼくの本当のきもちを母上に伝えなければいけない。そうやって紡げたものが、ぼくの精一杯が、その言葉だった。

「――――レギュ、ラス」

母上は今まで以上におおきく目を見開いて瞠目していた。ぼくがこんなに大きな声を出して自分の思いを晒け出すなんてことは初めてだったのだから、当たり前かもしれないが。

「す、みません、母上……いきなり大きな声を出し、て」

そこで僕は台詞を切った。いや、切らざるを得なかったのだ。何故なら見上げた先の母上が、漆黒の瞳からぼろぼろと涙を流していたのだから。

「ははう、え、」

やっとのことでぼくが掠れ気味の声で呼び掛けると、母上は黒曜石のような瞳を潤ませたままでぼくの身体を引き寄せて、きつく抱き締めた。やわらかな母上の腕のなかは驚くほど暖かく、そして彼女のお気に入りの薔薇の薫りがした。

「は「あぁ…レギュラス……」

喘ぐように遮られてぼくは喉になにかがつっかえてしまったように何も言えなくなってしまった。いつも気丈で凛々しくて淑やかな母上がこんなにも弱々しい声でぼくを呼んだことに後頭部をがつんと殴られたような衝撃を受けたのだ。

「レギュラス……わたくしのレギュラス……あなたは本当にいい子ね……ありがとう……」

ほっそりとした指がぼくの頬を挟み、漆黒に真っ直ぐに覗き込まれた。暫時、母上はそうしてなにかを確かめるように射抜くような眼差しでぼくの瞳を見詰めていたが、不意に花が綻ぶようにゆるやかに破顔するとぼくの身体をそっと離してごめんなさいと伏せ目がちに呟いて頬にちいさなキスを落とした。

「……さぁレギュラス、あなたはなにが食べたいのかしら」

いつの間にか涙を綺麗に拭った母上が微笑みながら問い掛ける。その言葉に、ぼくは気後れしてしまわないように笑顔を浮かべながらこう答えた。

「パウンドケーキが、たべたいです」


(ダージリンティーでお茶にしましょう)



end.




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