新宿のとある高級カフェ。
黒衣を細い体躯に纏った青年が扉を開いて入店した。ドアの上部に取り付けられた小さなベルが控えめにチリンと鳴り響く。その音で来客に気付いた店主がカップを磨く手を止めて青年を見遣り、軽く会釈をするとその青年は微笑を浮かべて会釈を返して奥の二人用の席に腰を下ろした。誰かとの待ち合わせなのだろうか、彼はコートのポケットから取り出した携帯を開いて時間を確認すると、僅かに眉を顰めて静かに携帯を閉じた。
×
その10分後。
不機嫌そうな青年の前にはトレンチコートの男が座っていた。
「……遅い」
「悪かったよ、折原。ちょっとだけ、前の取り引きが長引いてしまってな」
「そんなものは言い訳だろう」
「あぁ…そうだな、すまない」
珍しく殊勝な態度で謝った男を見て、青年―――折原臨也は少しだけ相好を和らげて頷いた。
「分かればいい」
「………折原、お前は他の取り引き相手にもそうなのか?」
「そう?」
「…俺に対しての態度で接する取り引き相手は居るのか?」
「まさか」
臨也は吹き出すように笑い、肩を竦めてみせる。
「俺にとって、取り引き相手はあくまで客だよ。例えどんな悪党であっても、な」
「俺は」
「九十九屋は九十九屋だろう」
にべもなく吐き捨てられて、九十九屋は苦笑するほか無い。しかし僅かに口角を上げた。
「確かにそうだな。……それは俺が特別扱いされていると受け取っていいのか?」
「そんなわけがないだろう。その逆だ、逆。お前は随分と都合の良い頭をしているらしいな。あと、俺にはお前を客扱いする道理は無いんだが」
「……お前、それが今から取り引きする相手に対する態度か」
「あぁそうか、仮にも取り引き相手だったな。すまない、"一応客"扱いに訂正するよ」
「―――…折原」
「普段の行いのせいだろう」
「よく言うよ、お前が」
「はは」
胡散臭い、爽やかすぎる表情で微笑んだ臨也は、真っ黒な液体が注がれたカップの縁を細い指でなぞる。そして九十九屋を見上げて、にこやかに口を開いた。
「じゃあ、取り引き内容に入りましょうか、九十九屋様」
×
取り引きが終わり、時刻は昼過ぎを回っていた。九十九屋と臨也のカップには3杯目の僅かに残った漆黒が波を揺らしている。
「これで終わりだな」
「あぁ」
「………なぁ、折原」
「何だ」
ビジネスバッグにノートパソコンと書類を入れている臨也は手を止めることなく答える。それに対してすっと目を細めた九十九屋は表情を変えることもなく呟くように零す。
「この後は」
疑問形ではない、しかし折原の意向を探る台詞に臨也の手がぴたりと止まった。それから緋の瞳がゆらりと揺らいで九十九屋を捉えた。かちりと合わさった瞳と瞳が暫時、見詰め合う。数秒なのに長い時のように感じた。そしてふいに臨也が逃げるように逸らした視線をコーヒーカップに移した。
「―――…行く、」
呟きは小さく、九十九屋が読唇術を心得ていなければ伝わることは無かっただろう。だがしかしそれだけで大いに満足したらしい九十九屋は表情を和らげた。不思議な色の虹彩が柔らかい色を孕んで笑む。その微笑みに臨也がちいさく息を呑んだのはらしくもない胸の高鳴りのせいだった、なんて。そんなこと臨也本人にとってはきっと認めたくもない事実なのだろう。
(何で黙ったままなんだよ)
end.
title by サボタージュ