貴方が愛しいとわたしの心が囁き呼ぶ



愛しいという感情は何処から湧いてくのだろうと考えることが最近の俺には少なくなかった。相手を大切に想い、愛でたいと、自分だけのものにしたいという、既に一種の束縛に似たこの感情は、一体この折原臨也という人間の何処から奔出しているのか。そんなことをとりとめもなく考えていたら玄関のチャイムが間の抜けた音で鳴った。土曜日の深夜に押し掛けてくる奴なんて1人しか心当たりがない。あいつ以外にいるものか。仕方なしにインターホンに出ると、小さな画面に黒衣の男が映った。細められた瞳が真っ直ぐにこちらを見上げて薄い唇を開く。

「折原、俺だ」
「なにが俺だ、だ。きちんと名を名乗れ九十九屋」
「分かってるんだから別にいいじゃないか」
「………黙れ」
「なんだかご機嫌斜めだな、折原。どうした?」
「別に」
「…まぁいい、それよりも早く入れてくれないか。このままじゃ凍死してしまいそうだ」
「すればいいだろう」
「冷たいなぁ」
「―――…ったく、」

減らず口を叩く九十九屋には相変わらず苛立って仕方がないが、取り敢えず入れてやることにした。深夜に押し掛けられてもこうやって開けてやるあたり、俺は九十九屋にほだされてしまっていると思う。なんだかんだで九十九屋に甘いのだ。

「………入れ」
「どうも」

俺のそっけない言葉を全く介した風もなく、九十九屋は無駄ににこやかに笑うと、真っ黒なトレンチコートの裾を払った。黒に映える白い雪が玄関の石畳に落ちて消える。

「降ってたのか」
「…あぁ、雪か。そうだな」

もう雪の降るような季節だったかと考えながら石畳に吸い込まれていく雪を見送る。

「―――…折原」
「何だ」
「考え事か」
「…別に」

見透かされたように不思議な色の虹彩に見詰められ、居心地が悪くなって視線を逸らして九十九屋が手に持っていた外したばかりの灰色のマフラーを奪い取ってリビングへ向かう。後ろから小さな嘆息が聴こえたような気がしたが、気付かないふりをした。


×


「珍しく散らかっているな」

俺がコーヒーを淹れていると、九十九屋が揶揄を含んだ口調で呟いた。振り返ると唇の端だけで微笑んだ九十九屋が俺の書類が散乱したデスクを眺めていた。

「……悪かったな」
「別に悪いとは言っていない」
「あっそ」
「冷たいなぁ、折原は」
「何を今更」

返答するのも億劫で、生返事をしながら二人ぶんのコーヒーを持って波江のデスクに置いた。彼女のデスクが綺麗に片付いていることが余計に俺の散らかったデスクとの対比になっていた。

「忙しそうだな」
「お陰様で空気を読めないお前の来襲で無駄な時間を食っている真っ最中だよ」
「そんな言い方はないだろう、折角忙しい合間を縫って来てやったというのに」
「―――来て"やった"?」
「……あー…折原、そんなに怒らなくても「黙れ」

一喝すると九十九屋は肩を竦めてみせたが、どう見てもふざけているようにしか見えない。舐められているのだと実感した途端に苛立ちが高まってきた。

「俺がいつお前に来いと言った?一度だって頼んだことがあったか?」
「あった」
「………仕事以外で」
「それは無いな」
「ほらみろ」

否定した九十九屋に笑みを向けると、複雑そうな表情に暫時、見詰められた。

「―――…何だよ」

コーヒーを一口含んで、取り上げてソファーに掛けていた灰色のマフラーを掴む。柔らかな感触が肌を包み、カシミアの滑らかな布地に残っていた温もりが手に伝わる。暖かい。

「いや、」

九十九屋は軽く首を横に振って微かに笑みを零した。その表情がやけに艶かしく映って心臓が高鳴った。歳の割に整った顔立ちをしているこの男は、嫌味なほど含みのある表情が似合う。そこが俺が苦手とする理由の一つだと、九十九屋自身が知る由も無いが。

「…いや?」

無理矢理に鼓動を抑え込み、眉を顰めて見上げれば、なぜだか九十九屋は得意気に口角を上げていた。にやりという形容がぴったりな笑みである。

「確かに頼まれてはいないさ。だがしかし、呼ばれた」
「―――何を言って「お前に」

問い返す言葉は断言する九十九屋の言葉に呑まれて消えた。かたりとコーヒーカップがソーサーの上に戻される乾いた音がやけに耳に響いた。

「確かに呼ばれた、お前にな」

柔らかな笑みが揶揄する含まれた意味に、気付いた。たちまち顔に熱が集まって、あぁ、今の俺はきっと熟れすぎたトマトのように真っ赤だ。真冬だというのに。

「……なに、適当なこと言ってるんだよ、お前」
「適当なんかじゃないさ」
「………勝手なことを」
「勝手か…あぁ、そうかもな」
「――…、」
「だが、否定はしないのか?」

悪戯に光る瞳がひどく意地が悪くて悔しい思いでいっぱいになる。いつだって九十九屋は余裕綽々で俺の気持ちの奥の奥までお見通しなのだ。だから俺はこいつのことが、

「―――意味を為さない否定をしても、意味が無い」

あぁ、頬が火傷をしたように熱い。じわりと広がる熱がきっと耳まで染めている。あぁ、恥ずかしい。情報屋の"あの"折原がこんな醜態を晒して、情けない。

「……意外にも、素直だな」

俯いた俺の顎に細い指が触れる。冷たい指先に俺の体温がうつって僅かに暖まる。それからまだひやりしたままの指が顎から頬に、耳朶に触れて、髪を撫でるように梳く。からかう声が今は低く、耳に心地良くて反論する気にもならなかった。

「いつもこのくらい素直だといいのになぁ、折原」
「……うるさい」
「まぁでも、あまり素直すぎるお前というのは少々不気味だからな、このくらいがちょうどいいのかもしれないが」
「…うるさ、い」

黙れよ、と睨み付けるように九十九屋を見上げると、微苦笑を浮かべた顔を近付けられた。

「近い」
「あぁ、近付けてるからな」
「減らず口を「折原」

甘く囁かれたかと思えば乾いた唇が触れて、口付けられた。ちゅ、という可愛らしい音に羞恥が煽られ、悔しかったからせめて声を漏らしてしまわぬように唇を引き結んだ。

「折原、愛してる」

掠れた声が囁く。
鼓膜をあまく震わせる彼の声こそ、俺の愛しいという感情の湧き出でる根源なのかもしれないと、熱に浮かされた頭でぼんやりと考えた。


(湧き出る場所なぞ、どこでも)



end.




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