幸せということ



真っ黒な髪が真っ白な頬に掛かり、視界を遮るのも気にしない様子で一心不乱に文章を貪るように読み続けていたのはセブルス・スネイプだった。その姿を目にして、シリウスは思わずその端正な顔を歪めるように眉を顰めた。

「……リーマス、なんであいつが此処に居るんだよ。此処はグリフィンドールの談話室じゃなかったのか?」
「今でもグリフィンドールの談話室だよ」
「知ってんだよ。本題はそっちじゃない」
「彼がどうして此処に居るのか、かい?」
「そうだ」

シリウスがあからさまに不信感を募らせた表情で頷くと、リーマスは困ったように眉を下げて笑った。

「だって、夕食が終わって帰ってきたら太った婦人の前で膝を抱えて座ってたんだよ。どうしたのか尋ねても首を横に振るだけで答えてくれないし―――」
「だから入れたのか?」
「うん」
「……お人好しめ」
「仕方無いだろ、放っておくのも可哀想だったし。どうせ君が帰ってきたら八つ当たりの対象になるのは目に見えてたし」
「人聞きの悪いことを言うな」
「事実だろ?」
「…………」

否定はしない、とぼそり呟いたシリウスに苦笑を漏らしたリーマスはセブルスを見遣り、それにしても、と再び口を開く。

「ジェームズはまだかなぁ」
「ジェームズ?あいつはまだクィディッチの練習じゃないのか?」
「うん…それはそうなんだけど、ね」
「…?」
「あー…いや、何でもないよ」
「何だよ、歯切れわりぃな」
「君が鈍いせいだよ」
「はぁ?」

わけが分からないという表情を浮かべるシリウスを横目に、リーマスはポケットをごそごそと漁って小さなチョコレートを取り出した。鮮やかな包装紙に個別で包まれたチョコレートは可愛らしく、綺麗で、部屋の隅で変身学の宿題を相手に頭を抱えていたピーターはそれを見て目を輝かせた。

「うわぁリーマス、それすごく綺麗!」
「ふふ、だろ?この間ホグズミートで可愛いお店を見つけてね、ついついふらっと入ったらこんなお菓子がいっぱい売ってあったんだよ」
「へぇー」
「感心すんなよワームテール」
「えっ、なんで?」
「こいつは可愛い……女子どもがきゃいきゃい騒いで喜ぶような店にふらっと立ち入れるんだぞ」
「え…えっと……」
「……なに、シリウス不満でもあるの?」
「大いにあるな」
「へぇ?じゃあじっくり聞かせてもらおうかな?」
「ちょっ……ちょっと2人とも、喧嘩は良くないよ……」
「大丈夫だよピーター。これは喧嘩なんかじゃない、話し合いだから」
「こ、こんなに険悪な話し合いはもう喧嘩じゃないの…?」
「黙ってろワームテール」
「シリウス、そんな口調は良くないよ」

口ではそう言いながらもリーマスはシリウスを睨めつけたままで一歩も引く気配は無い。あと少しでお互いの手がローブに忍ばせた杖に届く―――その瞬間、不機嫌そうな声が2人の間に割り込んできた。

「お前ら、そんなことで揉めるな。読書の邪魔になる」

たちまち不愉快そうに眉を寄せたシリウスの表情につられてリーマスが振り向くと、それまで柔らかなソファーに半ば埋もれるようにして本を読んでいたセブルスがこちらを呆れたように眺めていた。一触即発の2人を交互に見ながらおろおろと慌てるばかりだったピーターは助かったと胸を撫で下ろしていた。

「あぁ、ごめんスネイプ。邪魔になってたみたいで」
「……分かったなら、いい」
「うん」

リーマスはにこやかに頷き、警戒体勢を解いて取り出していたチョコレートをセブルスとピーターに渡しながらセブルスの向かいのソファーに腰を下ろした。嬉しそうにチョコレートを頬張る様子はさながら子供のようだ。ところがシリウスは未だに不快な表情を緩めることなく、セブルスを睨んだままだった。その視線に気付き、リーマスから受け取ったチョコレートを落ち着かない様子で弄んでいたセブルスは首を傾げた。

「……何だブラック、まだ何かあるのか」
「シリウス、座ったら?」
「リーマスのチョコ美味しいよ!」

無表情を貼り付けたまま、不思議そうに尋ねるセブルスと空気を読まない友人達の言葉にシリウスの苛立ちは募る。

「……あぁ、スニベリー。まだまだ言い足りないぐらいに文句はあるぜ?」

唇を歪めて笑うシリウスは生まれ持った端正な顔立ちも手伝って酷く凶悪な笑みを浮かべていた。その表情に、セブルスは僅かに肩を揺らして黒曜石の瞳に陰りをよぎらせた。その僅かな怯えに目敏く気付いたシリウスはにやりと勝ち誇った笑みでセブルスの座るソファーにゆっくりと歩み寄った。

「……っ…、何だ、と…」
「おやおや、何をびびってるんだよ?なぁスニベリー、気分はどうだ?」
「ちょっとシリウス、」
「五月蝿い、お前は黙ってろ」
「……はぁ……」
「リ、リーマス……」
「あぁなったら止められないよピーター。放っておくしか」

止めようとしたものの一蹴されたリーマスは深い溜息を吐いてびくびくとするピーターにそう返した。我慢することが得意ではないブラック家のお坊ちゃんは、一度口を開くと止まらない。自分でもそれをよく分かっているようだが、自分が止められないものを友人のリーマスが止められるはずも無く。

「……気分、だと?」

警戒を全面に表し、そう聞き返したセブルスをシリウスは鼻で笑った。今のシリウスにはあまりにも嘲笑が似合いすぎていた。

「そうだ気分だよ、スニベリー。自分の寮じゃなく他人の寮に、堂々と居座って傲慢に振る舞う気分はどうだ?優しいリーマスとワームテールに甘える気分はどうだ?お前もすっかりグリフィンドールだなぁ?」
「っ、…!」

傲慢、と言われた瞬間にセブルスの頭に血が上った。いつでもリーマスとワームテールを従えて傲慢そのものの態度で振る舞っているのはお前だろう、そんな言葉が喉元までせり上がってきた。だが寸前でそれを無理矢理飲み込み、唇を噛み締めてきつくシリウスを睨め上げた。ここで反論すればきっとこいつの思う壺だ。そうなることだけは避けたかった。負けてしまう気がした。此処で屈するのは、嫌だった。

「―――……ふぅん」

シリウスが僅かに目を見開いてセブルスを見下ろす。何処か興味深そうにじろじろと無遠慮に眺められ、落ち着かなくて身動ぎをすると突然腕が伸びてきた。あまりに唐突なシリウスのその行動に一瞬反応が遅れたセブルスは、身体を捻り切れずに捕まった。ひやりと冷たい指がセブルスの手首を掴む。

「……っ、ブラッ、ク…!」

反抗して手首を動かすが、シリウスは何が面白いのかにやにやと笑ったままで顔を近付けてきた。息が首筋に掛かってぶわりと顔に熱が広がった。

「どうした、顔が真っ赤じゃないかスニベリー。熟れた苺みたいだぞ」
「ば、かにするなっ…!近い、離れろ!」
「女みたいな反応をするな。―――流石はジェームズのお気に入りってことか」
「なっ…!」

揶揄する言葉に一気に身体の熱が上がり、掴まれた手を渾身の力で振り払って立ち上がる。熱い。身体を帯びる羞恥で熱い。

「……シリウス……やりすぎだよ、スネイプが可哀想だ」

リーマスの気の毒そうな声が背後から聞こえ、シリウスは緩慢な動作で真っ赤なままで胸に本を抱き締めて震えているセブルスを眺めて息を吐く。つまらないと、その表情が語っていた。

「少しは骨がありそうだと思ったのに、気のせいだったか」
「勝手なことを、言うな…!」

せせら笑うシリウスに小さな身体を震わせて怒鳴るセブルス。その力の差はあまりにも歴然としていた。

「シリウスってば!」
「……はいはい、リーマスは怖いなぁ」
「ふざけない」
「はーい」

間延びした声で返し、シリウスはあっさりと踵を返してセブルスに背を向けた。その背中にセブルスが何かを言おうとした瞬間――――

ばたん、と勢い良く扉が開いて誰かが談話室に飛び込んできたと思うと、セブルスは絨毯に押し倒されていた。

「わっ、ちょ、はなっ…くるし…っ!」

切れ切れに悲鳴を上げてセブルスは必死に腕を突っ張って自分を押し倒した男―――ジェームズを引き離した。

「っ……はな、れろ、ジェームズ!」

荒く息を上げながら怒鳴りつけると、ジェームズはくしゃくしゃの髪を一層掻き乱すように頭を掻いてにへらと笑う。その締まりの無いだらしない表情にセブルスは溜息を吐いた。それを見てジェームズが首を傾げ、何かを思い出したように笑った。

「ただいま、セブルス」
「……お、かえり」

何とも間の抜けたやり取りだった。それでもちゃっかり返事をしている自分を恨めしく思いながらジェームズの頬を引っ張る。無駄に柔らかい肌はびよんと伸びて、思わず笑みが零れた。

「間抜けな顔」
「ひひょいよ、へぶゆす」
「ちゃんと喋れ」
「りひゅひんな!」
「誰がだ、誰が」

頬から手を話すと、ジェームズはそこを撫で擦りながら再び首を傾げた。

「痛いなぁ…ね、セブ、何か怒ってる?」
「いや……――――別に……」

ちらりと、ほんの一瞬だけシリウスを見ると、気まずそうに視線を逸らされた。ジェームズが帰ってきてから、ひどく居心地が悪そうだった。

「ならいいけど……ごめんね、僕が呼び出したのにクィディッチの練習が長引いて……」

申し訳なさそうに項垂れるジェームズを見て、胸がツキリと痛む。そんなことは気にしていないのに、気に掛けてくれる彼の優しさが痛いほどだった。

「……セブルス?」
「別に……怒ってない、から」

小さく呟くと、ジェームズは嬉しそうに笑い、頷く。それからセブルスの身体をぎゅっと抱き締めて身体を揺らす。

「ばっ……離せ、此処は談話室だぞ!」
「いいじゃない今更ー。誰も気にしてなんかないよ?」
「、っ……そうじゃなくてっ」
「なに?」
「は……恥ずかしい、だろ……」
「…!!あーもうセブ可愛すぎ!天使!」
「はぁ!?ちょ……苦しいっ…!」

尚更強く抱き締められ、セブルスは抵抗してどんどんとジェームズの背中を叩くが、気にも止めないジェームズは愛しげにただ痩躯を抱き締める。

「ジェームズ……そのままだとスネイプが圧死しちゃうよ?」
「え?あ、ごめんセブルス」
「ぅ……馬鹿、が……」

リーマスの声にようやくジェームズがセブルスを解放すると、セブルスはぐったりと疲れきった顔で俯いた。そこに呆れたシリウスの声が飛んできた。

「ったく、何やってんだよお前らは……」

その声に、先程の出来事を思い出したのかセブルスの肩が僅かに跳ねる。それをジェームズが見逃すはずがなかった。

「……セブ?」
「、ぁ…いや……何でもな「シリウス」

今度はシリウスが肩を揺らす番だった。にこやかに名前を呼ばれ、背筋を冷たいものが伝い、嫌な予感で頭が痛い。

「……何だ、よ」
「ちょーっとだけ訊きたいことがあるんだけどいいよね?」
「……あー……いや、そういや俺、レギュラスに呼び出されて「今から?」
「い、いや……明日だった…」
「じゃあ大丈夫だね!さぁ行こうか?」
「っ、リーマス……!」
「うるさいよ、自業自得だろ」
「り、リーマス……俺を見捨てるのか…!」
「うん。いってらっしゃい」

項垂れるシリウスにリーマスはあっさり頷き、連行される背中にひらひらと手を振った。と、不意に振り返ったジェームズがセブルスに呼び掛ける。

「セブ、ちょっと待っててね。こいつ痛い目を見ないと分からないみたいだから」
「あ……あぁ……」
「ちょ、ジェームズ痛い目ってな「黙れ」
「…………」

ばたりと扉が閉まると、にこにことリーマスがセブルスを見ていた。隣に座るピーターも何故か微笑んでいる。

「……何だ」
「いや?きみは愛されてるなぁって」
「な、何を言って…!」
「だって事実じゃないか」
「あんなに優しいジェームズなんて、スネイプと一緒じゃないと見れないよ」

「……―――」

何と返せばいいのか、言葉に詰まる。嬉しいような、気恥ずかしいような、こそばゆいような、そんな感情で胸がいっぱいだった。それが幸せという感情なのだとセブルスが気付くのはまだ先の話だった。


(こんな感情、知らなかった)



end.




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