吐き出す息はすっかり白く、レギュラスの華奢な指は凍える寒さに悴んでしまっていた。せめてもの抵抗に手を出来るだけ引っ込めたり、指先にはぁっと息を吐きかけるが、そんなことでは少しも暖まってはくれない。クィデッチの練習に熱中していた時にはまったく気にならなかった寒さは、レギュラスが着替えを済ませるとひどくなっていた。日が落ちるのも随分と早くなり、空は既に夕闇に染まっている。
「手袋……どこにあったかな……」
数週間前から姿をくらました手袋に思いを馳せながら、レギュラスは冷たい風に身を震わせつつ歩を早めた。
×
「おかえり、レギュラス」
耳に心地いい低音に呼ばれて振り向くと、そこには柔らかな微笑みを浮かべた友人が立っていた。薄茶の髪が暖かな明かりに照らされて色濃く輝いている。
「バーティ、ただいま」
「お疲れ様。今日は少し遅かったな」
「気がついたらこんな時間だったんだ。すごく寒かったよ」
「そうだろうな。身体、冷えてないか?」
「……触ってみる?」
「うわっ!」
「あはは」
「馬鹿!お前、すっかり凍えてるじゃないか!こんなに冷たくなって…」
冷えた掌でそばかすだらけの頬を包むように触ると、バーティは悲鳴を上げて後退る。思わず笑っていると頭を軽く叩かれ、レギュラスは怒鳴られてしまった。唐突に発せられた大声に、大広間へ向かう途中だったらしいハッフルパフの女子生徒たちがこちらを振り返る。怯えたような表情を向けられてレギュラスは眉根を下げたが、バーティは未だ怒りが治まらないようだ。女子生徒たちを威嚇するように睨んでレギュラスの腕を強く掴む。
「痛いよバーティ」
「寒がりのくせに防寒具を持っていかないお前は馬鹿なのか?今日は冷え込むからマフラーをしていけって言っただろ。あと、手袋もだ」
そういえば、今日の昼食時にそんなことを言われたかもしれない。レギュラスはぼんやりと記憶を辿るが、曖昧にしか思い出せない時点で全く聞いていなかったことは明白である。今日は一日中、近くなった次の試合のことばかり考えて過ごしていた。そのことに気付いてしまった途端、急激に肩の力が抜けていく。
「……ごめん」
心配してくれたバーティに申し訳なくて、レギュラスは小さな声で呟くように謝る。見上げた先の彼は不機嫌そうな表情を僅かに緩め、レギュラスの頭を軽く撫でた。まるでさっき叩いてしまったことを詫びているように感じられて、その不器用な優しさに胸が温かくなる。
「分かったなら、いい。早くローブを脱いでこいよ。雪塗れだぞ」
「うん」
ローブを翻して去っていくバーティの背中にもう一度だけ小さく謝って、レギュラスは寮への廊下を振り返る。その時、レギュラスの瞳は角を曲がってこちらへ歩いてくる兄の姿を捉えた。普段と異なる点があるとすれば、ジェームズを始めとする友人が誰も傍に居ないことだろう。どことなく気まずい気持ちになったレギュラスは視線を逸らそうとするが、そのタイミングでシリウスがふっと顔を上げた。
「っ、……」
濃灰色の瞳が僅かに見開かれ、シリウスは驚いたような表情を浮かべた。数メートルの距離を空けた状態で二人は互いに見つめ合う。居心地の悪い空気が流れる中、重い沈黙を打ち破ったのはシリウスの方だった。あー、うー、という大して意味も無い声を発しながら近づいてくる兄に、レギュラスは思わず後退る。
「……なに」
警戒心剥き出しな声が出てしまい、レギュラスは少し後悔した。しかし当のシリウスはそんなことには気付いてないのか、相変わらず謎の声を発している。やがてレギュラスの目の前で立ち止まると、手に持っていた何かをこちらへ差し出してきた。
「これ、お前のだろ」
その言葉に首を傾げ、レギュラスは視線を落とす。シリウスが手に持っているのは、白と灰色のタータンチェックのマフラーだった。見覚えのあるそれにレギュラスが目を瞠れば、シリウスは苦笑いを浮かべながら口を開く。
「……夏休みに帰った時に母さんが入れ間違えてたんだろ」
「そう、だったんだ」
ぎこちない動作でレギュラスはマフラーを受け取る。裏返して確認してみると、確かに端にはレギュラスのイニシャルが縫われていた。
「……よく分かったね」
「は?お前、俺を馬鹿にしてんのか」
「ち、違うよ。だってイニシャル以外には違いがないでしょ」
「……まぁ、そうだな」
「色も柄も同じだし、兄さんがすぐに気付くわけ…」
「それを世間一般じゃ馬鹿にしてるって言うんじゃないのか?」
シリウスは呆れたように呟き、ガリガリと頭を掻いた。しかし怒っているような様子は見受けられず、レギュラスを見る視線はどこか優しい。
「ったく、好き勝手言いやがって……理由なんかどうでもいいだろうが。いいからさっさと寮に帰れよ、俺は腹減ってるから早く大広間に行きたいんだ」
「うん。……ねぇ、兄さん」
「んだよ」
「どうして気付いたの?」
レギュラスは歩き出そうとするシリウスのローブを掴んだ。引き留めるように引っ張り、じっと見上げる。シリウスは諦めたような表情になり、小さく溜め息を吐いた。濃灰色の瞳をすっと眇め、無表情になった兄は静かに口を開く。
「―――…匂いが、違った」
×
自室に戻ったレギュラスはローブを脱ぎ、ベッドの上に置いたマフラーにそっと手を伸ばした。カシミアの滑らかな触り心地はひどく安心する。そのマフラーが温もりに満ちていたように感じたのは、きっと気のせいではないはずだ。
(芳しいあなたの薫り)
end.