いとしいあなたを



普段は優等生ぶっている愚弟は、なかなかどうして間抜けなところが多々ある。寝起きに寝惚けて転んでぶつかったりはしょっちゅうだし、ネクタイを俺の物と間違えるのもお決まりだ。そんな奴だから、ネクタイの締めが甘くてシャツの一番上のボタンが外れているなんてこともあるわけで―――。

「……あ」
「シリウス?」

朝食中。スリザリンのテーブルを見つめてフォークを動かす手を止めた俺を、リーマスが怪訝そうに覗き込んだ。鳶色の瞳がどうしたの?と言いたげに揺れる。

「……いや、何でもない」
「そう?」

リーマスは答えない俺にしつこく詰め寄ることなく、穏やかに微笑んで食事を再開した。こいつのこういうところが気に入ってるから一緒に行動するんだよな、とぼんやり思う。つかず離れずの距離を保ってくれる友人の存在は、俺にとって何よりの宝だった。

「…………」

そして俺の視線はスリザリンのテーブルへと戻る。スネイプと並んで食事をしているのは見間違えるはずもない、弟のレギュラスだ。その無防備に開かれたシャツの胸元からは、白く滑らかな肌が覗いている。それだけでも俺は落ち着いていられないというのに、隙間からは赤い鬱血痕がちらちらと覗いていた。そんな俺に気付くことなく、レギュラスはスネイプへにこやかに話しかけている。何の話をしているのかは分からないが、答えるスネイプは相変わらずの仏頂面だ。しかし自分を慕う後輩にはいくらか態度も柔らかくなるらしく、どこか和やかな雰囲気で食事は続く。

「…………」
「……ねぇリーマス、なんだかシリウス……怒ってない?」
「あぁ……いや、ピーターは気にしないで大丈夫だよ」
「そう…?」
「何を今さら言ってるんだ、ワームテール。あいつの嫉妬深さは今に始まったことじゃないだろ?」
「え?ええっ?」
「ちょっと、ジェームズ!ピーターは知らないんだから…!」
「あー……そうだっけ?まぁいいじゃないか。僕とセブルスのように公認の仲になってしまえば!」
「いや、それが無理だから言って―――いま、なんて言った?」
「こ、公認…?って言った?」
「あぁ!なにかおかしなことを言ったかい?」
「おかしいだろう!君とスネイプはいつから公認の仲になったんだい?」
「初耳……なんだけど……」
「え?」
「「えぇ……」」

3人が好き勝手に騒いでいるのは聞こえていたが、俺は相変わらずスリザリンのテーブルをじっと見つめていた。というよりも、目を離せなかったというのが正しいかもしれない。話に花を咲かせていたスネイプとレギュラスの傍に、監督生であるルシウス・マルフォイが近付いてきたからだ。この距離では会話の内容まで聴くことは不可能だが、近付いてきたルシウスがスネイプの肩に手を置き、不自然なまでに爽やかな笑顔で話し掛けているのはよく見えた。対するスネイプは戸惑うような表情でそれに応えていた。スネイプの返事に気を良くしたらしいルシウスは頷き、それからレギュラスにちらりと視線を向ける。怜悧な印象を抱かせるアイスブルーの瞳がレギュラスの首筋でぴたりと止まった。そのまま細められた瞬間、俺の心臓はぎくりと跳ね上がった。

「、っ……」

たった一瞬の出来事だったのだろう。しかし、その一瞬は俺にとってひどく長く感じられた。ルシウスはすぐに視線を外したが、その視線は直後俺へと向けられることになる。氷のように冷たいアイスブルーがじっと俺を見つめる。距離は離れているはずなのに、沈黙が重くて痛い。やがて視線を逸らしたルシウスは、少しも表情を変えていなかった。何事もなかったかのようにローブを翻すと、クラッブとゴイルを引き連れて去っていった。

×

「レギュラス」

低くざらついた声に名を呼ばれ、僕は声のした方を振り返った。廊下の角に立っていたのは兄さんで、少なからず驚いてしまう。隣を歩いていたセブルス先輩の顔色が変わり、申し訳ない気持ちにもなった。

「―――レギュラス、僕は先に行く」
「はい。……すみません、先輩」
「気にするな」

兄さんの姿をその目で捉えた瞬間、セブルス先輩は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。対する兄さんも同じように苛立ったように眉を顰めていた。セブルス先輩は分厚い教科書を胸に抱えて足早に去っていく。

「……どうしたの?」

校内で兄さんが声を掛けてくるなんて、一体いつぶりだろう。どきまぎしつつ話しかけると、兄さんがこっちへ来いと言いたげに手招きをした。その挙動はどこか不機嫌そうで、僕は内心不安になりながら駆け寄る。周囲に生徒の数は少なく、それが余計に緊張感を助長させた。

「兄さん…?」

見上げた濃灰色の双眸にはやはり不機嫌な色が浮かんでいた。また誰かと喧嘩したのだろうか。それとも僕が何かしただろうか。見下ろしてくる表情を見る限り、原因は後者だとしか思えなくて居心地が悪くなる。兄さんはしばらく黙り込んでいたが、やがて目を細めて僕に手を伸ばしてきた。叩かれるのかと思い、僕は反射的にぎゅっとを瞑ってしまう。しかし、いつまで経っても衝撃は訪れない。そっと目を開けてみると、兄さんは不思議そうな面持ちで僕を見下ろしていた。

「……何してんだ」

耳朶が燃えるように熱い。黙って首を振る僕を、兄さんは観察するようにじっと見つめた。兄さんの節くれ立った指がシャツを摘んで軽く引っ張る。僅かに首が苦しくなって、困惑した僕は眉根を下げた。

「ここ、開けるのやめろ」

呟かれた声は低いが、不機嫌さはあまり感じられない。しかし、どこか複雑そうな声色に僕は違和感を覚える。兄さんの顔を見上げたまま慌ててボタンを留め、兄さんの腕にそっと触れた。

「ごめんなさい。……だらしなかった?それとも、何かあった?」

僕が問い掛けると形の良い眉毛がぴくりと動いた。兄さんは難しい顔で俯いていたが、やがてゆっくりと首を振る。気懸りではあったが、強引に詰め寄るようなことは出来ない。そう、と頷いて僕は兄さんへ身体を寄せた。兄さんの肩は僅かに跳ねたが、やがて安堵したように表情が和らいでいく。肩の力を抜いた兄さんは、僕の身体を引き寄せて軽く抱き締めた。伸ばし始めたらしい髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。思わず僕が笑うと、叱るように腕に込められた力が強まって苦しくなる。

「兄さん、苦しいよ」
「……あぁ」

兄さんは案外あっさりと僕の身体を離した。向けられた笑顔はひどく眩しくて、僕は僅かに目を伏せる。いつだって兄さんは眩しい。憧れの存在なのだと、改めて感じて胸が苦しくなった。時折感じるこの感情の正体が何なのか、僕はずっと理解できずにいる。

「……レギュラス?」
「ううん。なんでもないよ」
「そうか。……あぁ、俺はそろそろ…」
「授業?」
「あぁ。お前は?」
「僕は休み時間。だから図書館で課題を片付けるよ。まだたっぷり残ってるんだ」

僕の答えに兄さんは珍しいなと言って笑った。大きな掌が僕の髪をぐしゃりと掻き回す。髪はぐちゃぐちゃになるけど、僕はこれが嫌いではなかった。文句を言いながら兄さんの胸を押し退けると、名残惜しむように髪を梳かれる。おざなりに告げられた別れの言葉に返事をして、遠ざかる背中を見送った。なぜか切ない気持ちが胸に去来して、胸がきゅうっと締め付けられる。僕はその感情を持て余したまま、遠ざかる兄さんの姿を見えなくなるまで見つめていた。


(独占したい)



end.




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